
小倉の夏は、どこか人をおおらかな気持ちにさせる。
照りつける陽射しも、まとわりつくような湿った風も、決して優しくはないはずなのに、そこには不思議と懐かしさが同居している。

そんな土地で、昔からよく使われてきた言葉がある。
「よかよか」
思うようにいかない日も、先が見えなくなる時もある。けれど、そんなときでも大丈夫、焦らんでよか──。そんな温もりを含んだ響きだ。
その言葉をそのまま名に冠した、一頭の牝馬がいた。
火の国・熊本で生まれた彼女は、その名の通りに人々を励まし、大きな希望を見せた。
ヨカヨカ。
どこか拍子抜けするほど素朴な名を耳にするたび、多くの競馬ファンが自然と頬を緩めた。そしていつしかその響きは、九州のホースマンたちの夢そのものを象徴するようになっていく。
それは、郷土の願いを背負って走った、小さくて大きなひとつの星だった。

中央競馬において、九州の馬産は決して恵まれた環境とは言えない。
競走馬生産の中心地である北海道と比べれば、生産頭数にも育成環境の規模にも圧倒的な差がある。有力種牡馬が集まり、広大な放牧地が広がる北海道に対し、九州の生産者たちは限られた条件の中で馬づくりを続けてきた。
夏の小倉で組まれる「九州産馬限定競走」は、いまや小倉の風物詩だ。しかし、そうした限定戦を用意しなければならないほど、中央競馬の大きな流れの中で九州産馬が結果を残すことは容易ではない、という現実の裏返しでもあった。
それでも、生産者たちは馬を育てる。いつか自分たちの土地から、希望を乗せて羽ばたく駿馬が現れることを信じて。
そんな祈りの中、熊本の地で生まれ育ったヨカヨカは、早くから並々ならぬ才能を示した。
2歳6月、阪神のデビュー戦では、その秋に京王杯2歳ステークスを制する実力馬モントライゼとのマッチレースをアタマ差で制覇。生まれ故郷の九州に戻ったフェニックス賞でも北海道産のライバルたちを寄せ付けず、続くひまわり賞では57キロの酷量を跳ね返して、あっという間に3連勝を飾った。
「とんでもない馬が、九州から出てきたかもしれない」

そんな期待が、小倉の夏空の下で少しずつ膨らみ始めていた。
秋、ファンタジーステークスで初めての敗戦を喫したものの、人気を落とした阪神ジュベナイルフィリーズでは果敢にハナを奪って5着に粘り込んだ。ソダシ、サトノレイナス、ユーバーレーベン、メイケイエール…のちに競馬界を彩る煌びやかな才能たちに交じり、確かな蹄跡を刻んだのだ。
九州の看板を背負い、大牧場出身のエリートたちに立ち向かう姿。
一度聞いたら忘れないその名前も相まって、彼女にはどこか純朴な愛らしさがあった。けれどレースになれば、その身体に闘志を詰め込み、目一杯のスピードで先頭を目指して駆ける。
前を向き、諦めずに挑み続けるその姿は、九州という土地の力強さそのものだった。
コロナ禍による無観客競馬や入場制限が続き、社会全体に閉塞感が漂っていた時期だったからこそ、私たちはその走りに一層勇気づけられた。人々はヨカヨカに、自分たちの夢を重ねずにはいられなかった。
3歳を迎えたヨカヨカは、フィリーズレビュー、葵ステークスでともに2着と、重賞制覇まであと一歩に迫っていた。そして、1年ぶりに帰ってきた夏の小倉。古馬との初対戦となったCBC賞5着を経て、北九州記念へと駒を進める。
レース名に「北九州」を冠する、小倉の夏を彩る名物重賞。当日は台風の影響による雨に見舞われ、馬場状態は「稍重」まで悪化していた。そんなタフなコンディションの中、ジャンダルムやモズスーパーフレアら百戦錬磨の古馬たちに、3歳のヨカヨカは果敢に挑んだ。
好スタートから道中は5番手を追走。快速馬モズスーパーフレアが雨を意に介さず飛ばす中、ヨカヨカは馬場の良い外目で、スピードと余力のバランスを完璧に保ちながら駆ける。
直線へ向くと、幸英明騎手はヨカヨカの進路をさらに大外へと向けた。一筋の光がくっきりと拓け、雨に煙る小倉の直線が、一瞬、明るくなったように見えた。
一完歩、また一完歩。
鞍上の鼓舞に応えて懸命に地面を掴むたび、見守る者の胸に祈りがこみ上げる。九州の小さな牧場で生まれた牝馬が、矢のように伸びてくる。その背中には、長い年月をかけてこの地で馬を育て続けてきた、数多のホースマンの願いが重なって見えた。
粘るモズスーパーフレア。抜け出しを図るファストフォース。その外から、ヨカヨカ。
雨が打ち付け、泥が飛ぶなかでも、彼女の脚はまったく鈍らない。四肢を目いっぱいに伸ばし、水飛沫を上げながら、ただ一頭、前へ。そして──。
ゴール板を駆け抜けた瞬間、小倉競馬場に歓喜がはじけた。

九州産馬としては16年ぶり、そして熊本産馬としては史上初となるJRA平地重賞制覇。熊本で生まれた一頭の女の子が成し遂げた、歴史的快挙の瞬間だった。
この北九州記念のあと、ヨカヨカが再びターフに戻ることはなかった。
次走のスプリンターズステークスへ向けた調整中に脚部を骨折。彼女は母となるべく、繁殖牝馬として北海道の牧場へと旅立っていった。
もっと見たかった。もっと大きな舞台で、あの快速を響かせる姿を見たかった。そんな悔しさがないと言えば嘘になる。けれど、彼女が灯した希望の火が消えることはない。
九州産馬は、決して劣った存在ではない。ここからでも、全国で戦える馬は現れる。
ヨカヨカの走りは、その事実を歴史に刻んだ。後に続く九州産馬たちは、彼女が切り拓いた道を歩いていくことができる。
北九州記念の季節が巡るたびに、私たちはきっとこれからも思い出すだろう。
夏の小倉を鮮烈に駆け抜けた、一頭の牝馬のことを。故郷の期待を背負いながら、それに押し潰されることなく走り切った、あの愛らしい姿を。
そして、その名前を。
ヨカヨカ。
苦しいときであっても、人は「よかよか」と笑う。そうやって前を向ける人は、何より強い。
彼女が残してくれたものは、「よかよか」と笑いながら夢を追い続けてきた人たちへの、何より温かな贈り物だった。
そしてきっと、その贈り物はこれからも九州のどこかで、新しい夢を育み続けていく。

写真:Stay、十三夜
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