キズナ~記録より記憶に残る、絆の名馬〜

「ぼくは、帰ってきました」
その一言に、涙が出たのを今でも思い出す。

衝撃が走った日

「……最大震度は7……特に東北地方の被害は甚大であり……付近の方々は津波の恐れがありますので厳重に注意して下さい……」

あの日、我々から「日常」を奪っていった最悪の日。
2011年3月11日、東日本大震災。
全国に多大な被害を負わせ、死者、行方不明者が多数出た平成の大災害である。

競馬場各地の被害も尋常ではなく、福島競馬場は天井が落ち、次の日に控えていた中山・阪神開催は中止となった。中山競馬に至っては春の開催そのものを見送らざるを得なくなり、クラシック1冠目の皐月賞は東京競馬場で行われるなどの措置が取られた。

この未曾有の大災害の余波に先が見えない、そんな時から2週間後。

2頭の日本馬が、これまで幾多の名馬が挑んでも勝てなかったドバイWCでワンツーフィニッシュ。
1着、ヴィクトワールピサ。
2着、トランセンド。
遠くドバイの地から、希望のメッセージが届いた。
その奇跡、あるいは人馬一体の絆にトランセンドのオーナー、前田幸治氏はある1つの決意を抱いたという。

「来年デビューする1番良い幼駒に、キズナという名前をつけよう」と。

そうして選ばれた馬こそ、父ディープインパクト、母キャットクイルの青鹿毛の牡馬だった。

姉にファレノプシス、近親にナリタブライアンやビワハヤヒデを持つ超良血馬は、育成時代からその素質を垣間見せていた。

凄い馬が行く──大山ヒルズの斉藤ゼネラルマネージャーは、ノースヒルズの育成スタッフからそう聞かされていたという。

そして、いざデビューするとその血と評価にたがわぬ新馬戦圧勝。
次走の黄菊賞も直線で各馬をごぼう抜き。順風満帆なスタートに見えた。

──だが、ここでアクシデントが起きる。

2012年11月24日、京都10R。トウシンイーグルに乗る佐藤哲三騎手が落馬。
内ラチに激突し、復帰が絶望的とも思える程の重症を負ってしまった。この事故で一転、キズナの相棒が空白となる。デビューから手綱を取り続けてきた彼が厳しいとなれば、一体誰に手綱を託すのか──。

陣営が白羽の矢を立てたのは、同じく落馬事故から復帰後低迷していた天才・武豊騎手だった。

運命

2010年3月、ダノンシャンティが制した毎日杯で、ザタイキに乗る武豊騎手は落馬。馬もろともコースに転がり落ちた。勝負服は破れ、帽子やゴーグルは吹っ飛び、意識を失っていたという。

なんとか最悪の事態は避けられたものの、復帰したのは8月の小倉。

そしてそれ以降大きく低迷を続け、2011年にデビュー2年目から続けてきた連続G1勝利の記録も途切れると、それまでは揺るぎのないものだった最多勝の座すら、長らく明け渡した状態だった。

そんな天才に、声がかかる。

この時点で武豊騎手の有力なクラシック候補はティーハーフのみといった状況で、絶対的な相棒は未だに不在。

依頼を断る理由は、無かっただろう。

しかし次走、ラジオNIKKEI杯2歳Sでは同じく良血・シーザリオの仔エピファネイアの後塵を喫する。更には1度競り落としたバッドボーイにも抜かされる3着と、悔しい敗戦となった。

年が明け、エピファネイアとの再戦、そして朝日杯FS2着の汚名返上を図るコディーノとの初対決となった弥生賞では、4コーナーでごちゃつく不利をもろに受け前が詰まり、優先出走権外の5着。

皐月賞の出走は絶望的になると同時に「武豊騎手は、もう昔のように乗れないのではないか」「キズナと手が合っていないのではないか」と言う声も聞こえ始めてきていた。だが、弥生賞で5着に破れた夜、陣営は武豊騎手に「次は毎日杯、頼むな」と連絡を入れたという。

──自身の低迷のきっかけとなった、因縁の毎日杯。

もう負けられない、負けてはいけない。その想いは、非常に強かったはずだ。

ガイヤースヴェルトやバッドボーイ、ラブリーデイなど、最後の皐月賞切符をかけての参戦やその先に待つNHKマイルC、ダービーを見据えての有力馬が出走。

とはいえ、前2走までのレースレベルと比べれば数段、相手の格は落ちていた。

タイセイウィンデイと松山弘平騎手が作るレースペースは1000m58秒6。
明らかなハイペース。後方待機のキズナにはお誂え向きの展開だった。直線、根性勝負に持ち込みながら伸びる事を想定したか、最後の皐月賞切符をかけて岩田康誠騎手とコメットシーカーが外から仕掛けたキズナに合わせる。

しかし、そうした作戦も、彼らの前では関係なかった。
並ばせる間もなく、キズナは飛ぶように弾けた。

先頭を行くガイヤースヴェルトのセーフティリードが、みるみるうちに詰まってゆく。
鞍上のアンドレアシュ・シュタルケ騎手は信じられないというように何度も横を振り返る。

3馬身、2馬身、1馬身。

残り100mで捉えると、今度は逆に突き放す。
1馬身、2馬身、3馬身差がついたところでゴールイン。
過去は振り払われ、阪神は衝撃に包まれた。

これで皐月賞への視界が開けたが、「皐月賞は出ない」と早々に回避を表明。

1冠目にこだわり、皐月賞も日本ダービーもなくしてしまう必要はない。
すべては競馬の祭典、最高峰の栄誉である日本ダービーのために。

京都新聞杯を挟み、日本ダービーへ進む事が佐々木調教師から発表された。

飛躍

新緑の中山で行われた皐月賞は2歳王者ロゴタイプとM.デムーロ騎手が威風堂々、王者の走りで1冠目を奪取。

2着、エピファネイアと福永祐一騎手。
3着、コディーノと横山典弘騎手。
4着、カミノタサハラと蛯名正義騎手。

終わってみれば弥生賞の上位3頭と2歳王者で決まるという、ガチガチの固い決着となった。

その後ろ、6着にテイエムイナズマと武豊騎手がいた。

天才の目は、本番で戦うことになるであろう4頭をどう捉えていたのだろう。

それから3週間が経った、5月4日。

東上最終便、京都新聞杯。
キズナにとって、ダービー前最終調整の舞台。
ダービーで待つ強敵たちを前にして、負けるわけにはいかなかった。

毎日杯同様、1000mは59秒2とまたもハイペース。
武豊騎手は4コーナーで、多少のコースロスなど気にも留めていない。負かせるものなら負かしてみろと言わんばかりにパートナーを外に持ち出した。内回りとの合流地点、ヒルノドンカルロとサトノウィザードを交わす。
残り200m地点、中団から追いすがるハッピーモーメントとアクションスターを置き去りにする。

前にも真横にも、遮るものはなくなった。
後はひたすらに、飛んで行く。前で粘るペプチドアマゾン、ジャイアントリープ、シンネンの叩き合いに目もくれない。

時間が止まったかのような異次元の脚が炸裂する。一杯に追われることなく、圧勝。
力の違いを見せつけ、いよいよ本番、府中の舞台へと駒を進めた。

飛翔

2013年5月26日、雲ひとつない晴天の東京競馬場。
第80回の節目となる、競馬の祭典日本ダービー当日がやってきた。
4着のカミノタサハラが戦線を離脱した以外、皐月賞上位組はこぞって出走。青葉賞からはヒラボクディープ、アポロソニック、レッドレイヴンが参戦した。特にカミノタサハラの主戦であった蛯名騎手が相棒の戦線離脱後、滑り込んで得た「強運のチケット」の持ち主でもあるヒラボクディープには、万感の思いがあったはずだ。
さらに、プリンシパルSからは2連勝でダービー出走を掴んだメイショウサムソンの子、サムソンズプライド。NHKマイルCから、柴田大知騎手涙の男泣きの制覇を見せたマイネルホウオウ。京都新聞杯からペプチドアマゾン、アクションスターと──そして、キズナがやってきた。

人気は前評判通り「4強」が分け合う。

1番人気、1枠1番キズナと5度目の制覇を目指す武豊騎手。2.9倍。
2番人気、4枠8番ロゴタイプと兄からその手綱を託されたクリスチャン・デムーロ騎手。3.0倍。
3番人気、5枠9番エピファネイアと14度目の挑戦、福永祐一騎手。6.1倍。
4番人気、1枠2番コディーノと豪州の名手、前年3着のクレイグ・ウィリアムズ騎手。7.6倍。

その後ろ、20.7倍の5番人気に、3枠5番ヒラボクディープと執念の蛯名正義騎手。

7197頭の頂点を決める記念の祭典はスタートを前にして、既に十分すぎるほどのドラマとストーリーが描かれていた。

大外枠のミヤジタイガとダービー初騎乗の松山弘平騎手がやや手こずりながらもゲートに入ると、14万の熱気に包まるスタンドが一瞬の静寂に包まれ、ゲートが開く。
内からアポロソニックと勝浦正樹騎手、その外から田辺裕信騎手とサムソンズプライドがいく。

両頭が先手を主張し幕を開けた80回目の日本ダービー。

1コーナーを回るところでおおよそ隊列は固まり、ロゴタイプは引っかかりながらも先団から4.5番手に。
内ラチぴったりにエピファネイアと福永祐一騎手がつける。母シーザリオの強すぎる闘争心を受け継いでいた彼は、この春からその旺盛な闘争心が出始め道中引っ掛かることが多くなってきていた。それを抑えるために福永祐一騎手はインコースのラチ沿いに誘導。エピファネイアとのコンタクトを図った。

しかしその闘争心は、果たして折り合いがついたのだろうか。現に1.2コーナー中間点で同じく少しエキサイトしていたロゴタイプは落ち着いたが、エピファネイアは未だに口を割るそぶりを見せていた。

そしてその直後、ぴったりマークする形でコディーノとクレイグ・ウィリアムズ騎手。

朝日杯で2歳王者確実とまで言われながらロゴタイプに黒星を喫した後は勝ち切れておらず、この大一番、陣営はこれまで手綱を取り続けてきた横山典弘騎手から豪州の名手に鞍上をスイッチ。スタートで少し躓き、首を上げて走る初コンビの相棒にも慌てず、エピファネイアの真後ろで圧をかけ続ける。

2頭の後ろに蛯名正義騎手とヒラボクディープ。相棒が戦線離脱した直後、同じ厩舎の国枝師の下で育て上げられてきた同馬で掴んだダービーのチケット。なんとしてでも勝つ、そんな執念すら感じられるほどだった。

そこから更に後ろ、後方4番手にキズナと武豊騎手がいた。
いつもの指定席で、前を行く14頭を見つめる。
各馬のポジションが固まりつつあった2コーナーで、早くもレースは動き出す。

藤田伸二騎手とメイケイペガスターが大外から、先団へ並びかけに行った。2月の共同通信杯でコースレコードを1秒3更新しクラシック候補に名乗りを上げたのも束の間、若葉S、皐月賞共に出遅れ本来の強さを発揮できずに敗北。そしてこの大一番、ペースが遅いと見るや否や一気の進出をはかった。鞍上はフサイチコンコルドを勝利に導いた名手である。それだけに、この動きは不気味なものがあった。

捲ってきたメイケイペガスター以外に進出する馬はおらず、そのまま1000mを通過。
各馬がどう仕掛け、動いていくのかという大欅の向こうを通過していく際、アクシデントが発生する。

未だ引っかかったままのエピファネイアが、大きく躓いたのだ。一瞬、鞍上の福永祐一騎手は、落ちそうになるほどのアクションを馬上で見せたが、何とか持ちこたえる。普通このようなアクシデントがあればレースを投げる事が多いのが競走馬だが、流石は漲る闘争心を持つシーザリオの息子。より一層手応えが良くなったように見えた。

4コーナー、府中の直線526mに差し掛かる。
皐月賞馬ロゴタイプ、前が開け2冠に向けて視界良好。
リベンジを狙うコディーノはロゴタイプに外から馬体を合わせに行く。コディーノの後ろ、悲願成就へ福永祐一騎手エピファネイアと蛯名正義騎手ヒラボクディープ。進路が空くその瞬間に備え、構える。

そして、1番人気キズナと武豊騎手は──。
未だ後方、道が開けていなかった。

残り400mでアポロソニックがメイケイペガスターを交わし先頭に躍り出、ペプチドアマゾンが前の2頭を捉えに出ていた。

その外から王者・ロゴタイプが猛然と襲い掛かる。
2人と2頭、エピファネイアとコディーノも迫る。

──そして。
開けた馬群、更にその外。
白い帽子としなやかなフォーム。
いつの間にか、キズナの前には綺麗な道ができていた。

200mを切る。坂を登る。
アポロソニックとペプチドアマゾンがなおも驚異的な粘りを見せる。
反対に、追ってきたロゴタイプは脚が上がったか伸びず、先頭を行く2頭に迫れない。2冠の夢は、潰えた。
コディーノも同様に、先団に追い付けない。リベンジの栄冠は、遠のいた。

ただ1頭、エピファネイアと福永祐一騎手だけが脚を伸ばす。

残り100m、遂に先頭が入れ替わり、抜け出した。

悲願達成のゴールまで、あとわずか──。

我々の目が、先頭を行く1頭を捉えた時

同時に大外から、全身を使って伸びてくる青鹿毛の馬がいた。

その姿に8年前の人馬が繋がり、重なる。

そして……。

「キズナ差し切ってゴールイン!!」

2分24秒3の夢物語は、決着がついた。

鞍上は5回目の制覇、キズナの父ディープインパクト以来となるダービー勝利。
右手で小さくしっかりとガッツポーズをし、相棒の首筋を何度もたたいた。
圧巻の『ユタカコール』に、何度も何度も応えた。

「最高の気分です。最後は馬の力を信じて彼の力を引き出すことを考えていました。何回勝っても嬉しいけれど、今年は僕の騎手人生の中でも大きいダービーだと思っていました。また、佐藤君の覚悟も悔しさもわかるし、彼の想いをきちんと胸に抱いて乗りたいと思っていました。人と人、人と馬のいろいろな絆の結果が出てよかったです」

武豊騎手 日本ダービー優勝インタビューより

「レース前から馬を信じ切っていたんですが、みんなにおめでとうと言われて泣いてしまいました。これがダービーなのかと。豊ちゃんも最近苦労していたし、そういうものも相まってかな。本当に感動しました」

佐々木晶三師 2013年 第80回日本ダービー完全舞台裏インタビューより

歯車が狂い始めた名手に、奇しくも1人の落馬で巡ってきた好機。
その男の夢を抱いて、最高峰を復活の制覇。
これほどまでにできすぎたストーリーが、果たしてあるのだろうか。

観衆は、ただただ祝福の言葉を彼らに浴びせ続けた。

そして夢は、フランスへ。
秋の凱旋門賞参戦がこの勝利で決定した。

出撃

9月15日、この日フランスロンシャンでは凱旋門賞のステップレースが組まれている。
そのひとつ、ニエル賞にキズナが出走していた。頭数10頭とはいえ、欧州トップクラスの3歳馬達が本番を見据えて出走。

その内の1頭に、イギリスダービー馬ルーラーオブザワールドがいた。
父に世界的名種牡馬ガリレオを持ち、日本でも馴染み深いライアン・ムーア騎手が駆る。
アイルランドの名伯楽、エイダン・オブライエン師の今年のエースだ。

日本とは違いファンファーレもないまま、静かにゲートが開く。
異国の地でもキズナの位置取りは変わらず後方2,3番手を追走。
そのすぐ前にルーラーオブザワールドとフリントシャーと言う実力馬2頭。
一団だった馬群はフォルスストレート直前で縦長へと変わる。直線内を突いてオコヴァンゴが抜け出し、中を突いてフリントシャー。その外、日本のキズナと武豊騎手がフリントシャーの追い出しを待って追い出すと、ダービーの時の目の覚めるような末脚を再び繰り出した。

早々とフリントシャーを競り落とし、先団を行くオコヴァンゴを捉えにかかったその時。
ようやく前が空いたイギリスダービー馬ルーラーオブザワールドが怒涛の末脚を炸裂させる。
抜け出したキズナに、物凄い勢いで迫ってきた。

しかしキズナの脚も鈍らずに伸びる。
壮絶な日英ダービー馬の叩き合い、首の上げ下げ。
僅かにハナ差、日本のキズナが、踏ん張り通した。

「ライアン(ムーア)が勝ったと言ったから負けたかなと思っていましたが、勝ててよかったです。キズナのスタイルを貫いて乗りました。ある程度いいポジションを取れたというのも大きいです。下り坂も上手に走ってくれましたし、本番も期待できると思います」

2013年ニエル賞 勝利騎手インタビューより

その直後、オルフェーヴルがフォワ賞を前年に続いて圧勝し連覇達成。
英ダービー馬を競り落とした世界クラスの3歳馬と、前年掴みかけた栄冠のリベンジを果たさんと再びやってきた、まごうことなき日本最強馬。

今年こそ、遂にあの重い扉を開くことができるかもしれない。
そんな淡い期待はシャンティーからの速報が日本に届くたび「この夢は、現実になる」そう思わざるを得なくなっていった。

そして10月6日、遂にその日は来た。
各地の前哨戦を勝ち上がってきた馬、そして各国の最強クラスが一堂に会する凱旋門賞。

ドイツのバーデン大賞からはキングジョージ馬ノヴェリスト。
アイルランドのアイリッシュチャンピオンSからはザフューグ。
そして、地元フランスのフォワ賞とニエル賞は前述の通り、日本馬2頭が制していた。
残る1つ、牝馬限定のヴェルメイユ賞はフランスオークス馬、ここまで無敗のフランスの牝馬トレヴが制し歩を進めてきた。

そのほか、前哨戦にも出走していたルーラーオブザワールドにフリントシャー、フランスダービー馬アンテロ、JC出走経験のあるジョシュアツリーなど、世界最強馬決定戦にふさわしく、欧州トップホースが揃い踏み。
しかし枠順抽選会を前にしてザフューグが出走を取りやめ、更には本番前日、熱発によってノヴェリストも出走取消となった。

本命クラス2頭が消え、17頭立てとなった凱旋門賞。
英ブックメーカーの1番人気は堂々日本のオルフェーヴル。それに次いでトレヴとキズナ。
オルフェーヴルが昨年の忘れ物を取りに戻ってきたとするならば、キズナは、父とその相棒が残した大きな忘れ物を時を超えて掴みに来た。

そして、ゲートが開く。
オルフェーヴルは五分のスタート。
キズナは武豊騎手がいつも通り、少し後ろの位置取りへと誘導していく。そのまま、トレヴの後ろでレースを進めて行った。
ジョシュアツリーが逃げ、その後ろにニエル賞で負かしたフリントシャーとルーラーオブザワールドが先団を形成する。そのままの様相でレースは進むが、フォルスストレートでキズナが若干ポジションを上げにかかる。
ここでオルフェーヴル、トレヴ、キズナと人気3頭がぴったりと並ぶ形となった。

──が、次の瞬間。

トレヴが一気に先団へと取り付くようにギアを上げてゆく。
キズナとオルフェーヴルはその後ろをマークし、上がってゆく。
そしてキズナの前には、日本ダービーの時と同じように大外に道が用意されストライドを伸ばす、剛脚炸裂の準備が万全に整う。

しかし、そこまでだった。

後に「歴史的名牝」と呼ばれることとなるトレヴの前に、ただただ現実を突き付けられ、大きく突き放されるばかりだった。

オルフェーヴル2着、キズナ4着。
開きかけた歴史の扉は、再び閉じた。

それでも、キズナが世界トップクラスの実力であることは疑いようもなく、来年もう一度この舞台へと帰ってくることを誓い、フランスを後にした。

挫折、そして──。

翌年、8頭立てとは思えぬほどの濃いメンバーが集った産経大阪杯で復帰。
「4強」の最後の砦として菊花賞をぶっちぎったエピファネイアを筆頭に、牝馬2冠を成し遂げたメイショウマンボ、一線級で息長く活躍を続けるショウナンマイティに天皇賞春を12番人気で逃げ切った大波乱の立役者ビートブラック。

人気こそエピファネイアに譲ったが、レースは圧巻の切れ味を再び見せつけ好発進。
そして、そのまま快勝する。
誰もが再度の仏遠征を期待するような、そんな勝利だった。

まさか、これが生涯最後の勝利になるとも知らずに──。

次走・天皇賞春は1.7倍の支持を集め、1つ上の2冠馬ゴールドシップとの対決に注目が集まっていたが、いつもの爆発的な末脚は鳴りを潜め、4着。レース後に骨折が判明する。

一転して、苦境に立たされた。

1年後、京都記念で復帰するが先行した2頭を捉えられず3着。
続く産経大阪杯は、切れ味勝負で負けるはずのないと思われていたキズナが、内からラキシスに差し切られる。

道悪が影響したとはいえ、3歳時なら突き放して勝っていたのではとも思えるようなレース内容は、次走の天皇賞春で切れずに7着に終わったことで現実味を帯びてきてしまう。

そして秋、国内に専念しての復帰を目指す矢先、右前繋部浅屈腱炎を発症していた事が判明。
そのまま現役を引退し、社台スタリオンステーションで種牡馬となることが発表された。

2021年現在、キズナはディープインパクト後継種牡馬争いが激化する中、後継馬筆頭格として、続々活躍馬たちを送り込んでいる。

ファーストクロップから重賞勝ち馬を6頭も送り出し、新種牡馬リーディング獲得とディープインパクトに次ぐ2歳リーディング2位を記録。同年代のエピファネイアの子供達を退け、クラシックトライアルでも悉く彼の産駒を蹴散らし勝利した彼の子供達に、父達のダービーの結果を重ねた方もいるのではないだろうか。

ディープインパクトを「英雄」と評するのならば、その子であるキズナは「勇者」、私はそんな風に思っている。

その名前が示す通り、あの時代に我々が痛感させられた人との繋がりを表す言葉。
そんな大事なことを、佐藤哲三騎手、武豊騎手を通じ我々に考えさせてくれた。
人との出会い、関わり合い──。当たり前すぎて、普段は意識しないかもしれない。

だがもし、前田氏がキズナの才能を見出していなければ。
もし佐々木厩舎に預託していなければ。もし武豊騎手と佐々木厩舎の親交が薄く、ほかの騎手に依頼していたら……。

ひとつでもピースが欠けていれば、このストーリーは描かれていなかった。
そんな奇跡が必然となって起きた「キズナ」というストーリー。
前田氏の想いは、最高の形で競馬界、そして競馬ファンの心に強く残ることとなった。

記録より記憶として残る名馬として。
そして「絆」の子孫たちは、今日も生まれ続ける。

また、競馬場で会うために。

写真:Horse Memorys

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