ディープインパクト産駒といえば。
キズナ、ジェンティルドンナといった馬が、最終直線、父を彷彿とさせる末脚でレースを逆転し勝利をつかむ──というイメージが強い。
代表産駒に数えられるような名馬でなくとも、ディープインパクトの子どもは総じて「前半はゆっくり、後半を速く走る」というレースが得意だ。
しかし、なかにはディープインパクトとは真逆のレースをする産駒もいる。
血統の世界にはデータや傾向は存在しつつも、すべての馬が判を押したように同じではなく、奥が深い。
父ディープインパクト、母の父ストームキャット。
父の産駒において黄金配合とされるこの血統はキズナ、サトノアラジン、リアルスティール、アユサン、ラヴズオンリーユーと、牡馬も牝馬も末脚がしっかりした『ディープインパクト産駒の典型』が顔を揃える。
しかし、この配合にもほかとはひと味ちがう産駒もいる。
それがエイシンヒカリだ。
前半に速い脚を使い、最後まで持続させる、あのサイレンススズカと姿が重なる快速馬だった。
エイシンヒカリのデビューは遅く、3歳春の京都開幕週だった。岩田康誠騎手を背に既走馬相手に4番手から抜け出し初陣を勝利で飾ったエイシンヒカリは5月に500万下、6月に1000万下、9月に1600万下と一気に4連勝でオープン入りを果たした。
転機は和田竜二騎手が乗ったデビュー2戦目の500万下平場戦。
スタートから手綱を押してハナに立ったシゲルタンバに対し、外の2番手に一旦収まったエイシンヒカリは首をあげ、露骨に嫌がる素振りをみせる。折り合いを欠き、パニックに陥らんとするところで和田騎手は手綱を緩め、そのストレスを逃さんとした。
解放されたエイシンヒカリはシゲルタンバからハナを奪い、後続を置き去りにする。そのまま先頭に立ったエイシンヒカリはムキになることもなく、適度にタメが効いた走りでそのレースを逃げ切った。
抑えると荒ぶるが、先頭に立つとリズムを取り戻す。
エイシンヒカリの性質を瞬時に見抜いた和田騎手のおかげで、エイシンヒカリがもっとも力を発揮する戦法が確立された。そしてこれが、半年間でオープンクラスにまで駆けあがった要因となった。
オープン入りを果たしたエイシンヒカリ陣営の次なるレース選択は、秋の東京芝2000mで行われるオープン特別・アイルランドトロフィーとなった。
手綱をとったのはこれまで主戦を務めていた岩田騎手ではなく、横山典弘騎手。4連勝が評価されたエイシンヒカリは断然の1番人気でレースを迎えた。
横山騎手はエイシンヒカリのこれまでのレースを踏襲しつつも、さらなる進化を同馬に望んだ。
スタートからハナに立ったエイシンヒカリに対し、横山騎手は後続を待って溜める競馬をせず、馬の行く気を損なわないように加速させた。2ハロン目から11秒3-11秒3-11秒0とラップを一切落とさず、後続との差を広げる大逃げに出たのだ。
2番手にいたシゲルササグリとの差は、まさに大差であった。
秋の東京2000mで派手に逃げる姿。
これがサイレンススズカを想起させたレースだった。
しかし、ここからはエイシンヒカリの独壇場。あのサイレンススズカの悲劇を塗りかえていく。
最後の直線を迎えたエイシンヒカリはコーナーを曲がり切ってから進路を徐々に外にとりはじめる。最初は気にせず追っていた横山騎手も、追うごとに馬が馬場を斜めに横切るように走る様子に右ムチを入れて矯正を試みるが、制御しきれない。そこで横山騎手は新潟直線競馬のように、外ラチ近くまで飛んでいったエイシンヒカリに対してひたすら矯正することはしなかった。適度に矯正をしつつも、馬に奮起を促し走る方に集中させようとしたのだ。
これが、吉と出た。
エイシンヒカリは2着エックスマークに0秒6差をつけて勝利したのだ。まっすぐ走る後続に対して、斜めに横切りながら走って勝つ。それはそうそう見られる光景ではなく、エイシンヒカリの底知れぬ能力の発露でもあった。
そんな底知れぬ能力は、翌年以降に再び我々を驚かせた。
香港カップで三たび逃走劇を演じ、9番人気ながらGⅠ初制覇。そして翌年には欧州遠征を決行。
フランスのシャンティイで行われたイスバーン賞ではハナを奪われ、2番手に控えさせられるも、直線で後続をぶっち切り、2着に8馬身差をつけ圧勝した。
この衝撃的な勝利に欧州、いや世界が驚いた。ワールド・サラブレッド・ランキングの速報値でジャスタウェイ以来となる日本馬単独首位を獲得したほどに。
競走生活の後半は武豊騎手が主戦を務めたため、そのイメージが強く残るが、エイシンヒカリの競走馬人生に影響を与えたターニングポイントには和田竜二騎手と横山典弘騎手がいた。
あのとき、ハナを奪い返さなければ……。
あのとき、逸走を矯正することだけに終始していれば……。
──きっと、エイシンヒカリの栄光はなかったかもしれない。
前半を速く走るエイシンヒカリはディープインパクト産駒としては『異能の馬』だった。
だが、彼の末脚は遅かったのだろうか?
もしも、前半をゆっくり走ることができれば、後半にディープインパクト産駒らしい破壊力ある末脚を使えたのではないだろうか?
──その想像の答えは、産駒が教えてくれるにちがいない。
写真・Horse Memorys