
「7歳になってもがんばっている馬って、情が移るんだよな。ましてや、メインレースだけ出てくるオープン馬たちは、友達みたいなもんだわ」
英さんは、いつもそう言いながら、メインレースでは迷いなく高齢馬の単勝を買う。7歳になってもメインレースに顔を出す馬たちは、彼にとって午後の競馬場でたまに会う「同世代の競馬仲間」のような存在らしい。
その競馬仲間の1頭が、スプリンターズSを最後に北の大地へ帰っていく。
ママコチャの引退が発表されたのは、レースが終わってしばらくしてからのことだった。

「このレースが最後なのかもな。まだまだやれると思うけど、牝馬だからなぁ…」
パドックを周回するママコチャを見つめながら、英さんは同じ言葉を何度も呟いた。
単勝馬券をしこたま握りしめ、ゴール前のスマートシートでレースを見届ける。スタート後、中団の内を回ったママコチャは、4コーナー手前で先頭集団のすぐ後ろにつけた。直線では外へ持ち出され、ここから伸びてくるかと思われたが──すぐ前のスターアニスに離され、馬群に飲み込まれるようにゴールへ向かった。優勝したピューロマジックから0.5秒差の10着。
検量室前に戻ってきたママコチャと武豊騎手を、英さんは立ち上がって拍手で迎えた。
その拍手は、勝った馬に送るものとは違う、どこか「ありがとう」と「もう終わりか」という気持ちが混ざった音だった。
12レースが終わり、仲間が集まる西船橋の居酒屋でレモンサワーを飲む英さん。ジョッキを片手に、テーブルに置いたスマホで競馬ニュースを追っている。
ふと、英さんの左手が止まり、ジョッキがテーブルに静かに置かれた。
「やっぱりな……」
「どうしたん?」
「ママコチャが、“ママ”になるってよ……」
英さんは、ジョッキに残ったレモンサワーを一気に飲み干すと、寂しそうに天井を見上げた。
「“白毛じゃない”ソダシの妹」
ママコチャは、母ブチコの二番仔であり、白毛のソダシの全妹として、デビュー前から特別な視線を集めていた。血統背景から妹にも白い馬体を思い描いていたファンは少なくなかっただろう。それだけに、鹿毛の妹が現れたときの驚きは大きかった。まるで、ブチコの白い部分は姉ソダシに、茶色の部分は妹ママコチャに分け与えられたかのようで、姉妹はそれぞれ違う色をまといながら、競馬史に物語を綴っていった。
姉ソダシがデビューから5連勝、3歳春までに阪神ジュベナイルフィリーズ、桜花賞のGⅠを2勝するという華々しい道を駆け上がったのに対し、ママコチャはゆっくりと階段を上るタイプだった。
2歳6月のデビューから初勝利までに3戦を要し、ファンタジーS、年明けのエルフィンSと賞金加算を狙ったが、桜花賞出走には届かなかった。それでも、3歳6月の1勝クラスから3連勝で一気に軌道に乗り、秋にはオープンクラスまで昇格していた。
「白毛じゃないソダシの妹」は再び注目を集め、メインレースの常連としてファンの前に姿を見せるようになった。
転機が訪れたのは4歳夏。
デビュー以来マイル戦を主戦場としてきたママコチャが、初めて1200mの重賞・北九州記念に挑んだ。スプリントの流れに付いていけるのか不安視されたが、レースでは5番手追走から直線で鋭く外へ持ち出し、軽快に逃げるジャスパークローネをゴール前で急襲。1/2馬身差まで詰め寄り、スプリント適性を強く印象づけた。
その勢いのまま挑んだスプリンターズSでは、マッドクールとの激しい叩き合いをハナ差で制し、ナムラクレアを3着に退け、姉に続いてGⅠタイトルを獲得する。
「白毛じゃないソダシの妹」は、芝のマイル戦で輝いた姉とは異なるステージで頭角を現し、「鹿毛のママコチャ」として、自らの時代を築き始めた。

たしかに彼女が手にした重賞タイトルは、4歳時のスプリンターズSと6歳時のオーシャンSの2つだけかもしれない。しかし、ママコチャが競馬界にもたらした存在感は、数字以上のものだった。
7歳の秋まで1200m、1400mの重賞に顔を出し続け、「GⅠ馬ママコチャが出走するレース」として多くのファンを呼び込んだ。高松宮記念は3年連続、スプリンターズSは4年連続。他のスプリント重賞でも、彼女の名前はたびたび出走馬欄にあった。
さらに中央だけではない。6歳秋には船橋競馬場のJBCスプリントに挑み、初ダートで1番人気に推されるほどの信頼を集めた。逃げた5番人気のファーンヒルをゴール前まで追い上げ、2着に入線。7歳春の東京スプリント(大井)では、ナイター照明に照らされながら走るママコチャの姿が新鮮で、地方ファンにも強い印象を残した。

多くのファンが、多くの競馬場で、ママコチャの走りを見て声援を送ることができた。勝つときも、負けるときも、いつも全力で走るママコチャの姿がそこにあった。だからこそ、彼女は長く愛され続けたのだ。
ママコチャが残したものと、引退への思い
ママコチャが私たちに残していったものは、勝ち星の数以上に「時間の積み重ね」だったと思う。華々しい連勝で駆け上がった姉ソダシとは対照的に、ママコチャは一歩ずつ、確かに前へ進むことでファンの心をつかんでいった。クラシック戦線で脚光を浴びたわけでもない。海外遠征で話題をさらったわけでもない。それでも、彼女はいつも私たちの近くにいた。華やかなGⅠデーでなくても、パドックでふと視線を向ければ、そこにママコチャがいた。勝つ日もあれば、届かない日もある。それでも走り続ける姿を身近に見続けられたことが、7歳秋までという長い競走生活の中で、多くのファンの記憶に深く刻まれていった。
スプリント路線に転じてからのママコチャは、まるで自分の居場所を見つけたかのようだった。姉の影でも、血統の話題性だけでもない。「鹿毛のママコチャ」という1頭の競走馬が、確かな存在感でファンを惹きつけた。
「今日はママコチャがいる」
その事実だけで、競馬場の午後が少し特別になる──そんな馬だった。

そして、ママコチャの魅力は「長く走り続けたこと」にある。
2歳初夏から始まり、3歳、4歳、5歳、6歳、そして7歳。高松宮記念に3年連続、スプリンターズSに4年連続で出走するというのは、ただの数字ではなく、毎年のように彼女に会えたという証だ。
競走馬のキャリアは時にあっけなく終わる。ケガ、体調、適性の変化——理由はいくつもある。それでもママコチャは、7歳の秋まで元気に走り続けてくれた。勝ち負けだけでは語れない「時間の積み重ね」が、彼女の魅力をより深くしていくのだと思う。

スプリンターズSが終わった夕刻、ネットニュースで引退の報せを目にしたとき、多くのファンが「覚悟していたけれど、ついに来たか」と感じたはずだ。
その日もママコチャは、いつものように全力で走り切った。2026年のスプリンターズS、10着。通算30戦目のゴールイン。その姿を見届けたファンは、きっと胸のどこかで「これが最後かもしれない」と思いながら拍手を送っていたのだろう。そして、ママコチャのラストランを見たことが、いつか記憶の宝物になっていくはずだ。
ママコチャは、これから「ママ」としてブチコから受け継いだ血を次の世代へつないでいく。白毛の姉と鹿毛の妹がそれぞれの道を歩んだように、ママコチャの仔もまた、どんな色をまとい、どんな蹄跡を描いていくのか——それを想像するだけでワクワクする。
長く走り続けた1頭がターフを去るとき、そこには必ず寂しさがある。しかし、その寂しさは、彼女が多くの時間を私たちと共有してくれた証でもある。
ママコチャが残したもの——。
競馬場でママコチャと過ごした数えきれない午後。
パドックでカメラを構えるファンに向けた、彼女の一瞬のまなざし。
ゴール前で彼女をひと押しした声援の記憶。
そして、「またママコチャに会えた」という喜びの積み重ね。
そのすべてが、ママコチャという1頭の競走馬の物語として完成し、これからも語り継がれていくはずだ。

そして——ママコチャの引退によって、クロフネのJRA現役産駒が姿を消す。
長く愛された血がひとつの区切りを迎えること。それもまた、競馬という時間の流れの中で、静かに胸に残る寂しさである。
Photo by I.Natsume

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