[新潟記念]マイネルファンロン、コスモネモシン、カラテ。二桁人気の評価を覆して新潟記念を制した馬たち

レース史上屈指の好メンバーが集結した新潟記念。2025年にハンデ戦から別定戦へ変わったことで、GⅠ馬が出走しやすい条件となった。また、左回りで直線が長いコース形態は、数多くのGⅠが開催される東京競馬場と同じ。暑さを除けば好条件でおこなわれる重賞であり、秋のビッグレースで勝ち負けが予想される一流馬にとっても絶好の始動戦になった。

ただ、GⅠ馬がGⅢに出走しても、必ず勝てるわけではないのが競馬の面白いところ。各競馬場のコースは似ているようで異なり、勝つために必要な要素も異なる。そこへ馬自身の状態や天候なども加わるため、出走する全レースで100パーセントの力を出し切れる馬はほとんどおらず、ハンデ戦だった頃の新潟記念では、二桁人気の穴馬が度々激走した。

今回は、二桁人気の評価を覆して新潟記念を制した馬たちを振り返っていきたい。

■2021年 マイネルファンロン

大種牡馬ステイゴールド産駒で、半妹に21年のオークス馬ユーバーレーベン、半弟に25年の日経賞を勝つマイネルエンペラーがいるマイネルファンロンは、美浦・手塚貴久厩舎からデビュー。初戦は9月中山・芝1800mの新馬戦でハナ差2着と惜敗するも、2戦目で順当に勝ち上がった。

その後、スプリングSで3着に好走し皐月賞の出走権を得たマイネルファンロンは、本番で13着と大敗したものの、夏競馬で復帰以降は、ほぼ月1走のペースで出走。翌年4月に1600万クラス(現3勝クラス)を勝ち上がり、オープン昇級2戦目の函館記念でも2着と好走した。

ところが、そこからは一転して苦戦が続いた。2年間で12走したものの連対は一度だけ。抑えが利かず度々折り合いを欠き、4歳時に好走した函館記念も、以後は2年連続14着と結果が出なかった。その3度目の函館記念から中6週の間隔を開けて出走したのが2021年の新潟記念だった。

このレースで17頭立ての12番人気に甘んじていたマイネルファンロンは、スタートでわずかに躓いてしまった。先行、粘り込みを信条としてきた同馬にとっては、一見すると痛恨の出負け。それでも、初コンビのM.デムーロ騎手は無理に挽回を図らずマイネルファンロンもこの状況をすんなりと受け入れ、後方2番手からレースを進めた。また、馬群から離れていたせいか驚くほど折り合いもつき、引っ掛かるような素振りはまるで見られなかった。

一方、前はスタート直後こそ4頭が先手を争ったものの、ショウナンバルディが先頭に立つと流れはすぐに落ち着いた。2番手を4馬身ほど離す逃げでありながら、前半1000m通過は60.0秒のスローペース。最後方までは25馬身近い差があったものの、中間点過ぎから徐々にペースが上がると先行勢や中団待機組もこれに追随し、4コーナーで隊列は前12頭、後ろ5頭に分かれる中、直線勝負を迎えた。

直線に入ると、新潟外回りのレースらしく全馬が横一線にズラッと広がった。その中からラインベックが抜け出しを図りショウナンバルディを捕まえたものの、外から2頭目に進路をとったトーセンスーリヤが残り200m地点で先頭へ躍り出た。

ところが、それも束の間。さらに大外、外ラチ沿いを凄まじい勢いで追い込んできたマイネルファンロンがこれらをまとめて交わすと、最後はトーセンスーリヤに1/2馬身差をつけ先頭ゴールイン。これまでとは真逆のスタイルで重賞初制覇を成し遂げ、3ヶ月前に同じくM.デムーロ騎手とのコンビでオークスを制した半妹ユーバーレーベンに続くタイトル獲得となった。

結果的にこれが最後の勝利となったものの、モデルチェンジに成功したマイネルファンロンは翌年1月のアメリカジョッキークラブCでも11番人気ながら2着に激走。再びファンを驚かせ、4年ぶりのGⅠ出走となった天皇賞(春)で6着、続く宝塚記念も5着と健闘した。そして、8歳シーズンには障害レースにも挑戦し、24年9月のタイランドC(13着)を最後に引退。重賞タイトルを手にした新潟競馬場で誘導馬となったが、マイネルファンロンの活躍はこれだけに留まらなかった。

引退から2週間後に結果が発表された「アイドルホースオーディション2024」において、現役馬部門で見事1位を獲得。自身のぬいぐるみが製作された。さらに、25年秋に放送されたドラマ『ザ・ロイヤルファミリー』の第1話にも出演。レジェンド・武豊騎手との初コンビが実現し、主人公が所有する馬のライバルとして俳優デビューを果たすなど話題に事欠かず、「ファニキ」のニックネームでファンからも親しまれている。

■2013年 コスモネモシン

ダート界で一時代を築いたルヴァンスレーヴの4代母ダイナフェアリーや、名馬ハーツクライの母アイリッシュダンスなど、競走馬としてはもちろん、繁殖としても一流の名牝が勝利した新潟記念。これら2頭のみならず、グレード制が導入された1984年から08年までの新潟記念は、牝馬が非常に強いレースだった。ところが、09年以降は一転して牡馬が牝馬を圧倒。とりわけ10年代は、牝馬にとって厳しい戦いが続いた。その10年代に唯一、新潟記念を勝利した牝馬がコスモネモシンである。

美浦・清水秀克調教師の管理馬となったコスモネモシンは、9月中山・芝1800mの新馬戦でデビューを果たした。その初戦は8着に敗れ勝ち上がりに4戦を要したものの、12月に未勝利を脱出すると、年明け初戦のフェアリーSでは11番人気の低評価を覆し連勝。当時、デビュー8年目の鞍上・石橋脩騎手とともに重賞タイトルを獲得した。

その後、コスモネモシンは勝ち切れないながらも牝馬限定重賞で度々好走。3、4歳時は、それぞれ年間8走とタフに出走を重ねた。ところが、5歳時に2度目の2着と好走した福島牝馬S以後は苦戦が続いた。間に長期休養をはさんだとはいえ、かつての安定した走りは見られなくなり、大敗を繰り返すばかり。そして、その休養から復帰4戦目で臨んだのが、前年13着に敗れた新潟記念だった。

出走14頭のうち、単勝オッズ12倍未満の馬が8頭もいる混戦の中、10番人気(オッズ65.3倍)に甘んじていたコスモネモシンはスタートから中団を追走。ややいきたがる素振りをみせながらも鞍上の松岡正海騎手がなだめ、内ラチ沿いを進んでいた。

一方、前はエクスペディションがハナを切り、1000mを59.9秒で通過した。この時点では止んでいたものの、昼過ぎに降った激しい雨で馬場は力を要する状態になっており、それを考慮すればミドルペース。隊列は途中から全14頭がひとかたまりとなって進み、4コーナーを回ってもその状態に変化はないまま、レースは直線を迎えた。

直線に入ると、逃げ込みを図ったエクスペディションが内回りとの合流点でリードを2馬身に広げた。2番手は、コスモネモシンやファタモルガーナら4頭が横並びとなり、そこから抜け出したコスモネモシンがエクスペディションに並びかけると、残り200mで今度は体半分ほど前に出た。

しかし、エクスペディションの粘りも実にしぶとく、懸命に盛り返しを図ったものの、これをクビ差凌いだコスモネモシンが先頭ゴールイン。馬場とハンデを味方につけたとはいえ、フェアリーS以来3年7ヶ月ぶりの劇的勝利は、牡馬を撃破した末に摑み取った久々の重賞タイトルだった。また、牝馬の新潟記念制覇はこのあと10年以上も実現しなかっただけに、いっそう価値ある勝利となった。

その後、府中牝馬Sで4着、年末の愛知杯でも3着に好走したコスモネモシンは、年明け初戦の京都牝馬S(15着)を最後に引退。繁殖入りを果たした。

これまで誕生した産駒も自身と同じく非常にタフで、初仔のウインライジンは54戦(7勝)、3番仔のウインプロストが46戦(2勝)、4番仔のウインバグースも30戦(2勝)を走破した。また、コスモネモシンはこれまで4頭の牝馬を産み、自身にも9頭の姉と妹がいるなど牝馬が非常に多く、母デュプレを祖とするファミリーから、コスモネモシンに並び、超えていくタフな大物の誕生が期待される。

■2022年 カラテ

トゥザグローリー産駒の牡馬カラテは、美浦・高橋祥泰厩舎からデビューを果たした。ただ、デビュー当初は苦戦が続き、初戦で13着に大敗すると、ダートに活路を見出そうとした2戦目も13着に敗れてタイムオーバーとなるなど、2歳時は6戦中5戦が二桁着順だった。

それでも、年明け初戦で勝ち馬から0.4秒差5着に盛り返すと、1ヶ月後に待望の初勝利。その後、1年以上勝ち星から見放されたものの、翌年6月の八丈島特別を完勝した。そして、このとき初めてコンビを組んだ当時デビュー2年目の菅原明良騎手と出会ったことが人馬の歩みを一気に加速させた。

翌年2月、東京新聞杯で人馬ともども重賞初制覇を成し遂げると、1年後にはリステッドのニューイヤーSも勝利。GⅡ中山記念でも2着に好走した。ただ、2年連続出走した安田記念では結果が出せず、前年は13着で、この年も16着と大敗。そこから3ヶ月の休養をはさんで出走したのが新潟記念だった。

このレースで、実績上位ながら前走の大敗とトップハンデ57.5キロが懸念されたか10番人気に留まっていたカラテは、五分以上のスタートを決めると序盤は6番手あたりを追走。先行馬群の中で脚を溜めた。

一方、前はゴールドスミスが逃げ、3コーナー進入直前でカイザーバローズがハナを奪った。1000m通過は60.5秒と遅く、離れた最後方を追走するプレシャスブルー以外の17頭は、10馬身ほどの一団。その後、3、4コーナー中間でカイザーバローズが後続を引き離しにかかり、ゴールドスミスに2馬身のリードを取る中、レースは直線勝負を迎えた。

直線に入ると、ゴールドスミスがカイザーバローズを捕らえようとしたものの、内から赤い帽子の2頭、ヒートオンビートとカラテが末脚を伸ばし、内回りとの合流点でカラテが先頭に躍り出た。その後ろはフェーングロッテンら4頭横一線の争いとなり、大外からこれらをまとめて交わしたユーキャンスマイルが2番手に上がるも、抜け出してからは後続に影すら踏ませなかったカラテが1.3/4馬身差をつけ先頭ゴールイン。トップハンデをまったく問題にしない完勝で、見事2度目のタイトル獲得に成功したのだった。

その後も菅原明騎手とコンビを継続したカラテは中距離重賞に欠かせない存在となり、秋は天皇賞とジャパンCに出走。それぞれ6、8着と敗れはしたものの、ともに勝ち馬から0.7秒差と健闘し、それ以来となった新潟大賞典で3度目の重賞制覇を成し遂げた。

そして、25年エプソムC(10着)を最後に引退したあとは東京競馬場で誘導馬となったものの、運動中に蹄を痛めて引退。栃木県のブレーヴステイブルで余生を過ごしている。

一方、菅原明騎手は、カラテと重賞初制覇を成し遂げた21年に75勝をあげて大きく飛躍し、24年の宝塚記念ではブローザホーンとコンビを組みGⅠ初制覇。26年6月からはオーストラリアへ武者修行に出発し、その腕に磨きをかけている。

写真:かずーみ

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