競馬の醍醐味のひとつ 「あの馬の子供が、競馬場に帰ってくる」
大の競馬ファンで馬主でもある作家の浅田次郎さんが、「私は競馬歴10年ぐらいではまだ競馬ファンとは言えないと思う」とエッセイで書かれていたことがある。私はこの言葉を「競馬は長くやればやるほど面白い。こんな趣味は他にないですよ」という、大先輩からのメッセージだと受け取っている。
私の競馬ファン歴はそろそろ30年に達する。確かに、「長くやってきて良かった」と実感することが増えてきた気がする。
長くやってこその楽しみのひとつが、かつて応援していた馬たちの子供や孫が競馬場に帰ってきて、また応援できるという「血のロマン」ではないだろうか。
競馬を続けていると、かつて応援していた馬たちの名が、新聞の父母欄に現れるようになる。私の場合は、1995年、1996年頃に活躍したフジキセキやダンスインザダーク、牝馬であればダンスパートナーやエアグルーヴの名前を父母欄に発見し、新鮮な驚きと喜びを覚えたものだった。
ただ、トップホースに限らず、オープン馬にはなれなかった馬、1勝、2勝に終わった馬、あるいは未勝利馬でも、牝馬であれば引退後に繁殖入りしていて、母の欄にふと名前が現れ、その現役時代の記憶が思い起こされることがある。
アストンマーチャンの母、ラスリングカプス
2007年のスプリンターズステークスを制した快速牝馬・アストンマーチャンの母は、現役時代に3勝したラスリングカプスという馬だ。おそらく、 誰の記憶にも残る馬、というわけではないだろう。
しかし、私はラスリングカプスのことを、敗戦の姿と共にはっきりと記憶していた。『3勝のどれかの勝利のシーン』ではなく、『敗戦のシーン』なのだ。
それは1996年1月の未勝利戦、彼女が最下位12着に敗れたレースだった。東京ダート1400メートルの未勝利戦、上位人気の彼女は道中は中団につけていたが、最後に大失速してしまう。上がり3ハロンは43秒4も掛かり、11着の馬からも大差をつけられた敗戦。素人目には、馬体に何か異変が起こり、走り続けられず、極端にスピードを落としたかのように見えた。
しかし、翌月の東京開催の未勝利戦にも出走してきたので、大きな故障ではなかったようだ(結果は16頭立て13着)。まだ若馬なので、精神的な脆さを抱えていたのかもしれない。
原因はさておき、私が『人気馬でも大敗する事はあるし、ひどい場合は競走中止のシーンを目撃してしまう可能性もある』という競馬ファンにとっては当たり前の事を学んだのが、このラスリングカプスの走りだった。そのため、私の中で強い記憶として残る1頭となった。
その後、ラスリングカプスは、夏の札幌で未勝利を脱出する。ラスリングカプスを管理していたのは、当時バブルガムフェローやタイキブリザードを擁していた藤沢和雄厩舎。その手腕で、立て直しに成功したのだろう。
勝ち方も、芝1200メートル戦を逃げて圧勝したもので、非凡なダッシュ力、スピードを持っていることを証明して見せた。
そのスピードは、のちにアストンマーチャンへと受け継がれる。
軽やかなスピードを武器にスターダムへ
アストンマーチャンは、母が札幌で未勝利戦を脱出した1996年のちょうど10年後、小倉競馬場の芝1200メートル戦でデビューした。デビュー戦は2着に終わったものの、その後未勝利戦、そして小倉2歳ステークスを先行し抜け出す競馬で連勝する。
この頃、新聞の母欄にラスリングカプスの名を見つけ、「ああ、あの時の馬。」と記憶が掘り起こされ、「いい仔を産んだんだな。」と嬉しくなり、その後もアストンマーチャンに注目するようになった。
アストンマーチャンはその後、11月に京都のファンタジーステークスに出走。2着イクスキューズに5馬身差をつけ、レースレコードを0.9秒も更新する鮮烈な勝利を飾った。なお、イクスキューズは藤沢和雄厩舎の管理馬であった。藤沢調教師は、かつて手掛けたラスリングカプスの仔、アストンマーチャンの快速ぶりに、何を感じただろうか。
アストンマーチャンの戦績はこれで4戦3勝、母の現役時代の勝ち星に早くも並んだ。
そして勇躍、2歳女王決定戦である阪神ジュベナイルフィリーズに向かい、それまでの戦績と勝ちっぷりを評価され、単勝オッズ1.6倍とファンの圧倒的支持を受ける。
アストンマーチャンに続く2番人気ルミナスハーバー、3番人気ハロースピードとも、単勝オッズは9倍程度。ハロースピードにはファンタジーステークスで大差をつけ負かしており、アストンマーチャンに人気が集中するのも納得のメンバー構成だった。
私は、あのラスリングカプスの仔がどんな勝ち方でGⅠを制するか、楽しみに観戦していた。
しかし、競馬はほとほと、人気通りには決まらない。最後の直線で内から抜け出したアストンマーチャンを外からねじ伏せたのが、このレースでは4番人気の伏兵に甘んじていたウオッカだった。
阪神ジュベナイルフィリーズは、この年から新設の外回りコースで施行されるようになった。脚質的には差しのウオッカに有利に働いたように思えた。しかしアストンマーチャンにしても、ゴール寸前で差されはしたものの、持ち前のスピードを存分に発揮しており、クラシックシーズンでのリベンジにも期待が持てた。
3強対決・桜花賞
年が明け2007年、アストンマーチャンは3月のフィリーズレビューに出走。前走から距離が200メートル短縮された1400メートル戦と、武器であるスピードを活かせる舞台。メンバー的にも負けられないこの一戦をあっさりと勝ち、重賞3勝目を上げた。その前週に行われたチューリップ賞でワンツーとなっていたウオッカ、ダイワスカーレットと桜花賞で対戦することとなった。
そして桜花賞では、3頭に人気が集まった。ウオッカの単勝オッズは1.4倍と抜け出た形で、アストンマーチャンが5.2倍の2番人気、そしてダイワスカーレットが5.9倍の3番人気で続いた。続く4番人気、ショウナンタレントのオッズが30倍台と差が開いたため、3強対決と言っていい形勢となった。
レースでは、ハナを奪ったのは人気薄のアマノチェリーランで、アストンマーチャンは15番枠からかかり気味に先行し2番手につけた。その後ろにダイワスカーレット、そしてウオッカと続いた。
ペースはそれほど速くなく、馬群はほぼひとかたまりで直線へ。しかし、アストンマーチャンの伸び脚が鈍い。前半にかかった分、脚を使ってしまったようだった。アマノチェリーランを交わすのにもたつく中、外からダイワスカーレットに交わされてしまう。結局、そのまま馬場の中央を力強く伸びたダイワスカーレットが勝ち、追いすがったウオッカが1馬身1/2の差で2着に入った。アストンマーチャンは、後方から脚を伸ばしたカタマチボタンやローブデコルテ、それまで何度も負かしたイクスキューズなどにゴール前で次々と抜かれ、7着に終わった。
──ジュベナイルフィリーズでウオッカの2着に粘った時より、抑えがきかなくなっているのでは?
母のラスリングカプスの3勝も、芝1200メートル、ダート1000メートルでのものだったことを考えると、距離の壁は高そうに感じた。
アストンマーチャンの闘志に胸を打たれた、スプリンターズステークス
アストンマーチャン陣営は、桜花賞後は短距離路線を目指すことを決定した。ダイワスカーレットやウオッカと中距離戦線で戦うより、スピードを活かす方がいいと、私も思った。ミーハーな私はダイワスカーレットもウオッカも好きだったが、母の現役時代を知っている分か「アストンマーチャンに何とか大きなタイトルを」という応援の気持ちが強かった。
その後アストンマーチャンは4ヶ月ぶりのレースとして、古馬との初対戦となる北九州記念に出走。ここでは1番人気に対して6着と結果を残せなかったが、秋の大一番であるスプリンターズステークスに向け、体力強化のためのハードな調教をこなしていった。
そして迎えたスプリンターズステークス当日、彼女の馬体重は生涯最高となる486kgを計時した。ハードな調教をこなしながらの前走比10kg増であり、さらに、当日は落ち着いた様子で最高の仕上がりを見せていた。
馬場は雨天による生憎の不良馬場だったが、アストンマーチャン陣営の腹は決まっていた。鞍上に「逃げの名手」中舘英二を配し、気分よく先行させる、というものだった。
スタート直後、ローエングリンがロケットスタートを見せたが、先手を奪う気配はない。すると、7番枠から好スタートを切ったアストンマーチャンは、すっとハナを奪い、内埒沿いに進路をとった。スピードが武器のアストンマーチャンが逃げるのは初めてというのは意外な気もしたが、さすが「逃げの中舘」、アストンマーチャンはリズムよく先頭を走った。
アストンマーチャンは後続をやや離す形で逃げ続け、最終コーナーあたりからは、セーフティリードを得たように見えた。
しかし、GⅠはそう甘くない。直線では、道中やや離れた2番手を追走していたアイルラヴァゲイン、1番人気サンアディユ、藤沢和雄厩舎が送り込んだキングストレイルなどが迫ってくる。3頭とも、追い込み辛い馬場を踏みしめるように、一完歩ごと、じりじりと差し込んでくる。
アストンマーチャンに余力はほとんどないように見えたが、最後の坂を踏ん張り、ゴールに駆け込んだ。
かつて少女の頃に見せた可憐なスピードに、ハードな調教で手に入れた力強さ、そして何より、このレースに賭けるという闘志が加わった、渾身の逃げ切り勝利だった。
この後、彼女の未来は暗転する。スプリンターズステークスの後は、スワンステークス14着、翌年シルクロードステークス10着と大敗が続き、大目標の高松宮記念を前に体調を崩し、あろうことか、4月に急性心不全でこの世を去ってしまうのだった。
アストンマーチャンのライバルたち──ダイワスカーレットは11頭、ウオッカは7頭の仔を残し、血を現在に繋いだ。それに対して、アストンマーチャンのスピードと成長力が次世代に受け継がれなかったのは、残念の一語に尽きる。
アストンマーチャンの仔を競馬場で見たかった、三代に渡り応援したかった、という気持ちは強い。しかし一方で、「この舞台に賭ける」懸命さ、渾身の走りを見られるのもまた、競馬の醍醐味。2007年のスプリンターズステークスを見返すたびに、アストンマーチャンの闘志には胸を打たれるのだ。
写真:ふわまさあき