「事実は小説よりも奇なり」
そんな言葉を、身をもって表す馬がいる。
彼の馬生はドラマに満ち溢れている。競走馬としても、種牡馬としても。
その走りをもって、王者の遺伝子をもって、日本に、そして世界に轟かせる心の叫び。

彼の名は、ハーツクライ。

日本の誇る名競走馬である彼は今、種牡馬としてジャスタウェイ、アドマイヤラクティ、ヌーヴォレコルト、ワンアンドオンリー等そうそうたる名馬を世に送り出している。

時は遡り、無敗の三冠馬ディープインパクトブームの中で行われた、2005年の有馬記念。
元々は追い込み馬であったハーツクライは果敢に先行し、圧倒的一番人気のディープインパクトの末脚を半馬身、凌ぎ切る。

それまでのハーツクライは、G1ではダービー、宝塚記念、ジャパンカップの2着など惜しい結果が続いていた。実力はあるものの、勝ちきれていなかった。
しかし彼は諦めず、遂にG1タイトルを手にしたのだ。暮れの大一番、心の叫びが冬空へ届いた瞬間であった。
彼の姿から諦めない心を教わったファンもいた。しかしこの時点でのハーツクライは、人気馬を破ったヒールとして扱われることが多かった。王者に……主役になるためには、自らの手で、さらなる道を切り拓く他ない。

明くる2006年、G1ドバイシーマクラシック。
ホームストレッチでポジションを上げハナに立ったハーツクライ。最後の直線で後続を引き離し、2着に4と1/4馬身差をつける圧勝劇をみせ、その名を世界に轟かせた。。

彼は名実ともに世界の中長距離王者となり、自らの手で、主役の座を掴んだのだ。
陣営が次走に選んだのは、後に伝説のレースとして世界で語られる事となる7月のキングジョージであった。
しかしその調教中、ハーツクライの喉から微かな音が聞こえ始めていた。後に彼を引退に追い込むその病魔は、静かに、しかし確実に忍び寄っていたのである。

そして迎えたキングジョージ。

凱旋門賞馬ハリケーンラン、インターナショナルSでゼンノロブロイを破ったドバイWC馬エレクトロキューショニスト、そしてドバイシーマクラシック馬ハーツクライと、そうそうたるメンバーが揃った一戦であった。
レースは、1~3番人気を分け合ったこの3頭が先行する形となった。スタート直後から始まった三強対決に、世界が沸いた。
タフさが要求されるアスコットの地で、互いが互いをマークし合う。世界を代表する人馬共の牽制が続いた。
厳しいマークによるプレッシャーから逃れるため、ハーツクライは一旦、ポジションを下げ、2頭への追撃の時を待つ。

そして迎えた直線は、熾烈な三強対決となった。

ハリケーンランとエレクトロキューショニストを見ながら、満を持してスパートをかけるハーツクライ。壮絶なまでの、三つ巴の叩き合いである。

ハーツクライが先頭に躍り出る。
しかし全精力を使い果たした彼の脚が鈍った瞬間、すかさず2頭が襲いかかった所がゴールであった。
ハーツクライは、3着に破れた。世界中の競馬ファンは、この三強を心から讃えた。しかしこの「死闘」の代償はあまりにも大きなものだった。

1着のハリケーンランはこのレースで燃え尽きたかのように、この後一度も勝てないまま引退。

2着のエレクトロキューショニストは数ヵ月後、心臓発作で急死。

そして3着のハーツクライは……。

満身創痍で帰国したハーツクライを、人々は正真正銘の日本が誇る名馬として讃えた。
しかし彼が侵された病は、その競走能力を日に日に蝕んでいった。

2006年ジャパンカップ前。
競馬メディアを賑わせ、競馬ファンの話題を浚ったのは、

「ハーツクライ、喘鳴症」

の報道。その事実と、調教師自らの公表に衝撃を受けたファンの声が広がった。橋口調教師は、

「事実は、命の次に大切なお金を賭けているファンに包み隠さず述べる」

と、ハーツクライの喘鳴症を公表されたのだ。その橋口師の姿に感銘を受けたファンも多数いた事だろう。

そして迎えたジャパンカップ当日。
2番人気で迎えたハーツクライは果敢に先行したものの、直線での姿は、いつもの彼ではなかった。1頭、そしてまた1頭に、なすすべもなく交わされていく。彼の喉を蝕んだ病が、牙を剥いた。
結果は、かつて「ヒール」としての立場で破ったディープインパクトから15馬身以上離されての10着であった。精根尽き果て、荒い息遣いで戻ってきたハーツクライ。橋口調教師はその姿を見て、引退を決意されたという。

「いっぱいいろんな思いをさせてもらいました。やり残したことはありません。これが競馬です」

……日本の誇る世界的名馬ハーツクライ、無念の引退が決まった瞬間であった。

無敗の三冠馬である国民的スターホース・ディープインパクトを破り、10度目の挑戦で遂に手にしたG1タイトル。海外初挑戦で手にした、ドバイG1での栄光。日本代表として強敵に挑み、世界中の感動を呼んだキングジョージでの死闘。

ハーツクライの競走馬生活は、十分すぎるほどにドラマチックなものであった。
それだけに、彼に心を奪われたファンはその志半ばでの引退を惜しみ、夢の続きは産駒へ託される事になった。

「競馬は血統が織り成すドラマ」

……種牡馬となり、ハーツクライの物語が予想を遥かに超える第二章を迎えようとしていた。

写真:しんや、がんぐろちゃん

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