[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]馬に時間の概念はない(シーズン1-49)

パトリオットゲームの応援に門別競馬場まで行ってきました。4戦目を何とか勝利したことで、南関東の代表馬として選出され、エーデルワイス賞に出走することになったのです。2歳牝馬にとっては片道25時間の長距離輸送は酷ですが、僕にとっては大きな意味を持つ出走になります。というのは、大狩部牧場の下村社長とEVOの上手代表が直接顔を合わせる初めての機会になるからです。

実はふたりは同じ大学の獣医師学科の出身であり、どこかで顔は合わせているはずという関係でした。学年でいうと下村社長の方が1つ上の先輩、年齢で言うと上手代表の方が上になるそうです。パトリオットゲームを通じて彼らをつなげた僕にとって、ふたりが競馬場で一緒にレースを見て応援するのは、夢にまで見た嬉しい光景です。

新千歳空港まで下村社長ことシモジュウが迎えに来てくれました。待ち合わせ場所のスターバックスに現れた彼は、珍しくスーツを着ていました。「かっこいいね!」と言うと、「いざという大事なときに来て行けと仕立ててもらったスーツと頂いたネクタイなんです」とのこと。僕はジャケットこそ羽織っていましたが、中にはチンピラみたいな柄のシャツを着ていましたので、「これで大丈夫かな?」と尋ねるとシモジュウは苦笑いしながら「全然大丈夫ですよ」と言ってくれました。着慣れないスーツとチンピラ柄のシャツの凸凹コンビは、車内でも途切れることのない生産のディープな話をしながら、門別競馬場へと向かいます。

日が暮れるのが早く、もうすぐ雪が降りそうな気温の中、夕方すぎに門別競馬場に到着しました。車外に出ると、吐く息が少し白みます。重賞が行われる割に人の入りは意外にも少なく感じます。数年前にエーデルワイス賞を観戦に来たときは、予約していないと門別競馬場名物のバーベキューが食べられないほど混んでいましたが、この日は待つこともなく席まで案内してくれました。2~3人前の食べ放題セットとウーロン茶を注文し、あと3時間後に走るパトリオットゲームに話は及びます。

「あれから1年でここまで来たのはすごいことですよね」

シモジュウがあれからというのは、彼が僕に宙に浮いている馬の相談をしてくれて、その話を上手獣医師に持ち込んだところ、即決で売買契約がまとまった日のこと。あの日からまさにわずか1年で、宙に浮いた馬がエーデルワイス賞に出走しているとは…。

「僕が買って、1頭持ちしていれば良かったな。走るかどうかは分からなかったけど、牝馬にしては馬格もあって、立派な馬体をしていたものね。でも、あのときは自分で競走馬を所有することはせず、生産に特化しようと考えていたんだよな」と冗談めかして僕が言うと、「そうですよね。あのとき競走馬は持たないとおっしゃっていましたもんね」とシモジュウはなだめるような口調で合わせてくれます。「それが今となっては、福ちゃんを自分で持つことになり、さらにダートムーアの23も自分で走らせることになったのだから、人生は思い通りにはいかないものだね」と僕は自嘲気味に語ります。

そろそろ上手さんと合流しようと電話をかけると、「今、近くの温泉にいて、子どもたちをお風呂に入れています!あまり早く着きすぎてもソワソワしてしまうので、あと1時間後ぐらいには参ります」とのこと。上手さんは昨夜発の船に乗り、奥さまと娘さん3人の家族を連れてやってくるのです。「家族にも見せておきたいと思いまして」という上手さんの言葉からも、パトリオットゲームがエーデルワイス賞に出走する価値が伝わってきます。

僕は先ほど自分で1頭持ちしていれば良かったと言いましたが、本心ではありません。あのとき僕がカズヤラヴの22を買って、育てていたとしたら、ここまでの馬になっていなかったはずです。上手さんが馬主として責任を持ち、上手さんがライダーとしてパトリオットゲームに自ら跨り、厩務員としてボディコンディションを見たり、獣医師として診察をして、1人何役をもこなして関わってくれたからこそ、エーデルワイス賞に出走できるような馬になったのです。競走馬はたずさわる人たちによって影響を受け、そのキャリアも大きく変わります。同じ馬でもたずさわる人々が違えば、違う馬になるといっても過言ではありません。カズヤラヴの22は上手さんの元に行ったからこそ、パトリオットゲームになれたのです。

出走1時間前、上手さん家族が到着しました。上手さんもスーツに身を包み、女性4名は皆、白いダウンジャケットを着ています。下村社長と上手代表が収まった口取りができれば最高だと思いつつ、挨拶を交わすふたりを見て嬉しくなります。僕が信頼するふたりのホースマンが邂逅したのです。パトリオットゲームのあとも、大狩部牧場からは2頭、マウンテンビューファーム(上手さんが副代表を務める育成場)に馬を送り出していて、その馬たちのことでも話に花が咲きます。

場内のあちこちに配置されているモニターを見ると、第10レースの出走馬たちが返し馬に入ろうとしていました。「そろそろ行きますか」と僕は彼らをうながし、パドックへと誘いました。すでにパドックの正面にある電光掲示板には、エーデルワイス賞の出走馬の名前が光っています。パトリオットゲームは-3kgの470kg、超長距離輸送を経ての馬体重ですからさすがとしか言いようがありません。10kg以上減ってしまってもおかしくない中、470kg台を維持してくれたのです。かなりの図太さと精神的な強さを秘めている証拠ですね。

長距離輸送については、「馬って時間の概念がないと僕は思うのです」と上手さんが語っていたことを思い出しました。人間と違って、1日24時間、1時間が60分、1分が60秒という時間に沿って馬たちは生きているわけではなく、お腹が空いたとか、周りが暗くなったなどの変化は感じているとしても、時間という概念は全くないということです。上手さんが言いたいのは、僕たち人間にとって25時間の長距離輸送というのは、かなり長い時間にわたって、動き続ける狭い場所の中で拘束されることを意味しますが、馬にとっては25時間という物差しはないということ。たとえ感じたとしても、長いと短いの2択ぐらいの感覚なのではないでしょうか。7時間程度の輸送であれば問題なく、25時間もかかると厳しいというのは、人間が勝手に思い込んでいる時間の尺度なのです。

それほど長距離輸送を苦に感じなかったであろうパトリオットゲームは、パドックでもいつもどおり落ち着いて歩けています。パトリオットゲームのパドックを生で観るのはこれで3度目ですが、良かったときの馬体のふくらみがあり(2戦目はややしぼんでいるように見えました)、踏み込みも力強く歩けています。他馬との比較ではなく、パトリオットゲームだけを見る限り、力を発揮できるできにあることは間違いありません。外枠を引いたこともプラスに働くでしょうし(エーデルワイス賞は外枠の馬が有利)、僕はますますレースが楽しみになりました。

チラッと1番人気のミリアッドラヴを見てみると、こちらも栗東からの初めての長距離輸送と初ナイターにしては堂々と歩けています。新馬戦を勝った直後から僕が考えていたとおり、エーデルワイス賞に出走してきて、しかも圧倒的な1番人気に推されています。前走の走りを見ればスピード能力が抜けていることは明らかですし、たとえここで敗れたとしても、将来的には化け物クラスの牝馬になると僕は思います。

僕がミリアッドラヴに注目しているのは、単にニューイヤーズデイ産駒だからです。福ちゃんのお姉さんの父でもあるニューイヤーズデイにとって、牝馬としては初の大物になるはず。牡馬はエートラックスが現れましたが、それを遥かに超えるスケールのダート馬が牝馬から現れたのですから、嬉しくないわけがありません。ストリートクライ系はゼニヤッタやウインクスという名牝を輩出しているように、やはり牝馬から最強クラスが出やすい血統なのです。

門別競馬場のパドックには、オーナー専用のスペースがあります。一段高いところにあり、そこからパドックを少し見下ろす形になります。その最前列に陣取り、パトリオットゲームの姿を追うシモジュウと上手さんの背中に、僕はカメラを向けないわけにはいきませんでした。結果は後からついてくるものであり、もう結果なんてどうでも良い、ここにこうして集えたことに価値があると思えてなりません。いや、勝って皆で口取りをしたいという気持ちもあるにはありますが、それは贅沢すぎる気もしてきます。

この日は、上手さんと僕以外のパトリオットゲームの出資者の方々も4、5名応援に来てくれていました。どこからいらしたのか聞きそびれてしまいましたが、全国各地から居合わせた仲間たちです。彼ら彼女たちのためにも、勝って口取りができれば最高ですが、僕にとってはすでにパドックの時点で、門別競馬場まで来た甲斐がありました。

パドックからパトリオットゲームが出てゆくとき、山崎裕也調教師の姿も見えましたので、「よろしくお願いします!」と挨拶しました。調教師自らここまで来てくださって感謝ですし、心強いです。

これは後から分かったことですが、本馬場に入場したパトリオットゲームは立ち止まって動かなくなってしまったそうです。見かねたアーデルリーベに乗る幸英明騎手が近寄ってくれて、ゲート裏まで併せ馬で連れて行ってくれたのです。パドックではいつもどおりに見えたパトリオットゲームも、すでにその時点でいつもとは違っていたということです。長距離輸送がこたえたのか、それとも初のナイターに驚いたのか、もしくはレース自体が嫌になってきてしまっているのか。

向こう正面からのスタート。よし、普通に出たっ!と思いきや、なぜか二の足が全くつかず、しかもズルズルとほぼ最後方まで下がっていく。スタート直後だけに、故障発生ということではなく、テンのスピードについていけないという感じでもなく、ただ単に自ら後ろに下がっていった。1200mのスプリント戦はあっという間に勝負どころを迎え、気がつくと1番人気のミリアッドラヴは絶好の手応えで先行集団を射程圏に入れています。対するパトリオットゲームは、もう画面にも映し出されないほど後方のままを進んでいます。万事休す。直線では大外に持ち出されて、そこから伸びて来はしましたが9着まで。全く勝負になりませんでした。

唖然、不完全燃焼、そんな言葉が僕たちを覆い尽くしました。川崎から門別まで来て、レースに参加できなかった悔しさと情けなさ。ペースについて行けないことはあるかもしれないと思いましたが、自らレースを辞めるように下がって行った姿には不甲斐なさを感じざるを得ません。しばしの沈黙を破って、「それでも、最後の直線はかなり伸びてきていましたね」と出資者の一人が口火を切ると、僕たちは思い思いに今回の敗因と次走について語り始めました。

エーデルワイス賞で良い勝負ができるようであれば、次は佐賀競馬場のフォーマルハウト賞(1400m)から大井競馬場の東京2歳優駿牝馬(1600m)を目指す予定もありましたが、とりあえず全て白紙に戻した方が良さそうです。まずは脚元が大丈夫かどうか、レースや長距離輸送のダメージがないのかをチェックすることが先決ですね。

しばらくすると、「砂を被ったら嫌がって下がってしまった。力は南関東の重賞クラスでも通用すると思う」とのコメントが野畑騎手から入ってきました。なるほど、砂を嫌がったのか…、外枠だから砂被りは心配していませんでしたが、おそらく大して被っていない砂でも嫌がって進んで行かなかったということでしょう。

デビュー前から砂を被るのを嫌がる可能性が高いから(母が2戦目で砂を被ってから勝てなくなったので)、砂を被せる練習をしてもらっていましたが、それでもいざ実戦に行くと嫌がってしまうのです。調教と実戦では被る砂の量が違うこともありますし、何よりも調教とレースでは馬の精神状態が異なります。ただでさえ長距離輸送や初めてのナイター競馬でナーバスになっているところに、砂が飛んできたことで気持ちが萎えてしまったのでしょう。砂を被って俄然闘争心に火が付くウシュバテソーロのようなど根性馬もいますが、そうではない馬の方が多いのです。ただ、砂を被るのを嫌がって前に進もうとしないことは、ダート馬にとって致命傷になりかねません。今回のようにほぼ大外枠であっても、コーナーを回る際には、1頭内にいる馬が走ったときの砂は外に飛んできますので、砂を全く被らないで走り切ることは不可能です。

山崎調教師からの報告を受けるため、僕たちはパドックへと向かいました。オーナー専用のパドックにて山﨑調教師はすでに待ってくれていて、レースの状況から今後のプランまでを詳しく説明してくれました。川崎に戻って様子を見て、一旦、マウンテンビューに放牧に出して鍛え直し、2月に浦和競馬で行われるユングフラウ賞(1400m)という心理学者のような名前の重賞を目指しても良いとのこと。

先ほど挙がっていた佐賀のフォーマルハウト賞や浦和のユングフラウ賞など、恥ずかしながら僕の知らない重賞が数多くあることを思い知らされると同時に勉強になります。ダートムーアの23や福ちゃんを走らせるとき、レース選択の幅は広い方が良いですし、そのためには地方競馬について僕はもっと学ぶ必要があるのです。

もうひとつ勉強になったのは、出資者一人ひとりの考えや意見、見方が全く異なることでした。目の前で一緒に見たレースに対する見立ても異なれば、次走に対する期待や対策、レース選択まで、まさに十人十色です。もしかするとパトリオットゲームに対する(適性や馬体、気性、血統面などの)評価すら大きく違っているかもしれません。共通しているのは、パトリオットゲームに対する熱い想いのみ。そもそも、僕と上手さんの見解も少し違いますし、山崎裕也調教師とも違います。

「体型的にも短いところの馬だし、今日も返し馬からハミを噛んで行って大変だった」と山﨑調教師は言いました。たしかに今日のパトリオットゲームは返し馬を拒絶したように、いつもの彼女とは違っていました。ジョッキーが跨るとスイッチが入るメリハリはパトリオットゲームの良さではありますが、今日はずいぶんとナーバスになっていたのでしょう。山崎調教師としては、もう少しリラックスして走れるようになってからマイルに延ばしてみましょうということです。

誰が正しいということではなく、1頭の馬をいくつかの角度から見ることは大切ですし、多面的に見てみた中でベストな選択をしてあげたいと願います。ただ決定者が多いと、船頭多くして船山に登るではありませんが、間違った方向に進んでしまうかもしれません。パトリオットゲームに関しては、代表馬主である上手さんと管理責任者である山崎調教師に最終的な判断はお任せするべきですね。

僕たちはそれぞれに別れの挨拶をして、帰途に就きました。僕は応援に来てくれていた慈さんの車に乗って、碧雲牧場に向かいました。

明日は福ちゃんに会いに行きます。

(次回へと続く→)

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