![[追悼]雨の拳が開いた記憶 - アドマイヤムーンと岩田康誠騎手、忘れ得ぬ「あの頃」へ](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2026/09/FH2000017.jpg)
2026年9月6日、中山競馬場第7レース。
大雨に煙る4コーナー奥のゲートから、18頭が一斉に飛び出した。タイムリミットが近づく芝2000mの3歳未勝利戦。春には皐月賞が行われた同じ舞台で、その頂点を争うことのできなかった馬たちが、半年後、それぞれの未来を懸けて走っていた。
スタート直後から果敢に先手を奪ったのは、水色の勝負服だった。馬群が直線へ向いても、最内で懸命に粘っている。外から何頭もの馬が迫ってくる。それでも先頭を譲らない。急坂を登り切っても脚色は衰えず、17番人気のカテドラルクォーツが、そのままゴール板を駆け抜けた。
鞍上は、岩田康誠騎手。
勝利を確信した瞬間、腰のあたりで拳を翳すあのガッツポーズをした。若い頃、会心の騎乗を決めたときに見せていた、おなじみのポーズだった。
私は、その一瞬を見逃さなかった。
雨のウイナーズサークルで、岩田康騎手は子供のような笑顔を浮かべ、観客に向かってポーズを取っている。そして数分後、場内に大きなどよめきが走る。馬単187万円超(26年9月12日時点史上1位)、3連単5294万円超(同2位)の払い戻し。カテドラルクォーツは未勝利を脱出すると同時に、歴史的な大波乱の主役となった。
もう一方の立役者が、うれしそうに観客へ手を振っている。その姿を見ながら、私は「あの頃」を思い出していた。
近年、GⅠの出馬表で「岩田康誠」の名を見る機会は、全盛期に比べれば少なくなった。しかし、かつての彼はGⅠの常連であり、人気馬の鞍上にその名があることが、ごく当たり前の騎手だった。
ロードカナロアだけではない。デルタブルース、ディープブリランテ、ブエナビスタ、ジェンティルドンナ、ヌーヴォレコルト——。時代を彩った名馬たちの背には、岩田康誠という騎手がいた。「岩田パパ」と声を上げる若いファンたちは、その歴史をどこまで知っているのだろう。
「今の岩田康誠」は、かつてGⅠ戦線の中心にいた「圧倒的な岩田康誠」とは違うのかもしれない。それでも、雨の中で17番人気馬を逃げ切らせた騎乗と、ゴール後の拳を見て、私は気づいた。
彼の中には今も、あの頃の凄みが息づいている——。
地下鉄の中で知った「訃報」
翌日、9月7日の午後。クライアント先へ向かう地下鉄の車内で、スマホに流れてきたニュースを見て、私は思わず息を呑んだ。
アドマイヤムーンの訃報——。
20年以上前、私がサラリーマンのゼッケンを剥がし、半ば勢いで会社を飛び出した頃に出会った、忘れがたい一頭がアドマイヤムーンだった。
当時の私は、今よりずっと尖っていて、闘争心だけは人一倍あった。恵まれた環境より、叩き上げ。温室育ちより、野生の逞しさ。自分の腕一本でここからのし上ってやる——。そんな価値観を拠り所にしていたから、華々しくスターホースの階段を駆け上がるアドマイヤムーンよりも、地道に一歩ずつのし上がってきたメイショウサムソンに肩入れしていた。

アドマイヤムーンは新馬勝ちから3連勝、皐月賞へ向かう頃には6戦5勝(重賞3勝)。対するメイショウサムソンは未勝利脱出まで3戦を要し、9戦4勝(重賞1勝)で皐月賞にたどり着いた叩き上げ。さらに、ノーザンファーム産のアドマイヤムーンには武豊騎手、浦河の個人牧場出身のメイショウサムソンには、クラシック未勝利の石橋守騎手。
しかし春のクラシック戦線は、メイショウサムソンが皐月賞・日本ダービーを連勝。アドマイヤムーンは皐月賞では1番人気に支持されたものの4着に敗れ、日本ダービーはスムーズさを欠き7着に終わる。
「努力すればきっと道は開ける」──私は、スポットライトを浴びるメイショウサムソンと石橋騎手に、自分の未来を重ねていた。

二頭が歩き始めた、それぞれの道
しかし、アドマイヤムーンはそこで終わらなかった。
ダービー後の休養を経て挑んだ札幌記念では、古馬の強豪を相手に堂々の差し切り勝ち。菊花賞には向かわず天皇賞(秋)へ。後ろ目の位置からメンバー最速の切れを披露し3着、人気のコスモバルクやスイープトウショウに先着した。天皇賞(秋)後は海外に目を向け、暮れの香港C(2着)から、年明けの京都記念は59キロを背負いながらも優勝すると、UAEに渡りドバイデューティーフリー(GⅠ・現ドバイターフ)で、世界の強豪を抑えて念願のGⅠ初制覇を果たす。
ドバイデューティーフリー制覇後、アドマイヤムーンは、当時の日本では異例だった海外を転戦するローテーションを組む。それはドバイから日本へは戻らず、直接香港に移動するというもの。香港では、G1・クイーンエリザベス2世Cに出走したが、スローペースのレース展開に泣き、差し脚届かず3着に惜敗した。

一方のメイショウサムソンは、菊花賞4着、ジャパンC・有馬記念ではディープインパクトに歯が立たず。それでも翌春、産経大阪杯(当時GⅡ)を勝ち、天皇賞(春)でハナ・クビ差の激戦を制して、三つ目のGⅠタイトルを手にした。
3歳の頂点を争った二頭それぞれが、まったく違う道を歩き始めていた。
アドマイヤムーンの転機、そして岩田康誠騎手との出会い
香港から帰国後、宝塚記念を目標に調整されていたアドマイヤムーンに、突然の知らせが届く。武豊騎手の降板──。
国内でまだGⅠを勝てていないアドマイヤムーンにとって、宝塚記念は絶好のチャンス。しかも宿敵メイショウサムソンも出走する。しかし、突然の鞍上の交代という試練がアドマイヤムーンにふりかかる。
「鞍上は誰になるのか」と、競馬ファンの視線が一斉に注がれた。
そして発表された新しいパートナーは、前年に地方競馬(兵庫県競馬)から中央へ移籍してきた岩田康騎手だった。その瞬間、私は不思議な違和感と、同時に妙な親近感を覚えた。
武豊騎手という「中央の頂点に君臨する」ジョッキーから、地方競馬出身の岩田康騎手へ。
「武豊流」で育ってきたアドマイヤムーンに合うのか——そんな不安はあった。しかし、どこかでアドマイヤムーンが「階段を降りてきてくれた」ような感覚があった。判官贔屓の私にとって、「岩田康誠」という存在は、自然と心を寄せたくなる騎手だった。
当時の岩田康騎手は33歳。中央移籍の初年度は豪州のGⅠメルボルンCをデルタブルースで制したものの、国内では移籍してからのGⅠ勝利はなく、年間126勝(リーディング3位)の多くは平場だった。それでも、レースを選ばず、一戦一戦をがむしゃらに乗りこなす姿勢は、私の心に強く響いていた。
そして──アドマイヤムーンは、若き岩田康騎手を背に、宝塚記念へ向かうことになる。
迎えた宝塚記念。
アドマイヤムーンと岩田康騎手は、この一戦で共に「悲願」を叶えることになる。メイショウサムソン、ウオッカ、カワカミプリンセス、ダイワメジャー──。時代を彩ったGⅠ馬が一堂に会した豪華な舞台で、アドマイヤムーンはついに「中距離王者」の座を確かなものにした。
直線の攻防。一団となった馬群の内から、ウオッカとカワカミプリンセスが先頭に躍り出る。その動きを見ながら、メイショウサムソンが外から満を持して仕掛ける。鋭い伸びで一気に抜け出し、先頭へ躍り出たその姿は、春のクラシックを連勝した頃の「王者の風格」そのものだった。
しかし…そのさらに外。
大外を回りながら、アドマイヤムーンと岩田康騎手のコンビが、まるで運命に導かれるようにメイショウサムソンへ迫っていく。
抜かせまいとする石橋守騎手。抜き去ろうとする岩田康騎手。
ふたつの馬体が重なり、力と力がぶつかり合うような数秒間——。やがて、アドマイヤムーンが半馬身だけ前へ出たところが、ゴールだった。
アドマイヤムーンは、ついに欲しかった国内GⅠ初制覇を手にした。そして、皐月賞、日本ダービーで苦杯をなめさせられたメイショウサムソンへのリベンジも果たした。
岩田康騎手にとっても、JRA所属騎手としてのGⅠ初勝利。この勝利をきっかけに、彼は数々の名馬と出会い、後に「時代を動かす騎手」へと駆け上がっていく。
名コンビが迎えた大団円
宝塚記念後、夏を休養に充てていたアドマイヤムーンに、再びニュースが飛び交う。ダーレー・グループの日本法人であるダーレー・ジャパンへと所有権が移転されたことが明らかとなり、日本国内での馬主変更になった。厩舎は松田博資厩舎所属のままで、次走の天皇賞(秋)直行も変わらず。
そして迎えた天皇賞(秋)では4ヶ月ぶりの実戦ながら2番人気に支持されたが、1番人気は宿敵メイショウサムソン。鞍上にかつてのアドマイヤムーンの主戦・武豊騎手を迎えたメイショウサムソンとの戦い。アドマイヤムーンとメイショウサムソン、岩田康騎手と武豊騎手──。複雑な巡り合わせに対して、私はアドマイヤムーンがメイショウサムソンを再び打ち負かすことを望んでいた。

レースはアドマイヤムーンが直線で大きな不利を被る。外から伸びようとするアドマイヤムーンに対して内の先頭馬群がごちゃつき進路を塞がれて6着。内をスムーズに回ったメイショウサムソンが早め先頭から押し切って優勝した。
レース後、来年度からダーレー・ジャパン・スタリオン・コンプレックスにて種牡馬入りし、ジャパンCがラストランとなることが発表される。
ジャパンCには、メイショウサムソンも出走する。さらにウオッカ、ポップロック、デルタブルースなど、アドマイヤムーンがラストランとして選ぶには不足の無いメンバー構成だった。
スタート後、フサイチパンドラ、チョウサン、コスモバルクが先頭争いを繰り広げる中、岩田康騎手はアドマイヤムーンを5番手の内へと導いた。メイショウサムソンは中団、ウオッカは最後方。それぞれが自らの道を背負い、勝負どころへ向かっていく。
直線は、チョウサン、コスモバルクを交わしてポップロックが伸びる。メイショウサムソンは大外から先頭集団に取り付き、ウオッカは馬場中央から先頭を伺う。外で繰り広げられる先頭争いに対し、アドマイヤムーンは最内でじっと脚を溜めていた。
そして残り200m。ぽっかりと空いた内のスペースへ、岩田康騎手が迷いなく馬を滑り込ませる。アドマイヤムーンはその手綱に応え、一気に先頭に立つ。
残り100m。外からポップロック、メイショウサムソン、ウオッカが襲いかかり、その差はみるみる縮まっていく。

岩田康騎手の渾身の右鞭、ポップロックが外から並びかける。内か、外か——。
二頭の馬体が重なったままゴール板を駆け抜けた瞬間、岩田康騎手の左拳は、宝塚記念の時と同じように、しっかりと握られていた。
結果はアタマ差。
アドマイヤムーンはポップロックをアタマ差退け、さらにクビ差で宿敵メイショウサムソンを下し、有終の美を飾った。

記憶の中のアドマイヤムーンへ
ジャパンCを最後に北の大地へ帰ったアドマイヤムーンは、その後も折に触れて、私に「贈り物」を届けてくれた。
ハクサンムーン、ブラックムーン、セイウンコウセイ、ファインニードル──。産駒たちがターフを駆けるたび、私はがむしゃらに毎日を戦っていた「あの頃」の自分を思い出した。少し緩みかけていた心の紐を、彼らの走りがそっと締め直してくれた。
岩田康騎手もまた、アドマイヤムーンとの宝塚記念をひとつの起点に、平成を代表する名馬たちと出会い、GⅠの舞台で幾度も輝いた。彼が勝利を重ねるたび、私は「階段を駆け上がる者の強さ」を教えられているような気がした。現状に甘えず、もうひと踏ん張りする。その勇気を、岩田康騎手はいつも自らの背中で示してくれた。
時は流れ、アドマイヤムーンも、岩田康騎手も、そして私自身も──それぞれに年齢を重ねた。歩く速度は少し変わり、背負うものも変わった。
そして届いた、アドマイヤムーンの訃報。
地下鉄の車内でその知らせを目にした瞬間、胸の奥に蘇ったのは、前日の雨の中山で見た岩田康騎手のガッツポーズだった。アドマイヤムーンの背で宝塚記念を勝ったあの日から変わらない闘志を、彼は今も持ち続けている。
そして──17番人気馬を勝利へ導いた雨中の拳が、翌日に届いたアドマイヤムーンの訃報と重なり、私の中に眠っていた記憶の扉を開いたのだ。

アドマイヤムーンは、華やかな才能と努力の積み重ねが同居した、不思議な温度を持つ馬だった。勝つ時は鮮やかで、負ける時はどこか人間くさく、そして立ち上がる時はいつも強かった。
彼自身の物語が、これから新しい章を刻むことはない。
だが、宝塚記念で岩田康誠騎手とともに大外からメイショウサムソンを差し切った姿も、ジャパンCで最内の狭い進路を突き抜けた一瞬も、私の記憶から消えることはない。
アドマイヤムーンが見せてくれた景色は、もう二度と新しくならない。
それでも、あの日々の輝きは色あせることなく、これからも私の歩みに寄り添ってくれるはずだ。
ありがとう、アドマイヤムーン。
Photo by I.Natsume
