
今年もダービーがやってくる。
競馬を見続けていると、やはりダービーは特別なレースというイメージがある。
ダービーが近づいてくると、私は一頭の愛馬と過ごした素晴らしい時間を思い出す。
翌年のクラシックに夢を馳せ、湧き上がる高揚感を抑えるのに苦労した至福の時間。
夢に大きく近づきながらも、クビ差届かず膝から崩れ落ちそうになった瞬間。
数々の思い出を胸に迎えた、かけがえのない愛馬のラストランに涙した瞬間。
──どの瞬間も宝物のようで、今を生きる私の糧となっている。
その素晴らしい時間を与えてくれた馬の名は、レイデオロ。
私は彼の一口馬主として、その時間を過ごすという僥倖に恵まれた。

■レイデオロとの出会い
私は、母であるラドラーダを一口持っていた。
その血統構成もあって『きっと、良い母になるだろう』と、不思議と確信していた。
その仔にも出資したいと強く願い、キングカメハメハとの仔である「ラドラーダの2014」を最優先希望、いわばドラフト1位指名のような出資申込をした。
出資が決まった時には、『この仔でクラシックの馬柱に名を連ねることができるのではないか?』と、誰もが見る夢を見ていたものである。
正直に言えば、どの馬に出資する時にも、その馬が活躍することは夢見ている。
ただし、レイデオロことラドラーダの2014に出資した時は、「サンデーサイレンスの血が入っていないし、種牡馬になれるかもしれない」と、種牡馬入りする未来まで妄想していた。
幸いにも大きな故障はなく(競走馬として、これは本当に大きい)、2歳秋にデビューを迎えることができた。
レイデオロのデビュー戦は、派手さこそなかったものの、2000メートルという王道の距離を優等生のような競馬で勝利。レース後には「クラシック路線に乗れるかもしれない」と胸を躍らせ、当時のブログに「夢の扉が開いた」と書いたことを、今でも覚えている。
続く葉牡丹賞では、「開幕週の中山で届くわけないだろ」とモニターから目を逸らしかけるほどの絶望的な位置取りから、猛然と差し切って連勝。
──もしかしたら、夢だと思っていた願いが、現実になるかもしれない。その日は、心から湧き出る興奮を抑えきれないまま、何度もレースを見返した。
その能力を確信して迎えたホープフルSは自宅で観戦していたが、今思えば、このレースが最も自信を持って迎えた一戦だったかもしれない。
「勝って、クラシックへ」
その想いは、もはや妄想ではなかった。
葉牡丹賞のような派手さはなかったが、教科書通りの素晴らしい競馬で完勝。あまりに淡々とした勝利に、GⅡが通過点に感じられたほどだった。

その夜からは、翌年のクラシックを思うと、いてもたってもいられないという表現がぴったりだった。
例えるなら、初恋の相手との初デート前のような感覚だろうか。いや、もっとワクワクしていた気もする。とにかく、来年のクラシックに自分の出資馬が出走できそうだ。
それも、主役に近い扱いで──。
■関係者からのメッセージ、そして、競馬の祭典で頂点へ──
クラシックシーズン。予定されていた弥生賞からの始動はソエなどの影響から早々に皐月賞ぶっつけに路線変更されていた。
出資者としては少しでも走る姿を見たい気持ちもあったが、藤沢和雄調教師のいう「一勝より一生」は、この選択からも確かなものであった。
皐月賞が近づいてもトーンは上がって来ず、クラシック初戦というよりダービーへ繋がればという状態に感じられた。
しかしながら、愛馬初のクラシック。
私は胸を躍らせ中山競馬場へ向かった。
初めて生で見るレイデオロに否が応にも気持ちは昂る。
しかし、当のレイデオロはプラス8キロと勝負気配は強く感じられなかった。その気配どおり、レイデオロは生涯初めての敗北を喫してしまう。
ただ、敗れはしたものの、レース後の勢いは一番と思えるものであった。
レース後は初敗北のショックよりも、ダービーへ向けて高まる期待の方が大きかった。
ダービーへ向けて気持ちが昂る日々、応援というわけではないが、愛馬のことを記すブログにも力が入った。
そんなある日、読者数の多くない私のブログに一通のダイレクトメッセージが送られてきた。
レイデオロの担当厩務員です。
いつもブログで応援ありがとうございます。励みになります。
概略はそんな内容だったと記憶している。
「本当かな?」と疑いながら、本間厩務員を検索してみたら、確かにレイデオロの担当をされている方だった。
すぐに信じられたわけではないが、自分の書いているものが関係者を励ますことに繋がっているのかもしれない。そうだとしたら、非常に喜ばしいことであったし、書くことに自信のない自分にも大きな励みとなった。
世間の日常にダービーという単語がチラホラ入り込んでくる時期、次々とダービー特集の冊子などが発行されていた。
そのダービー特集の冊子の類でレイデオロの記載がないものはほとんどないといってよかった。
愛馬がクラシック戦線の主役級の扱いを受けている。私はこの夢のような時間を目一杯楽しみ、目につく冊子は全部購入した。
今でも時々ページを開き、幸せだったあの頃を思い出す時がある。
とにかく愛馬の無事と良化を祈りつつ、あっという間に迎えたダービーウィーク。
私は午前中に早々とレイデオロの姿を確認するため、パドック最前列に陣取った。
当日は5月下旬だというのに、真夏と言っていい暑さだった。パドックの柵にもたれようとしたが、柵がかなり熱くなっており、あわてて下がった記憶もある。
その暑い中を厭わず3時間以上待って、いよいよその時は訪れた。パドックに現れたレイデオロは、少し気持ちが入っていたように見えた。
ただ、皐月賞の時と違って、勝ちに来ているというのが伝わってくる雰囲気だった。
レイデオロが目の前を通るたびに夢中でスマホのカメラで愛馬の姿を撮っていた。周回を重ねるごとにレイデオロの気合いが溢れて来るのが伝わってくる。
そんな中、藤沢和雄調教師がスタッフに何らかの指示を出していた。
──レイデオロが2人引きになった。

先ほどまでの溢れるような気合いが良い具合に閉じ込められていくのが伝わる。
そして、C.ルメール騎手を背にした愛馬はダービーの大舞台へ向かった。
目の前を過ぎ行く愛馬に全力で念を送り終えると、レースを見守るため、あわてて場所を移動した。
いよいよ発走の時刻となり、全馬がゲートインする。母ラドラーダや兄ティソーナの府中の大舞台のように出遅れるなよ──。と、まずはスタートを決めてくれと祈る気持ちで見守っていた。そしてそのスタートは、そこまで良くはなかったが、母、兄のように致命的な出遅れではなかった。
幸い包まれる心配はなさそうな位置を取れたので「さあ、ルメール騎手はどんな競馬をする?」と愛馬を見つめていた。
レイデオロが動きはじめた時、「お? 位置を上げるのか?」くらいに見ていた。
しかし、大観衆のどよめきで、私が思っていた以上に大きく動いていたことが伝わってきた。引っかかっているわけではない、鞍上の指示に従ったものであることはマイスタイルの番手でピタリと折り合ったことから理解できた。
そして、最後の直線。
これまで、府中で勝利を挙げた騎手のインタビューで「直線は長かった」とよく聞いていたが、まさか、それを自分自身の感覚で知ることになると思わなかった。
何度、愛馬の名、騎手の名、頑張れ、行け、残せと繰り返し叫んだだろう。
私の叫びが声にならなくなった時、その瞬間は訪れた。
──愛馬がダービー馬になった!


後日、ブログに届いた謎のメッセージの真偽を確かめる機会が訪れた。
ダービー祝勝会の席に私はいた。一口馬主をしていなければきっと縁のなかった場所だ。私は広い祝勝会場の中、本間厩務員を探し当てた。
幸い声をかけている人が途切れており、メッセージを送ってくれたブログの主であると名乗り、おそるおそる声をかけた。
「いつも応援ありがとうございます。ゆうすけくん(筆者の愛犬の名前)可愛いですね。コーギー好きなんですよ」
レイデオロの横でよく見せている穏やかな表情で本間厩務員は答えてくれた。
謎の関係者は本物だった。
それどころか、私のブログをしっかり読んでくれていることまで伝わってきた。
■私と愛犬とジャパンカップ
夏を越して、神戸新聞杯からの始動を選択したレイデオロ。目標はジャパンカップということもあり、前哨戦ということから皐月賞のように次に繋がる走りを見せてくれればと思っていた。
しかし、蓋を開けてみれば、びっくりするほどの完勝。あまりに優等生な競馬に、藤沢和雄厩舎の偉大なる先輩たちが見せた隙の無い強さを重ねることができた。
だが、人生は幸せばかりが続くわけではないというのは、当然のことである。
3歳で挑戦したジャパンカップの2週前、私はレイデオロのダービー制覇の喜びと同じくらいの深い悲しみの中にいた。
愛犬のゆうすけが癌のため、13歳の誕生日を目の前に虹の橋へ旅立ってしまったのである。
失意にある私は皐月賞、ダービー、神戸新聞杯と続けてきた現地観戦を諦めることをブログに記した。
そんな時、再びメッセージが届いた。
今度は謎の関係者でなく、本間厩務員と認識できるメッセージだった。
そのメッセージには我が愛犬へのお悔やみと次の一文があった。
完全に悲しみを癒すことはできないかもしれませんが、元気の出る走りをお見せすることができると思います。
私は急遽レイデオロの走りを見るべく、旅の手配をしていた。
パドックでいつもと変わらないレイデオロの姿を見た時、私はレイデオロに励まされた気がした。
最後の直線、私は全てを忘れて、レイデオロの名を、そしてルメール騎手の名を叫んでいた。勝ち馬シュヴァルグランには及ばなかったが、当時の王者、キタサンブラックに先着しての2着だった。

結果は最良のものではなかったが、まだ3歳。来年以降へ楽しみが大きくなった。
何よりも、私は愛犬が亡くなってから、初めて他のことに心を奪われることができたのだった。
■私だけの”Happy horse”
古馬になったレイデオロの始動戦は京都記念に決まった。
目標はドバイSC。
さすがにドバイまでは行けないが、京都記念は応援に駆けつけることにした。
この京都記念を前に、私はレイデオロへの感謝を込めて、応援幕を作成することにした。
初めての経験でありデザインには四苦八苦したのだが、幕に添える文字は自分でも驚くほどすんなり決まった。
Happy horse
レイデオロ

これは藤沢和雄調教師が英国で聞いた「Happy people make happy horse」(幸せな人が幸せな馬を作る)という言葉をヒントにしたものである。
私にとって、レイデオロは私を幸せにしてくれる馬であるのは間違いない。そんなレイデオロへ感謝を伝えたい。
完成した幕を見て、そんな思いを込めることができたと私は満足していた。
ところが、京都記念直前で主戦のルメール騎手が騎乗停止となり、結果は3着。これまでのレイデオロのレース後と違い、この京都記念後、私は初めて次走が不安になっていた。
そして、初の海外遠征となるドバイSC。深夜にテレビ画面に釘付けとなり、愛馬を見守る。
レースは明らかにスローペースとなってしまい、レイデオロは折り合いに苦しんでいるように見えた。
ルメール騎手はダービーのように途中から動く選択はしなかった。しようにもできなかったのかもしれないが、画面越しで見ていて、「動けないか……」ともどかしさが残った。
レースは日本馬最先着ではあったものの、見せ場なく流れ込むような格好で4着。条件が噛み合っていれば、そう思ってしまう結果だった。
ドバイ遠征の疲労を考慮したのか、ここからレイデオロは少し長い休養に入る。
復帰戦はオールカマーと発表されたが、私には一つ大きな不安があった。
それは母、ラドラーダの血である。
現役時代、彼女は条件戦を3連勝した後、阪神牝馬S、ヴィクトリアマイルと挑んだが、結果はどちらも着外。その後、現役を終えるまで勝ち星をあげることはなかった。
もしかしたら、早熟傾向があるのかもしれない……。
そんな不安を、レイデオロの京都記念、ドバイSCでの敗戦に重ねてしまっていた。
それまで次走を待つ時間は、楽しみと無事を祈る気持ちで満たされていた。
しかしこの頃から、そこに小さな不安が混じるようになっていた。
復帰戦となるオールカマー。
自宅で見守る私はいつにも増して祈る気持ちが強かった。
レイデオロのレースを見る大きな楽しみはもちろんあったが、レース前の不安は私の中で大きくなっていた。
しかし、そんな私の心配は杞憂だった。
このレースで、レイデオロは神戸新聞杯以来となる約1年ぶりの勝利を挙げたのである。
再び、レイデオロの次走への思いは楽しみ一色に塗り替えられていた。

そして、レイデオロは日本ダービー以来のGⅠのタイトルを目指し、天皇賞(秋)に挑むことが決まった。
しかし、1週前追い切りで調教中に歩様が乱れたことから、稽古を切り上げるアクシデントが発生したというのだ。
馬場に脚を取られたということにしても、GⅠという究極の舞台を迎えるのに順調でないということはとにかく不安でたまらなかった。
もし最悪の事態になれば……。
そんな嫌な想像が、どうしても頭をよぎった。
しかし、レイデオロを管理するのは藤沢和雄師。馬優先主義を唱える名伯楽なら、必ず馬にとって最善の選択をしてくれると信じていた。
最終週の追い切り後、レイデオロは天皇賞(秋)に出走することが正式に決定。
レースでは、戦前の不安を吹き飛ばすような横綱競馬で完勝し、ダービーとは違う勝ち方でGⅠ2勝目を挙げ、夢はさらに広がっていった。


そして、レイデオロはファン投票1位で有馬記念へ。
一口とはいえ、自分の愛馬がファン投票1位でグランプリレースに出走する。
現実のことなのかと、私は夢心地だった。
しかも、この有馬記念では、口取りの権利が抽選で当たっていたのである。有馬記念という大舞台でレイデオロの口取りができるかもしれない。
有馬記念後にレイデオロとターフに立つ──その姿を夢見て、私はレース前からすっかりイレ込んでいた。
しかし、私の夢はわずかの差で叶えることはできなかった。一世一代と言っていい見事なレースをしたブラストワンピースに、ほんの少し、届かない。ゴール直後は力なくその場に崩れ落ちそうになった。本当に悔しかった。

しかし、有馬記念ファン投票1位に選ばれ、レースでも2着に来てくれた。
本当に素晴らしい馬に巡り逢えたと、同行の友人と、レイデオロへの想いを語り合ったのはいい思い出だ。
■レイデオロと牧場で対面、そしてラストシーズンへ
年明け、天皇賞・秋の祝賀会を前にして、私はレイデオロとの大きなイベントを迎えることとなった。
それはノーザンファーム天栄でレイデオロを間近に見るという機会に恵まれたのである。
少し緊張してレイデオロとの対面を待ち、いよいよその時が訪れる。間近に見るレイデオロの印象は意外にも「可愛い」というものだった。
夢中でスマホを向ける私に舌を出して応えてくれるレイデオロ。そして、レイデオロを引く担当さんは私に願ってもない声をかけてくれたのだ。
──触れてみますかと。
担当さんの言葉に即座に「ありがとうございます」と答え、おそるおそるレイデオロに近づく。音を出してはいけないかもと、心の中で「ありがとう」と声をかけながら、レイデオロの顔を撫でる。
レイデオロは舌を出した変顔をして、私を歓迎(?)してくれているようだった。

天栄でレイデオロを見た週末、天皇賞(秋)の祝勝会ではノーザンファームの代表である吉田勝己さんとレイデオロについて、話をする機会に恵まれた。
「引退したら、いいお嫁さん、たくさんお願いします」という私の言葉に、「ウチはすぐにでも来てほしいんだけどね」と笑った吉田勝己さん。その表情から、種牡馬・レイデオロへの期待も感じることができた。
そして、ダービーの祝賀会に続いて本間さんの元へ。天栄でレイデオロを撫でてきたことを伝えると、
「触れたんですか。あいつ、噛みますよ」
と、笑いながら答えてくれた。そのまま普段のレイデオロの様子を少し聞かせてもらった。
競走馬としての強さだけではない、レイデオロの素顔に触れられたような時間だった。
そして、次走は再びドバイへ挑むことになったレイデオロ。
二度とない機会かもしれないと、私は人生初の海外旅行に行くことを決断する。ドバイの旅も素晴らしかったが、このドバイで最高の経験は、レース前のパドックでパドックの内側に入ることができたことだ。
周囲には現地の関係者と思われる人たちの姿もあり、普段の競馬場とはまったく違う空気が流れていた。
その輪の中に、自分もいる。私はドバイシーマクラシックのパドックに立っていた。
しかし、旅のメインイベントであるレースでは、逃げる形になったレイデオロが力なく直線で抜かれる。今まで見たことのない光景だった。その衝撃で、楽しかったはずのドバイ旅行の記憶が塗りつぶされていた。
残念。それが一番に来た感想だった。
しかし、海外遠征の結果を悔しがれるほどの馬に巡り逢えたこと自体が、どれほどすごいことか。
帰りの機内で、私はその思いを噛みしめていた。
帰国初戦の宝塚記念も、レイデオロらしい走りが見られることはなかった。勝ったリスグラシューはもちろん、逃げたキセキにも大きく離される結果に、私はドバイに続いて大きなショックを受けた。
■夢の時間のおしまい
そして、二度目のオールカマー、復活を信じて祈った二度目のジャパンカップと、いずれも本来のレイデオロの姿を見ることはできなかった。ドバイの大敗から、宝塚記念、オールカマー…。
結果を重ねるたび、私は夢の時間の終わりを感じていた。
例えるなら、別れの予感がある恋人と会う時間のような日々だった。
そして、その予感はジャパンカップの大敗で、もう決定的だなと確信することになってしまった。
別れを確信したが、恋人との別れとは決定的に違うことがあった。確かに終わりはするが、気持ちはまったく冷めていない。
そしてラストランとなる有馬記念。
前走のジャパンカップで全盛期の「走るのが好き」という面影を見ることができなかった。
長いようであっという間だった夢の時間が終わりを告げているのを嫌でも感じていた。
レイデオロのレースを見守り続けて「勝てないかもしれない」という気持ちでレースを迎えたのはこの有馬記念が最初で最後だった。
「オグリキャップの奇跡もあるしな」
ちょうどオグリキャップのラストランとなった有馬記念と、同じ枠、同じ馬番だった。
自分にそう言い聞かせて現地で愛馬のラストランを見守るため、中山競馬場へ向かった。
レイデオロへ感謝の気持ちを込めた横断幕を飾るため、親子ほど歳の離れたレイデオロファンの友人と深夜に船橋のホテルを出て、始発前の時間から中山競馬場の長い行列に並んだ。
当日の記憶はほとんどないのだが、レイデオロの横断幕が一番多かったのは記憶している。
レースの緊張感はそれほど感じなかったのだが、お祭りのような有馬記念の雰囲気を楽しんだ記憶がある。愛馬の無事と勝利を祈り購入した御神酒を友人たちで分け合い、愛馬の健闘を祈った。
──そして、最後のパドック。
馬の状態よりも今にも降り出しそうな空模様が気になって仕方なかった。
幸い、微かに降った程度でレースに影響する雨量ではなかった。
これならレイデオロの力は発揮できる。
正直、全盛時の力を出すことは難しいかもしれない。
しかし、このレースは有馬記念だ。
オグリキャップのような奇跡を期待したい。
「なんとかスタートを決めてくれ」そう祈っているうちにスタートの時間を迎えていた。
残念ながらスタートで出遅れてしまったレイデオロは、終始後方でレースを進めることとなった。同じ勝負服のリスグラシューが圧倒的な強さでゴールを先頭で駆け抜けた時、私は後方の愛馬だけを見つめていた。

ああ、夢の時間が終わる。レイデオロは7着で、最後のゴール坂を駆け抜けた。
彼の力を知る者からすれば、決して満足できる結果ではないが、無事にゴールしたことを心から安堵していた。 そして、本当の意味で夢の時間が終わったことを痛感していた。 検量室前へ引き上げて来る愛馬を一目見ようとするが、私の視界は滲んで愛馬を捉えることができなくなっていた。
4年間に得た数々の素晴らしい思い出が走馬灯のように流れる。
まだこの時間を楽しんでいたい。
感極まるとはこういうことなんだなと、溢れ出る涙をこらえるために、空を見上げた。ちょうどレース後から本降りになってきた雨は涙をごまかすのにちょうど良かった。
グランプリロードに、競走馬としての役割を終えた愛馬が帰ってきた。
滲む視界の先になんとか愛馬を確認する。
彼に出資し、ともに過ごした時間は、私にとって過ぎるほどの宝物だった。
大声を出すわけにもいかないので、心の中で何度も愛馬に告げた。
「ありがとう」
担当厩務員の本間さんはファンサービスなのか、グランプリロード前でレイデオロとの別れを惜しむように何度か周回させていた。その最中に愛馬を労う姿からは「勝てなかった悔しさ」ではなく、「無事に戻ってきてくれた安堵」を強く感じた。
実際にお世話をした関係者と同じというのはおこがましいかもしれないが、私もこの有馬記念のレース後は勝てなかったよりも無事に終えることができたという気持ちが強かった。
笑顔の本間厩務員に何度も撫でられながら、レイデオロが検量室に向かう。
涙でほとんど見えないまま、私の視界からレイデオロが消えていく。
私の夢の時間が終わりを告げた瞬間であった。
■おわりに
今回、レイデオロのことを改めて振り返り、本当に素晴らしい時間を過ごさせてもらったと感じた。
勝った日本ダービーや天皇賞(秋)はもちろん、負けたレースで悔しい思いをした瞬間も、今思えば夢の中の出来事と感じるような、大切な時間だったように思う。
いつの日か、レイデオロで見た夢の続きは、彼の仔で見ることを願い、この文を終えたい。
ありがとう!私のハッピーホース。

写真:alfman、Horse Memorys、H.Kaneko、s1nihs、かずーみ

