アフリカンゴールド、エクスパートラン、ザスリーサーティ、スヴァルナ、マイネルヴァッサー、マイネルファンロン、そしてマイネルレオーネ。
自らの走りで、そしてその血の輝きで、私を競馬の魅力に引きずり込んでのめりこませてくれたステイゴールド。中央に籍を置くその直仔は、とうとう7頭になってしまった(2023年6月現在。地方を含めると28頭)。去年(2022年)まで続けていた14年連続GⅠ勝利、17年連続JRA重賞勝利はおろか、初年度からの18年連続JRA勝利すら、このままだと今年で途切れてしまう。
正直、寂しい。
ただ、ステイゴールドの現役時代から数えれば四半世紀以上、1頭の馬とその仔をひたすらに応援し続けられるというのは、ただひたすらに稀有で、ものすごく幸せなことなんだろう、とも思う。
もう17年前にもなる、ステイゴールド産駒が重賞を初めて勝ち取ったあのレースの思い出を、こうして書かせてもらえるのだから。
──2006年。
英雄ディープインパクトが凱旋門賞への壮行レースとなる宝塚記念への出走を控えて盛り上がる6月。その1週前のGⅢマーメイドステークスが、種牡馬ステイゴールドにとってのいわば「はじめの一歩」だった。
1996年、牝馬重賞路線整備の一環として阪神競馬場、芝2000mに創設された重賞、マーメイドステークス。
当初10年間は別定戦として行われ、エアグルーヴ(97年)、エリモエクセル(99年)、アドマイヤグルーヴ(04年)、ダイワエルシエーロ(05年)と、勝ち馬の内4頭がGⅠ馬で占められ、連対馬20頭中19頭が単勝5番人気以内という(残る1頭も6番人気)「強い馬が強い競馬をする」重賞だった。
ところがこの年から競走条件がハンデ戦に変更。阪神競馬場改修工事のため京都競馬場に集った14頭の牝馬たちの負担重量は下は49キロから上は57キロと、予想する上では大変なレースにその様相を一変させた。
ただ、競馬歴、そして「ステイゴールド歴」10年になんなんとしていた私にはそんなことは全く関係なかった。ステイゴールドの現役時代、その出走レースでは「ステイゴールドがらみの馬券」を買って応援するだけだった私は、ステイゴールドの引退後も、大きなレースでは「ステイゴールドゆかりの馬券」を買って応援するだけだったからだ。
その日、2006年6月18日もそうだった。私はウインズ札幌に飛び込むなりマークシートの「単勝」の欄と馬番「11」「13」を素早く塗りつぶすと、券売機に滑り込ませた。11番はステイゴールドの妹レクレドール、そして13番は種牡馬ステイゴールドが送り出した初年度産駒の1頭、ソリッドプラチナム。その負担重量が出走馬中最軽量の49キロだったことは、全く気にしていなかった。
遡ることちょうど1年前、2005年6月18日が、ステイゴールド産駒の中央競馬デビューの日だった。
函館の芝1000m、オルレアンシチー。1頭取り消して10頭立ての10着からその歩みは始まった。
30分後の阪神でデビューしたコスモプラチナはいきなり3戦連続2着と悶え、父の面影が浮かんだ私は遠い目をしていた。
2か月後、盛夏の小倉、待望のステイゴールド産駒中央初勝利はエムエスワールド。父の主戦場からは思いもよらない芝1200mでの8馬身差大楽勝に夢を見た。その後ステイゴールド産駒初の重賞出走、GⅠ出走、オープン勝ちも彼、エムエスワールドによって成し遂げられることとなる。
産駒2勝目こそさらに2か月近く待たされて秋の東京開催にずれ込んだものの、そこからあれよあれよの間に勝ち星は積み重なり、結局初年度は8勝。種牡馬ステイゴールドは、中央フレッシュマンサイヤー(新種牡馬)ランキングでもアグネスタキオン、クロフネ、ボストンハーバーに続く堂々の4位に食い込んだ。
重賞勝ちもなく、中央で複数の勝利を挙げた馬もエムエスワールドのみ。今のステイゴールド系の繁栄を思えばいささか物足りないと感じる向きもあろう。しかしながら種牡馬ステイゴールドの置かれた環境、交配した牝馬の顔ぶれ、そして設定された種付け料や幼駒セールでの落札価格などから窺える評価と期待の度合いから見れば、望外の結果に思えた。私はただひたすらにうれしかった。
そんなステイゴールド産駒初年度締めくくりの勝利を挙げたのがソリッドプラチナムだった。
父ステイ「ゴールド」よりも産出量が希少な「プラチナ」の名を授かったソリッドプラチナムは2005年11月27日、栗東の田中章博厩舎からデビュー。厩舎所属のホープ柴原央明騎手を背に京都芝1800mの新馬戦で4着と上々の滑り出しを見せた。そしてデビュー2戦目、ハーツクライが三冠馬ディープインパクトに初めて土をつけた有馬記念当日の中京競馬場で、まだ1キロ減の「☆」がついていた若き川田将雅騎手を鞍上に、2番人気に推されたソリッドプラチナムは弾けた。416キロの華奢な馬体を目いっぱい伸ばして残り200を切ってから前にとりつくと、一瞬で後続を4馬身置き去りにするその切れ味に、ゴールの瞬間、私の心は踊った。
ただ一方でこのレースを繰り返し見るのは辛い。3番人気に推されながらも勝負どころで落馬し、デビュー2戦目にして散っていった同じステイゴールド産駒、キシュウレジェンドの、その最期の姿を目にしなければならないからだ。
明けて2006年、クラシックロードに乗らんと出走を重ねたソリッドプラチナムだったが、大舞台までに勝ち星を重ねることはかなわず、2勝目を挙げたのは桜花賞を過ぎた4月29日、京都競馬場でのことだった。外回りの4コーナーで渾身のイン突きを見せた柴原騎手の叱咤にこたえたソリッドプラチナムは出し抜けに先頭に立つと、そのまま後続と馬体を重ねることなく1着でゴールした。この時1馬身1/4差の2着に従えたのはソングオブウインド。のちの菊花賞馬である。
次走の白百合ステークスもステイゴールドファンにとっては記念碑的なレースだ。
後にオープン、重賞の常連として長く活躍するトウショウシロッコ、キャプテンベガ、さらには稀代の中山巧者にしてグランプリホースの栄誉に浴するマツリダゴッホを差し置いて、向こう正面まくりから直線抜け出して1着エムエスワールド。クビ差の2着に大外ブン回しから追い込んだソリッドプラチナム。中央で初めてステイゴールドの仔がワン・ツーフィニッシュを飾ったのが、この白百合ステークスだった。
その後スプリント路線を歩んでゆく同期の出世頭との一時の邂逅ののち、ソリッドプラチナムが向かった次走が、この年からハンデ戦に衣替えしたマーメイドステークスだった。
函館で騎乗する主戦、柴原騎手に代わってこの日ソリッドプラチナムの鞍上に迎えられたのは、地方名古屋の安部幸夫騎手。地方所属騎手スポット騎乗の常連として実績十分、前年のGⅢ愛知杯では中央重賞初制覇も成し遂げていた。そしてソリッドプラチナム初勝利のレースで散ったキシュウレジェンドの、デビュー戦での相棒でもあった。
内ラチから目いっぱい離れたところに仮柵が設けられた京都競馬場Dコース。スタンド前に設けられたゲートが開き、GⅢマーメイドステークスの幕が切って落とされた。遠く離れた札幌。ウインズの大型ビジョン前で、私は一心に画面を見つめていた。
向こう正面、馬群は縦に長く伸びた。冬の京都牝馬ステークスを逃げ切ったマイネサマンサが後ろを引き離して軽快に逃げてゆく。長期休養、降級を挟んで500万下(現1勝クラス)を3連勝という異色のローテでここに臨んだマリアヴァレリアが2番手、シールビーバック、オリエントチャームが2馬身ずつ離れてほぼ等間隔で追走。
そのあと追走する馬群はぎゅっと詰まっていた。後に8歳暮れまで現役を勤め上げるサンレイジャスパー、前年牝馬三冠完走含む10戦を駆け抜けたライラプス、2頭のタフネスが中段に控え、プリンセスグレース、翌年7歳で福島牝馬ステークスを勝つ遅咲きスプリングドリュー、外からはトップハンデ57キロ、春の中山牝馬ステークスで2年3か月ぶりに勝ち星を挙げた2歳女王ヤマニンシュクル、この後夏の札幌で激走を見せるステイゴールドの妹レクレドール、内からプリモスターが続く。
そしてソリッドプラチナムは隊列の最後方。内にフィヨルドクルーズとトウカイラブを見やりながら外、外につけていた。安部騎手が手綱を程よく引き、ソリッドプラチナムの末脚をじっくりため込んでいるかのように、私には見えた。
3,4コーナー、一気にペースが上がる。前を往く4頭が後続を引き付け、後ろの馬群が塊を保ったまま前との差を詰めていく。
そして最後の直線。
逃げ込みを図るマイネサマンサに、先行勢からはマリアヴァレリア、シールビーバックをかわして生き残ったオリエントチャームが迫る。「大外サンレイジャスパー!」の場内実況に乗って、中段からはサンレイジャスパーが差し脚を伸ばす。
しかしサンレイジャスパーは「大外」ではなかった。
「そして、ソリッドプラチナム追い込んでくる!」
大外の更に外、馬場の6分どころからソリッドプラチナムがぶっ飛んできた。
内から、逃げるマイネサマンサ、先行オリエントチャーム、差すサンレイジャスパー、追い込むソリッドプラチナム。持ち味を出し切った4頭がほぼ重なるようにゴール板に飛び込んでいった。
そして最後の1完歩で、ソリッドプラチナムが届いていた。父ステイゴールドが最後の1戦で、GⅠに手が届いたように。
私はうれしかった。こんなに早くステイの仔が重賞を勝てるなんて、夢にも思っていなかった。そのあまり有頂天になり、彼女の単勝馬券をコピーサービスに持ち込まずに払戻機に吸い込ませてしまう(一生の悔いである)くらい、私はうれしかった。
ソリッドプラチナムは結果的にこのレースが最後の勝利になったが、マーメイドステークスには翌2007年、2008年も出走しいずれも3着と好走。1億2000万円近い賞金を獲得して6歳春に引退。準オープンまで出世したスティルウォーター、オークスに駒を進めたウスベニノキミといった活躍馬を輩出したが、2018年の夏にこの世を去った。15歳の若さだった。
ステイゴールドの産駒がデビューしてからちょうど1年。父としての、いわば「黄金旅程 第二章」は、小さな牝馬がもたらしたプラチナに輝くGⅢの勲章から、始まった。
次の勲章がわずか半年後に、しかもGⅠの栄冠としてもたらされるなんて。
その後17年にわたって、中央の重賞を116度も勝つなんて。
グランプリホースが、凱旋門賞2着馬が、三冠馬が、天皇賞馬が、白いアイツが、マイル王が、そして障害レースの全てを塗り替える絶対王者が、この後現れるなんて。
3千頭を有に超えるサラブレッドの血統表に、「ステイゴールド」の名が刻み込まれるなんて。
いちファンが見る夢や想像力なんて遥か置き去りにした非現実のような現実が、2023年の私の前に広がっている。ただひたすらに稀有で、ものすごく幸せなことなんだろう。
そして今週も来週も、命ある限り私は予想をすることなく、重賞に出走する「ステイゴールド一族」の単勝馬券を買い続けていくことだろう。
この先、黄金旅程の血が見せてくれる夢の果てまで。
写真:かず、かぼす、Horse Memorys