
■春の到来は名古屋から
ソメイヨシノ開花の便りが全国から届き始める3月最終週。春のGⅠシリーズの幕開けを告げる高松宮記念が、中京競馬場で行われる。その歴史は古く、1971年に「高松宮杯」として創設された。当時は開催時期も距離も現在とは異なり、夏競馬が始まる6月からの中京開催で、距離は2000m。格付けはGⅡながら、日本ダービー翌週の宝塚記念から転戦してくる強豪も多く、ハイセイコー、トウショウボーイ、ハギノトップレディ、オグリキャップといった名馬が優勝馬に名を連ねている。
距離が1200mへ短縮され、GⅠへ昇格したのは1996年。シルクロードSを勝って彗星のように現れたフラワーパークが、ヒシアケボノを完封して優勝した。1998年には名称が現在の「高松宮記念」となり、レース体系の見直しが行われた2000年からは3月末の開催に定着。春競馬の開幕を告げる一戦として、すっかりおなじみとなった。ちなみにその年の覇者はキングヘイロー。ブラックホーク、アグネスワールドを外から差し切った名勝負は今も語り草だ。
現在の形になって四半世紀。数々の名勝負が生まれた高松宮記念の中でも、特に印象深いのが2003年の一戦だ。前年秋のスプリンターズステークスに続き、スプリントGⅠ連覇を果たした牝馬ビリーヴ。そして、その手綱を取ったのは中央移籍直後の安藤勝己騎手。馬の強さと鞍上の巧さが完璧に噛み合ったレースだった。
■ビリーヴがスプリント女王になるまで
ビリーヴは1998年4月26日、北海道鵡川町の上水牧場で誕生した。父はサンデーサイレンス、母グレートクリスティーヌはダンジグ産駒で、ダート短距離で重賞を含む14勝を挙げた快速馬。さらに母の半姉は、1986年の全米年度代表馬レディーズシークレットという良血の一族だ。
ビリーヴは、2000年11月に京都の新馬戦(芝1200m)に出走し、楽に逃げ切ってデビュー戦を飾る。しかし、2勝目が遠く、様々な距離やダート戦にも出走したが、勝ち上がれない。ようやく2勝目を挙げたのは3歳の5月になってから。芝1200mの平場戦で逃げ争いを制して優勝する。ここからのビリーヴは芝コースの1200mを中心に出走し、少しずつ頭角を現していく。
4歳春にはオープンクラスまで昇格するが、クラス替えにより1600万条件に降格。そこからビリーヴの快進撃が始まった。夏競馬の小倉戦で1200mの特別戦を2連勝すると、秋初戦のGⅢ重賞、セントウルステークスを4馬身差で圧勝。勢いそのままに、新潟で代替え開催されたスプリンターズステークスで、アドマイヤコジーン、ショウナンカンプを三番手から直線差し切った。鞍上の武豊騎手が自信を持って最後まで我慢、余裕を持って差し切るという見事な騎乗が光り、ビリーヴは4歳秋にスプリント女王となった。

■「アンカツ」とビリーヴとの出会い
ビリーヴの高松宮記念での鞍上は安藤勝己騎手。公営・笠松競馬でデビューし、天才的な騎乗で名を馳せた名手である。オグリキャップやフェートノーザンに騎乗し、数々の伝説を残した。
1995年、10戦10勝のライデンリーダーで中央挑戦し、報知杯4歳牝馬特別(現フィリーズレビュー)を圧勝。さらに1997年からは、地方所属馬が出走できる中央競走枠が大幅に増加し、安藤勝己騎手の中央競馬での騎乗数、勝利数も増えていく。1999年には笠松のレジェントハンターでデイリー杯3歳ステークスを制し、暮れの朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)でも2着に好走。中央競馬のGⅠ制覇まで、あと一歩のところまでくる。この頃より「アンカツ」のニックネームは、中央ファンの間にも浸透し、「スポット騎乗の名手」として確固たる地位を築いていた。

安藤勝己騎手は2003年2月に中央競馬の騎手試験に合格、3月より中央競馬所属の騎手として騎乗を開始した。この時点での中央競馬での勝利数は、既に190勝をマーク。スポット騎乗のみでこれだけの勝利を積み上げた安藤勝己騎手の「凄さ」がわかる。
中央デビューを果たした3月1日、2戦目で「中央競馬の騎手としての初勝利」を挙げた。デビュー2週目の土曜日にはチューリップ賞(オースミハルカ)、日曜日には中京記念(タガノマイバッハ)で重賞制覇を達成し、さらに翌週のフィリーズレビューもヤマカツリリーで優勝した。
そして安藤勝己騎手の中央デビューから5週目、中央競馬所属騎手として初めて迎えるGⅠレース、高松宮記念の騎乗馬がビリーヴに決まった。ビリーヴへの騎乗依頼は運命的なもので、主戦騎手だった武豊騎手が、同週に行われるドバイワールドカップに騎乗(ゴールドアリュールに騎乗予定も、中東情勢不安により直前で遠征回避)のため、彼に依頼がやってきた。安藤勝己騎手にとってビリーヴへの騎乗は初めてではなく、スポット騎乗時代に一度だけ騎乗している(2002年3月船橋ステークス、3着)。不思議な巡り合わせで、再びコンビを組むことになったビリーヴと安藤勝己騎手。中央競馬所属になって初めて迎えるGⅠレースに、スプリントGⅠ馬のビリーヴで挑めることは、最高のシチュエーションになったはずだ。
■王者ショウナンカンプとの再戦、2003年高松宮記念
前年秋、スプリンターズステークスを制し、GⅠ馬になったビリーヴのその後は、バイオリズムが下降線を辿っていた。スプリンターズステークス後、香港国際競走の香港スプリントに挑戦したが、マイナス20キロで出走し12着に敗れる。年が明けて、高松宮記念の前哨戦に選んだ阪急杯でも見せ場を作れず9着に敗退する。優勝したのは前年の高松宮記念覇者、ショウナンカンプ。スプリンターズステークスこそビリーヴに苦杯を嘗めたが、高松宮記念連覇に向けて仕上がり上々に見えた。
前年の高松宮記念を圧巻の逃げ切りで制したショウナンカンプは、当時のスプリント界の象徴だった。父サクラバクシンオーの生き写し、「とにかく速い」「とにかく止まらない」「逃げれば、もう捕まえられない」。そんな“絶対的な逃げ馬”が、再び中京の舞台に戻ってきた。前年の再現を期待する声は大きく、レース前の空気は「今年もカンプが主役」というムードに満ちている。

ビリーヴは三番手評価まで。CBC賞を勝ち、シルクロードステークス3着、阪急杯2着でまとめてきた福永騎乗のサニングデールに次ぐ3番人気に甘んじる。しかしビリーヴは、地方時代から積み重ねてきた天才的な勝負勘を持つ鞍上を迎え、王者の背中を追い詰める存在として静かに力を蓄えていた。

1枠1番ビリーヴ、2番ショウナンカンプ。最内の白い帽子2頭に注目が集まる中、ゲートが開いた。スタート直後、ショウナンカンプは迷いなくハナへ。鞍上の藤田騎手は、いつもと同じように、軽やかに、しかし力強く飛ばす。前年は二番手との差がすぐに開いていったが、今回は最内からビリーヴが食らいつく。安藤勝己騎手は馬のリズムを崩さず、焦らず、ただ前を行くショウナンカンプを見据えていた。2番人気のサニングデールは外を回りながら中団から好位に取りつく。
直線に向いた瞬間、ショウナンカンプはまだ先頭だった。その走りは、やはり王者の逃げ、誰もが「今年も逃げ切る」と思っただろう。しかし二番手をぴったりとマークしている、ビリーヴの脚色は衰えない。むしろ、ここからが本番と言わんばかりに伸びていく。
残り、100m──。
王者の背中が、ついに射程に入った。安藤勝己騎手の手綱が、そっと合図を送る。
「行け。お前の脚を見せてこい」
ビリーヴが地面を蹴るたびに、世界が後ろへ流れ、ショウナンカンプの背中が近づく。さらに近づく。
そして──白い帽子の二頭が並んだ…。
先頭に立ったビリーヴは、ショウナンカンプを置き去りにして、ゴールを目指す。ようやくサニングデールが外から伸びてくるが、追いつくことはない。
王者を捕らえたビリーヴは、スプリント界の新しい「風」として、先頭でゴール板を駆け抜けた。

アンカツ、中央移籍後初のGⅠ制覇。
ビリーヴ、「春も」女王へ。
ビリーヴと安藤勝己騎手がゴール板を駆け抜けたとき、歓声が大きな波となって押し寄せた。安藤勝己騎手は派手なガッツポーズも見せず、淡々と1コーナーへ駆けて行く。そしてビリーヴの走りを止める時、ようやく彼女の首を優しく叩いた。
それは春の光の中で、ビリーヴと安藤勝己騎手が“未来”をつかんだ、微笑ましいシーンだった。

■その後のビリーヴ、そしてジャンダルムへ
春秋のスプリントGⅠを制覇したビリーヴは、安田記念こそ距離が合わず敗れたが、函館スプリントステークスを圧勝し、ラストランのスプリンターズステークスへ。直線で先頭に立ちながら、最後にデュランダルの鬼脚にハナ差屈した。

ビリーヴと安藤勝己騎手のコンビは、ここでピリオドが打たれ、それぞれの“未来”に向かって歩き始める。ビリーヴは2003年のJRA賞(最優秀4歳以上牝馬)に選出され、繁殖牝馬としてアメリカに渡った。安藤勝己騎手は、実働10か月ながら、中央競馬移籍初年度をリーディング3位となる112勝をマークし、高松宮記念の他、ザッツザプレンティで菊花賞も制覇した。
母になったビリーヴは、ファリダット、フィドゥーシアといった活躍馬を輩出。そして7番仔ジャンダルムは、母と同じ舞台・スプリンターズステークスを制覇する。

19年前、母がデュランダルに差された悔しさ、息子がウインマーベルをクビ差抑えて晴らした——。
いよいよ、春のGⅠ戦線スタートとなる高松宮記念がやってくる。
今年は王者の連覇か、それとも新勢力の台頭か。
見ごろを迎えた3コーナーの大寒桜に向かって走って行く出走馬たち。毎年見られるワクワクするシーンに、今年はビリーヴと安藤勝己騎手の姿を重ね合わせながら、高松宮記念を楽しもうと、私は思っている。
Photo by I.Natsume
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