[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]永遠の希望と不安を抱え続ける(シーズン2-31)

「ドコフクカゼ、20日に川崎到着で輸送の手配をしました。21日に馬登録する予定です」と長友先生から短いLINEが入ってきました。いよいよこの日が来てしまったかという気持ちです。エクワインレーシングからの移動は、僕と福ちゃんにとっては大学の卒業式のようなものです。これまでは僕が一方的に福ちゃんの教育に投資をしてきましたが、この先は福ちゃんもいち社会人として自分のエサ代は自分で稼いでもらわなければいけません。もちろん足りないときは支援しますし、欲を言えば、たくさん稼いで仕送りをしてもらいたい(笑)。

そうした晴れの舞台であり、新しい旅立ちであるにもかかわらず、同時に移動は最大の不安でもあります。エクワインレーシングから川崎までの片道20時間の馬運車の中で、福ちゃんが大暴れしてしまい、途中で怪我をしてしまったり、または…などと最悪の場面すら想定してしまうのです。馬運車が引き返すなんて前代未聞でしょうが、福ちゃんは生まれたときから前代未聞ですから、何が起こっても驚きません。いや、驚くというよりも、あーやっぱりかという諦めの気持ちになると思います。僕が悲観的すぎるわけではなく、今までの伏線からして、何ごともなく無事に川崎に到着しましたなんて未来が見えにくいのです。

ここまで娘を育て上げた安堵と、そこはかとない不安を強く感じながら、僕はため息をひとつつきました。サラブレッドを生産し、走らせることは、永遠の希望と不安を抱え続けることなのかもしれません。

5月20日に川崎に到着するということは、19日には福ちゃんはエクワインレーシングを出発することになります。その前に一度エクワインレーシングを訪れ、瀬瀬代表をはじめ、マネージャーの松田さんやリーダーの新平さん、福ちゃんの背に騎乗してくれた八木さんたちにお礼を伝えなければいけません。毎月、育成牧場を見学にくる親バカ馬主に嫌な顔ひとつせず快い対応してくださって、動画まで撮らせてもらい、それだけで感謝しかありません。福ちゃんにできる恩返しは、競馬場で走ることです。どれぐらい走るかは器次第ですが、まずは無事にデビューして、1勝を挙げてみせることです。福ちゃんはそんなことどこ吹く風でしょうが。

福ちゃんのゴーグル(eQuick eVysor)に関しての返答もありました。長友調教師が地全協(地方競馬全国協会)に問い合わせをしたところ、日本での使用の前例がないこと、そしてレース中にズレたり、左右どちらかのゴーグルに泥がついて見えなくなってしまった場合、危険だからという理由で使用は認めないとのことです。

想定していたとおりの回答で、思わず笑ってしまいました。前例がないと使えないのであれば、新しい馬具は一生使えません。ゴーグルは頭絡等に結びつけるため上下に大きくズレることはなく、それを言うならば、ブリンカーやシャドーロール等の他の馬具だってズレる危険性はありますし、パシファイアーも両目が泥でふさがってしまう可能性があります。

そもそも福ちゃんにゴーグルが必要かどうか分かりません。エクワインレーシングでは砂やチップを顔にかける練習をしているわけではないので、特に何も着けることなくトレーニングをしています。実際のレースでは、馬群の中を走らざるを得ない場合も出てきますから、キックバックを避けることはできないのはたしかです。たとえ嫌がらなかったとしても、砂や石が左目に入り、炎症を起こしたり、傷になってしまってはいけません。福ちゃんの左目は眼球が小さく、他の馬よりも涙の量が少なく、異物を除去することが難しいからです。

それでも決めつけは良くありません。レース後にすぐに水で洗えば問題ないかもしれず、また他の馬よりも目が小さい分、キックバックが目に入りにくいなんていうメリットもあるかもしれません。これまでもそうでしたが、福ちゃんのような生まれつき小眼球症の馬にたずさわるのは誰もが初めてなわけですから、やりながら進めて行けば良いのです。

福ちゃんのデビューまでの道筋が見え、ゴーグルなどの具体的な話ができるようになるうちに、ルリモハリモの復帰の時期が近づいてきました。本来は3月下旬に帰厩して、4月の川崎開催に出走する予定でしたが、ブルーステーブルからの馬運車で入れ込み、汗だくになって戻ってきたことで、馬体の回復を考慮して復帰が延びていたのです。

レース当日、いつもどおり横断幕を福ちゃんエコバッグに入れて、いつもよりも早く競馬場に到着しました。調べると開門時刻は13:45となっており、あまり早くに着いても待たされるだけだと思い、南船橋駅のカフェで時間を潰しました。13時半ごろに腰を上げて競馬場に向かうと、歩道橋の上からスタンドにすでに大勢の人が入っているのが見えました。僕は目をこすりました。最近、老眼が進んで小さい文字が遠くからでも近くからでも見えなくなったのですが、まさか開門時刻前にスタンドの中に人だかりが見えるとは…。幻視かと思って何度か見てもスタンドに人が入っていますし、再度スマホで開門時刻を調べてみても13:45となっています。大きなクエスチョンマークが頭の上に浮かびながらも、急ぎ足で競馬場に向かって歩きました。

キャロッタ門に到着すると、やはりすでに入場は始まっています。あとから聞いた話によると、あまりにも待っている人が多くて、混雑混乱を避けるために、開門時刻前に開門したとのこと。それは良いとして、横断幕の申請を早くしなければなりません。せっかくのGⅠレース日ですから、目立つ良い場所に張りたいものです。申請所に入ると、真っ先に「1階のスペースがもういっぱいなので、3階になりますがよろしいでしょうか?」と聞かれました。いっぱい?3階?とここでもクエスチョンマークが浮かびます。とりあえず「大丈夫です」と答え、3階の横断幕の場所を探しにいきました。

パドックから見上げたところに、すでに数枚張られていました。良く見ると、川須騎手の横断幕が横並びになっています。川須騎手は人気があるんだなあと思いつつ、川須、川須と読んでいるうちに、カワスカワスカワスという名前の馬がいたなあなんて思い出し、あっタカスタカスタカスだ!なんて自分でツッコミを入れたりします。

チーム福ちゃんの皆さまは誰もまだ到着しておらず、船橋競馬の職員らしき方に手伝ってもらいながら(いつもありがとうございます)、横断幕が落ちないように気をつけながら張っていきます。横断幕を張るのもこれで4回目になりますから、紐も完璧な長さですし、手慣れたものです。この日は風もそれほど強くなく、ビシッと張ることができました。1階から写真を撮ってみると、空の青さと瑠璃の青さが映え、碧雲牧場らしくもあって誇らしい気持ちになりました。

集合場所になっている横断幕がいつもと違う場所にあることもあってか、ポツリ、ポツリとチーム福ちゃんの皆さまが集まり始めます。ルリモハリモの前走以来、5か月ぶりになる方もいれば、初めましての方もいました。一人ひとりと挨拶をして話をしていると、あっという間に第3レースの出走馬がパドックに入り、第4レースの馬たちが装鞍所に集まり始めます。ルリモハリモは3番のゼッケンをつけ、いつもの白いメンコを被って歩いてきました。体重計に乗っている姿が見え、せめて前走よりも増えていてほしいなあと念を送ります。

撮影しながらもルリモハリモを観察していると、後ろ足で後ろの壁を蹴る音が聞こえてきます。遠くからも聞こえるぐらいの強さで蹴っているようです。前回までは見られなかった行動なので、よほど何か嫌なことがあるのでしょうか。前掻きも激しく、何かを訴えているようです。この遠くから見た時点で、すでにメンタルが優れないなあと分かりますし、厩務員も山田厩務員から違う人に交替したようです。

パドックに登場したルリモハリモは、今までの中で最も気負いが目立ち、馬体もデビュー当時の線の細さに戻っていました。馬体重も-3kgと減っており、正直に言うと、何のために放牧に出して、5か月もレース間隔を開けたのか分からないぐらいの出来でした。まるで半年以上、レースを使い詰めて、酷使してきた馬のよう。

僕は川崎競馬でパドック解説をさせてもらっているので、どうしてもその視点で見てしまいますが、ひいき目に見ても冷静に見ても、お世辞にも良いとは言えないパドックです。夢であってくれと思いたくなるほど酷い状態で、ルリモハリモが不憫でなりませんでした。唯一の救いは、調教助手さんでしょうか、いつもパドックで馬を引いてくれる方が目で挨拶をしてくれたことです。僕も目で「よろしくお願いします。いつもありがとうございます」と答えました。こういう小さいけれど大きな行動ができる人がひとりいるだけで、厩舎がどれだけ救われていることか。分かる人には分かる話です。

いつもどおり、馬主エリアに入ると、張田先生が「よろしくお願いします」と話しかけてくれました。「体が戻り切っていませんね」と僕が言うと、「カリカリしちゃって、厳しいな。調教も真っ直ぐ走らないんだよね」と言います。走ること自体が嫌になっているんだなと感じつつ、「夏に向かって、良くなってくると思いますので、長い目で見てあげてください」とお伝えしました。

「1勝できて良かったね」とおっしゃるので、「そうですね」と返しつつ、背筋が凍る思いがしました。たしかに今日のルリモハリモを見ると勝てる気がしませんし、勝てるときに勝てて良かったと思えます。勝たせてくれた張田先生には感謝です。しかし裏を返すと、もうこれ以上勝てないということでもあり、現実を突きつけられた気がしました。張田調教師の長年の経験から見ても、この感じだともう勝てないと教えてくれたのです。普通の調教師であれば馬主に対して、口が裂けてもそんなことを言わないでしょうが、嘘をつけないというか、悪気なく本心を言えてしまうのが張田先生の優しさなのでしょう。この一言が僕の背中を押してくれた気がします。

それでも、ゲートに普通に入って、ポンと出てくれたら能力的に勝ち負けになるのではと淡い期待をしていましたが、レースも無残なものでした。こんな風に書くと、なぐさめてくれるチーム福ちゃんの皆さまには申し訳ないのですが、まったくルリモハリモの良さは出ませんでした。今日のレースを見て感じたことは、競走馬はメンタル面が大事ということ。どれだけ走る能力があっても、走ることを嫌がったり、環境の変化に弱かったり、ちょっとしたことでめげてしまうようでは、勝負の世界では勝てないのです。今まで星の数ほどの肉体的には恵まれた馬たちが、自身の精神的な弱さのせいで、競走馬としての能力を十全に発揮できずに馬生を終えてしまったはずです。ルリモハリモもそのうちの1頭になってしまいそうな、崖っぷちにいるのです。

レース後、張田調教師から電話がかかってきました。「スタート後に横の馬に挟まれてしまい、後ろからになってしまったけど、最後は頑張ってた」とのこと。砂を被ったのを嫌がって下がったのかと思っていたので、挟まれたと聞いてまだマシだと感じました。ただ、挟まれてしまうのはスタートの出が悪いからであって、ポンと出れば挟まれて下がることはないのです。デビュー戦や2戦目で見せた先行力が失われ、前に進もうという気持ちが感じられなかったのが絶望的でした。

木村さんからも電話がかかってきて、僕たちはルリモハリモの将来について語り合いました。木村さんがこんなに真剣に心配してくれているのが嬉しく、「いったんうちの牧場に戻して、青草を食べさせてのんびりさせて、立て直した方が良いかもしれない。3か月ぐらいゆったりさせて、そこから戻せば9月か10月には走れるから」と提案してくれます。僕にはこのまま張田先生にお願いするか、転厩させて川崎競馬に持ってくるかの2択しかない中で迷っていたのですが、そういう手もあるのかと気づかせてくれました。これまで放牧に出していた5か月という時間と200万近い預託料が全てパーになり、しかも浦河までの往復の馬運車代が30万円以上かかるのですが、それでも立て直した方が良いと僕も木村さんも感じたのです。ルリモハリモをこのまま終わらせるわけには行かないと思い、「そうしましょう」と僕は承諾しました。

(次回へ続く→)

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