[天皇賞・春]真夜中の戦士たち、覇王に挑む。

世紀2000年。20世紀最後の1年の幕開けを私はコンビニで迎えた。当時、学生だった私は時給割り増しの甘言にのり、12月31日の夜勤シフトに入っていた。私が勤めたコンビニは周囲の競合店が少なく、大晦日も雑誌コーナーに立ち読み客がびっしりだった。あの頃、コンビニの雑誌コーナーには大量の雑誌が積まれており、少年誌の発売日ともなると、雑誌入荷待ちのお客さんに急かされることもあった。陳列した先から立ち読み客が一心不乱に雑誌の世界に没入していった。当時、深夜の雑誌コーナーには、むせかえるほどの活気があった。

「2000年問題」なんて言葉があった。別名「Y2K問題」なんて書くと、21世紀世代にも少しは馴染めるだろうか。そんな悠長な表現になるほど、この問題は肩すかしを食らうように大きなトラブルには発展しなかった。当時、多くコンピューターは内部で日付を表示する際に、下ふた桁を使用しており、2000年を1900年と認識し、誤作動するのではないかと言われていた。これが「2000年問題」。

コンビニのレジにいた私も内心、レジが誤作動するんじゃないかとヒヤヒヤした。00年1月1日0:00をレジが刻んだ瞬間、コンビニの照明が落ちた。「来た」。心拍数が一気に上がるのを感じたのも束の間、再び明るくなり、それが同僚のイタズラだと知った。私の前に立つ銭湯帰りの常連客が罫線を思わせる細い目をわずかに開け、早く会計をするように促した。

銀座に近かったこの店の深夜帯は高級クラブのママやホステス、その経営者なども多かった。そんな常連客のひとりに競馬好きのおじさんがいた。決まって、当時流行っていたストローで飲むカフェラテと東スポ、そしてタバコを買う。相手をするのは必ず私の先輩。この私に競馬を教えた人だ。

「オペラオー、勝つの?」

おじさんは先輩に決まってそう聞く。

「いやぁ、どうですかね。そろそろ負けるかもしれませんよ」

先輩とのオペラオー問答はこの年、暮れまで続き、そして先輩もおじさんも最後まで敗北を喫した。おそらく、全国各地でこの手の敗北があったにちがいない。覇王は逆らわんとする気概を起こさせながら、これを打ち砕いていった。そんななか、先輩が唯一、「ちょっと逆らえないかもしれません」と降参しかけたのが天皇賞(春)だった。

阪神大賞典でナリタトップロード、ラスカルスズカというライバルを2馬身以上突き放したテイエムオペラオーはかつてステイヤーズSでペインテドブラックに敗れたような長距離での甘さは微塵もなかった。折り合いに一切、不安もなく、血統も申し分なし。先行して押し切る安定感もあり、淀の2マイルで負ける要素は見当たらなかった。単勝オッズ1.7倍はオペラオーのGⅠ勝利のなかでジャパンC1.5倍に次ぐ低さで、最後の有馬記念と同じ。ジャパンCと有馬記念は散々、不安視された天皇賞(秋)でメイショウドトウに2馬身半をつけ、圧倒した反動もオッズに大きく影響しており、やはりオペラオーがもっとも信頼されたのは2000年天皇賞(春)だった。ずっと反旗を翻し続けた先輩が降参しかけるほどに。

事実、オペラオーはラスカルスズカの出し抜けを食らわす作戦も、ナリタトップロードの菊花賞再現を狙った先行策も全国で逆らわんとする馬券親父たちの執念もすべて跳ねのけ、皐月賞以来のGⅠ2勝目を手に入れ、伝説へと突き進んでいった。

その翌年、21世紀という新世紀もまた、私はコンビニで迎えた。冬の終わりに先輩は体を壊し、夜勤から日勤にシフトを変えた。自然と真夜中の競馬談義は先輩から私に禅譲された。

「オペラオー、負けるかもしれませんよ」

産経大阪杯の前、私はおじさんにそう告げた。東スポとカフェラテ、それもエスプレッソしか買わないおじさんは一体、何者なんだろうか。先輩にそれとなく聞いたことがあるが、「よく知らない。銀座で働いているらしいよ。この時間に来るんだから、夜の仕事でしょ」とあやふやな答えばかり。深夜のコンビニ店員は常連客の素性を探らない。世間話も競馬談義も構わないが、それ以上は話題を広げない。暗黙の了解というやつだ。そもそもレジで会計をするわずかな時間しか話す時間がなく、基本、早く帰りたいお客さんを質問攻めにして足を止める権利は店員にはない。

「ホントかよ。どうして」

おじさんはまだまだ競馬歴の浅い私に疑いの目を向ける。昨年、コテンパンにされたオペラオーが負けるなんてにわかに信じがたかったからだ。だが、オペラオーは産経大阪杯で執拗なマークに遭い、最後はトーホウドリームの決め手に屈した。99年有馬記念でグラスワンダーとスペシャルウィークに差されて以来の敗北だった。

私はこの予想でおじさんの信頼を得た。以来、深夜の競馬談義は徐々に盛りあがっていく。そして、連覇がかかった天皇賞(春)を迎えた。

平均ペースの2000m戦でマークされて競り落とされたオペラオーにとって、天皇賞(春)はかっこうの雪辱の舞台になる。長距離での安定感では右に出る馬はいないはずだ。トーホウドリームこそいなかったが、終生のライバルであるナリタトップロードと昨秋、食い下がったメイショウドトウ、そして産経大阪杯で敗れたエアシャカール、アドマイヤボスと挑む相手に不足はなかった。

「オペラオー、どうよ」

おじさんが私に問う。

「来ません」

私が答える。おじさんは大きくひとつ頷いた。昨年の借りは前哨戦だけでは足りない。GⅠこそがふさわしい。真夜中の戦士は東スポとカフェラテを片手に意気揚々と車通りの少ない大通りへ出ていった。

レース当日、京都は雨。オペラオーにとっては恵みであり、ナリタトップロードにとっては不運だった。自身が得意な走りやすい馬場のせいか、オペラオーはもっともいいスタートを切り、タガジョーノーブルや超久々のセイウンスカイら行きたい馬を受け流し、中団馬群の先頭、最内に陣取った。ナリタトップロードとメイショウドトウはその背後でマーク。エアシャカールはさらに後ろに構えた。快速ステイヤー・タガジョーノーブルが最初の1000m58.3と速い流れを作る。その後、1、2コーナーを利用して一気にペースを落とすあたり、さすがは快速ステイヤー。中盤1000mは64.2で落差は5秒9もあった。この緩急に行きたがりはじめる馬も出るなか、オペラオーの走りに乱れるところはない。落ち着き払った覇王の気迫を感じたのか、先にナリタトップロードがポジションをあげ、その前に出ていく。この馬がオペラオーに勝つには先へ先へと進め、オペラオーの追撃を封じるしかない。いつだってナリタトップロードは挑戦者としての姿勢を崩さない。

ナリタトップロードの仕掛けについて行こうとオペラオーの和田竜二騎手は手綱を動かし、合図を送る。だが、オペラオーの反応はさほどなく、その間に外を回ってナリタトップロードが先頭に立つ。オペラオーのズブさゆえの場面ではある。しかし、私にはどうにもオペラオーが「まだまだ」と言っているようにみえる。最内の経済コースで脚を溜めたオペラオーのスタミナは存分に残っていた。早めに外へ出るより、最後のコーナーまで待っても間に合う。オペラオーはそれをわかっているのではないか。むしろ、背後にいるメイショウドトウとの間合いすら図っているのではなかろうか。ナリタトップロードのこともメイショウドトウの力も、そして自身のスタミナの残存具合も、オペラオーはすべてを計算しているかのようだ。

直線入り口でナリタトップロードの外へ出てきたオペラオーは残り200mできっちり競り落とした。次なる矢、メイショウドトウが内から距離ロスを減らし、つめてきた。最後は外に持ち出し、強襲をかける。これもまたオペラオーの計算のうち。決して差せはしない間合いをつくっていたオペラオーは悠々とメイショウドトウの末脚を退けた。

まさにすべてはオペラオーの術中にあったかのような競馬だった。そして、私たち真夜中の戦士はまたもやオペラオーに転がされてしまった。なすすべなく敗れた私は次走、宝塚記念で再び友好関係を築こうとした。諦めムードのおじさんもカフェラテをビールにかえて、「オペラオーに乾杯」と白旗をあげる。だが、今度はメイショウドトウがあのオペラオーの間合いを避けるべく、ナリタトップロードの策を踏襲した先行策で完封してみせた。どれほど負けても、勝利への希望を捨てなかったメイショウドトウが眩しく思えた。

その翌年、私はあの店を辞め、おじさんとも疎遠になった。コンビニの常連客と店員の関係とはそんなものだ。ただ一点、競馬でつながっていた。そして、競馬だけでつながる関係があることを、私はあのおじさんとの時間で知った。今も、競馬だけの関係はたくさんある。どこの誰なのかよくわからず、名前すら知らなくても、競馬があれば気の合う仲間と出会える。その原体験がオペラオーの時代なのだ。

だから、オペラオーのことを書くと、決まってあの真夜中のコンビニを思い出す。あのおじさんは、今もカフェラテと東スポを片手に、どこかで競馬を続けているだろうか。

写真:taro1008


テイエムオペラオーの世代にスポットライトをあてた新書『テイエムオペラオー伝説 世紀末覇王とライバルたち』が2022年10月26日に発売。

製品名テイエムオペラオー伝説 世紀末覇王とライバルたち
著者名著・編:小川隆行+ウマフリ
発売日2022年10月26日
価格定価:1,199円(本体1,090円)
ISBN978-4-06-529721-6
通巻番号236
判型新書
ページ数240ページ
シリーズ星海社新書
内容紹介

君はあの完璧なハナ差圧勝を見たか!

90年代後半に始まるサンデーサイレンス旋風。「サンデー産駒にあらずんば馬にあらず」と言っても過言ではない時代にサンデー産駒の強豪馬たちと堂々と戦いあった一頭の馬がいた。クラシック勝利は追加登録料を払って出走した皐月賞(1999年)のみだったが、古馬となった2000年に年間不敗8戦8勝、うちG15勝という空前絶後の記録を達成する。勝ち鞍には、いまだ史上2頭しか存在しない秋古馬三冠(天皇賞、ジャパンC、有馬記念)という快挙を含む。競馬ファンのあいだで「ハナ差圧勝」と賞賛された完璧な勝利を積み重ね、歴史が認める超一流の名馬となった。そのただ1頭の馬の名をテイエムオペラオーという。

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