
かつて、王を意味する異名を持つ2頭の競走馬がターフを席巻する時代があった。
そのうちの1頭は金色の暴君オルフェーヴル。そして、もう1頭は龍王ロードカナロア。同じ世代に生を受けた2頭の競走馬は、一方はクラシックから古馬の中長距離路線、もう一方は短距離路線でそれぞれ絶対的とも言える力を堅持していた。
むろん、そのような時代であればこそ、彼らの治世に一矢報いんとするライバルの存在には言及しなくてはならない。例えば、金色の暴君に対するウインバリアシオン。日本ダービーから菊花賞までの3戦をオルフェーヴルの2着で終え、2013年の有馬記念では、ラストランとなるその背中を1番近くで見送ったライバルだ。
龍王に対しては、ドリームバレンチノやカレンチャンも捨て難いが、ここはハクサンムーンを挙げさせていただきたい。こちらは、それまでGⅠ・4勝を含む5連勝中のロードカナロアにセントウルSで一矢報いたライバルと言える。
しかし、私は彼らのライバルとして…いや、彼らの築いた時代に対するライバルとして、もう1頭の馬名を挙げたい。
その名は、ショウナンマイティ。暴君と龍王、別々の戦場に君臨していた2頭の王に迫った1頭の競走馬。私は彼に敬意を込めて、あえてこう呼ばせていただく。時代の革命家ショウナンマイティと。

未だ秘めたる実力と人を惹きつける確かな末脚
ラグジャリーの2008。のちのショウナンマイティとなる競走馬は、新ひだか町にある矢野牧場で生を受けた。桜花賞馬アローキャリーなどを輩出した1913年創業の老舗牧場だ。
ショウナンマイティは、デビュー戦から競走馬としての高い素質を見せ、新馬戦と萩Sを連勝する。たった2戦で、北海道セレクションセールでの自身の落札額となる1200万円を超える獲得賞金を稼ぎ、競走馬しては上々の滑り出しといえるスタートを切った。もちろん、この時点ですでにクラシックの有力候補と見た競馬ファンも多かったことだろう。
しかし、世代上位の壁はなかなかに厚い。初めての重賞レースとなったラジオNIKKEI杯2歳Sは8着、若駒Sでも3着と賞金を積むことができず、春の二冠のトライアルレースとなる弥生賞と青葉賞はともに掲示板までといった具合だ。それでも、持ち前の鋭い末脚でレース終盤には必ずと言っていいほど見せ所を作っていた彼には、「こんなところで終わる馬ではない」という視線が注がれていたように思う。また、弥生賞4着で春の二冠に参戦できなかったという点は、奇しくも父マンハッタンカフェと重なる部分でもあった。
「春の実績馬」と呼ぶにはタイトルが足りず、かといって「夏の上がり馬」と片付けるにはすでに高すぎる地力を示していたこの馬が、ひと夏を越えて再び世代上位と相まみえる時、果たして春時点での力関係に変化をもたらすことができるのか。そのような可能性を期待させるほどに、彼の末脚には人を惹きつける力があるように感じた。
暴君の背中と本格化の証明
3歳の夏。条件戦を勝利し再びオープン馬となると、ショウナンマイティ陣営は神戸新聞杯に駒を進めた。しかし、春の二冠を制したオルフェーヴルやダービー2着のウインバリアシオンの前に、5着という辛酸を舐めることになる。このとき、オルフェーヴルとのタイム差は1秒。暴君の背中はまだ遠かった。
つづく菊花賞においても、ショウナンマイティはいいところを見せることができずに8着となる。その一方で、オルフェーヴルは圧倒的な強さを発揮し、史上7頭目の三冠馬に輝いていた。そう、それはまさに当時の日本競馬において、金色の暴君による治世がまさに始まろうとすることを予感させるような瞬間だったように思う。
菊花賞を終え、世代戦ではなかなか思うような結果を出せずにいたショウナンマイティも古馬になり本格化を迎えることになる。まず、鳴尾記念、大阪城Sをともに2着に好走すると、4歳の春、産経大阪杯を制してついに重賞馬の仲間入りを果たした。
このときの出走馬には、重賞を連勝中だったフェデラリストや前年の天皇賞(秋)を制したトーセンジョーダンに加え、GⅠ馬であるローズキングダムやアーネストリーなど豪華なメンバーがそろっており、一躍にして現役馬の中でも実力上位と言って差しさわりのない存在感を持つ1頭となる。もちろん、このときも驚異的な末脚を披露しての差し切り勝ちを決めており、ショウナンマイティといえば末脚という認識が今までより増して広がっていったように思う。
晴れて重賞馬の称号を手にしたショウナンマイティは、同年の宝塚記念で再びオルフェーヴルと相まみえることになる。そして、ここでは3着と好走。上り最速こそ譲る形となったが、出走メンバー中2位の上りを発揮し、ウインバリアシオンにも先着を果たした。このとき、勝ち馬であるオルフェーヴルとのタイム差は0.5秒。──その差は確実に縮まっていた。

産経大阪杯 - 暴君の背に迫った0.1秒差の衝撃
2013年、5歳の春。京都記念から始動したショウナンマイティは3着と好走し、2戦目には産経大阪杯に駒を進めることになる。そして、そのレースにはオルフェーヴルも出走を予定していた。GⅠレースで当たり前のように勝ち負けとなっているオルフェーヴルに対して、ショウナンマイティの立場は連覇を目指すディフェンディングチャンピオンにして、チャレンジャー。しかし、この時点でショウナンマイティはその末脚で既に一定数の競馬ファンを魅了しており、打倒オルフェーヴルの急先鋒としてショウナンマイティの活躍を望む声も多かったように思う。その期待は単勝オッズにも反映され、ショウナンマイティはGⅠ未勝利馬ながら2番人気に支持されていた。
2度目となる産経大阪杯のゲートが開く。オルフェーヴルは、先団、中団の全頭をまとめて差し切ることができる距離を測るかのように中団の後方に位置取り、ショウナンマイティは、そんなオルフェーヴルをマークするかのように後方2番手で競馬を進めていく。
そして、迎えた直線。4コーナー手前から仕掛けていたオルフェーヴルは、すでに先団馬群に取り付き、間もなくして先頭に躍り出た。エイシンフラッシュも食い下がるが、オルフェーヴルの脚色は衰えない。そんな中、離れた外に進路取って1頭、オルフェーヴルに迫る末脚があった。ショウナンマイティだ。1完歩ずつ確実に距離を縮めていく末脚は、やがてエイシンフラッシュを交わし、オルフェーヴルにもあと半馬身差まで差し迫っていた。しかし、そのタイミングで決勝線を通過。惜しくも暴君にその末脚が届くことはなかった。
タイム差にして0.1秒。初めての対決となった神戸新聞杯では1秒、重賞馬として相まみえた宝塚記念では0.5秒だったオルフェーヴルとの差は、このとき0.1秒にまで迫っていた。しかしそれは、このわずかな差が王者と挑戦者を、勝者と敗者に分けたことも意味していた。
安田記念 - 龍王を脅かすクビ差の猛追
オルフェーヴルとの激戦のあと、ショウナンマイティ陣営が次なる戦場として選んだのは安田記念。この年の安田記念は、スプリント王であるロードカナロアがマイルに参戦ということで話題となっていた。金色の暴君の次に相対するライバルが龍王となったのである。
当時の話題としては、ロードカナロアがマイル戦線への挑戦者のように扱われていたと記憶しているが、それこそショウナンマイティにとってもマイルは初めての距離であり、こちらも挑戦者側であることには違いはなかった。
初めてのマイル戦。ショウナンマイティは、出遅れた。鞍上の浜中俊騎手も、もう腹を括るしかなかったのではないかと推測される。あとは、今までもそうだったように、ショウナンマイティの末脚に賭けるのみ。
直線を向いた時点で、ショウナンマイティはまだ後方。前にも馬がおり、なかなか進路が開かなかった。それでもなんとか活路を見出そうともがくように、外に外にと持ち出す。あとはもう、ぎりぎりの勝負。先頭の方では、大混戦の中からロードカナロアが抜けだしたところだった。
そして、ついに大勢が決したと思われたそのとき、1頭の競走馬が先頭を走るロードカナロアを猛追する。またしても、ショウナンマイティだ。暴君の次は、龍王に対しても持ち前の末脚を遺憾なく発揮し、その勝利を脅かす勢いで迫ってきたのだ。ショウナンマイティはぐんぐんと伸び、今まさにロードカナロアを差し切るかと思われたそのとき…差し切るよりわずかに早いタイミングで2頭は決勝線を通過した。
掲示板に映し出された着差はクビ差。またしても、その末脚が『王』に届くことはなかった。しかし、思わず鳥肌が立つような末脚を披露したショウナンマイティとそれを僅かに凌いだロードカナロアのレースは、名勝負と呼ぶにふさわしいレースであったように思う。
その末脚をいつまでも忘れない
私がこの記事の中で時代の革命家と称したショウナンマイティ。その末脚は、結果として2頭の王に届かなかった。革命という観点で言えば、成就しなかったということになるだろう。
しかし、同じ時代に生きた歴史的な名馬であるオルフェーヴルとロードカナロアの強さが語られるとき、彼らに迫った末脚の持ち主としてショウナンマイティという競走馬がいたことが、多くの人々の記憶の中に生き続けると私は信じて疑わない。

写真:Horse Memorys
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