中央競馬には、大きく分けて二種類のレースがある。
一つは平地競走、そしてもう一つは障害競走。
ところが後者についてはあまり知られていないのが現状だ。
今回は、この障害レースについて語りたい。
障害レースの魅力は何と言っても、馬と騎手が人馬一体となって障害を飛越する姿だ。
そう、サラブレッドは空を飛ぶ。
真っ先にゴールを駆け抜ける事を目指しながら。
その姿には言葉では表せない感動がある。
物は試しとはよく言ったもので、食わず嫌いはもったいない。
現地に赴いてその勇姿を目の当たりにしてみては如何だろうか。
先程、障害レースの認知度の低さについて触れたが、原因はいくつか耳にしている。
そのなかでも多いのが「馬が可哀想」というもの。
これについては全く逆の持論がある。
「障害レースは馬の命を繋ぐ場所、そして障害騎手は命綱」
あくまでも私の見解だが、障害レースで活躍する事によって、引退後の余生が保証された馬は数知れない。
そしてもう一つの持論を紹介させてほしい。
「障害レースは、『飛ぶ』という才能を天から与えられた馬が華開く舞台」
平地競走で開花しなかった才能が見直される華舞台、それが障害レースだ。
いわば障害馬は、障害デビューというもう一つの誕生日を与えられたのだ。
しかし世間の認知として、「平地競走で華開かなかった」イメージが先行する事が多い事は否めない。
だが、平地だろうが障害だろうが、競走馬にとって競馬場は華舞台。そして飛越は華だ。
平地を走る才能も、飛ぶ才能も、等しく天からの授かり物ではないだろうか。
決して二流のレースというわけではない。
また、障害レースについて語らなければいけない事がある。
それは、馬と騎手の絆だ。昨今、名コンビというものが減って寂しいという声をよく耳にする。
そんな絆の美しさを堪能できるのが、実は障害レースである。
そう、障害レースを語る上で欠かせない言葉、それは「絆」。
障害馬は障害騎手によって、厩舎と相談しながら「飛べる馬」として作られていく。丸太を跨ぐ事から根気強く。
信頼関係があってこそ、課題をクリアし、ハイジャンプができる障害馬となれるのだ。
「あの馬とあの騎手は名コンビ」。
そしてレースに乗るのは多くの場合、その馬を障害馬として作ってきた、いわば相棒。
人馬一体で障害を越えていくのはレースのみならず、障害転向が決まったその瞬間からである。
もちろん、作った騎手がその馬に乗るとは限らない場合もある。
中山大障害……日本の障害レースの最高峰の一つを勝ち、優勝馬服を着せられた馬。
彼を満面の笑みで讃え、時には鼻面を撫で、優しく語り掛けていたのは、その馬を障害馬として作った騎手であった。
自身は他馬に騎乗していたにも関わらず、まるで自分の事のようにその優勝を喜んで。
「障害騎手が障害馬を作る」という事の何たるかを、その光景に垣間見た。
もちろん素人の私にはわかるはずがない。
しかしそこで見て感じた想いに、思わず目頭を熱くしたものだ。
障害レースの魅力について触れてきたが、実際に観戦しないと伝わらない部分があまりにも大きい。
飛越の華やかさ、一度ご自身の目で確かめてみては如何だろうか。
次回は日本の障害レースの最高峰、中山大障害と中山グランドジャンプについて語りたい。
そこは全ての障害馬や騎手、陣営の目指す、様々なドラマの交錯する栄光の晴れ舞台である。
写真:がんぐろちゃん