人生はままならない。あとから振り返って「あの経験があって良かった」「あの出来事が自分を成長させてくれた」と思うことはある。でも、道を歩んでいる最中は、結果が出ないと苦しいし、辛い。周りの期待が大きかったりするとなおさらだ。くじけそうになるし、投げ出したくもなる。それでも前へ進む。ただ、愚直に前へ。 そんなサラブレッドが...
コラム・エッセイ
コラム・エッセイの記事一覧
きっかけは2000年安田記念だった。前年暮れの香港スプリントを勝ったフェアリーキングプローンが10番人気の低評価を覆し、優勝。これを機に香港勢の日本遠征が活発になった。日本の競馬ファンにとって、競馬は1年365日全国どこかで開催されているシーズンオフなき競技だが、世界の競馬にはオフシーズンなるものが存在する。香港では4...
「Sunny」という曲をご存じだろうか。アメリカのR&Bシンガー、ボビー・ヘブの手になる、’60年代ポップスを代表する名曲である。1966年に発売されたこの曲は、ビルボードのシングルチャートで2位となる大ヒットとなっただけでなく、フランク・シナトラやエラ・フィッツジェラルド、スティービー・ワンダーやザ・ベンチャ...
1.競馬界の「大名人」 本題に入る前に、ある将棋棋士の話をさせて欲しい。その棋士は史上4人目の中学生棋士としてデビューし、弱冠20歳で竜王位を獲得。そして竜王戦を5連覇し、「永世竜王」の資格を史上初めて得た。その後もトップ棋士として活躍、名人にもなった。棋士の名は渡辺明。競馬ファンとしても有名だから、読者の中にもご存じ...
すべては、この熱き日のために 「今日はダービーめでたいな」という有名な歌詞があるが、ダービーの日はめでたい。なぜならその日に新たなダービー馬が誕生し、また新たなダービーの歴史が誕生するからである。仮に騎手や調教師、オーナーたちにとっては2度目以降の制覇だとしても、それもまた快挙達成の瞬間であり、めでたいことに変わりはな...
「努力なくして成功無し、努力に勝る天才無し」 出来るだけ楽に生きていこうとする怠け者の私には、耳の痛い言葉である。 1992年の私は、本社の広告宣伝部へ異動になって3年目。担当する業務の難易度がどんどん高まり、1週間8時間×5日勤務では追いつかない位になっていた頃だった。当然、定時を過ぎても残業が当たり前の状態で、と...
私が"史上初・無敗の三冠牝馬"であるデアリングタクトを思い出すとき、まっさきに浮かぶ光景がある。それは彼女が無敗の三冠を達成した秋華賞ではない。 私にとって、最も強烈な印象を残したのは、400日ぶりに復帰したヴィクトリアマイル、本馬場入場のワンシーンである。 コロナ禍によって奪われた我々の歓声。その分まで届けるかのよう...
競馬には色々な格言、定石というものがある。スローペースなら先行馬。ハイペースなら差し警戒。そんな展開読みから導く優位な位置取りもそのひとつ。そして、展開、つまり流れを読むのは競馬において非常に大切だ。騎手のコメントには「緩い馬場で走りにくそうだった」「もう少し流れてくれれば」といった馬場や流れを敗因に挙げる場合が多い。...
年間に約60レース。地方競馬の意地、中央競馬の誇りが激突するのがダートグレード競走だ。 1995年のいわゆる「交流元年」。制度改革によって中央・地方間の連携が強化されると、97年にはダートグレード競走がスタートを切った。G1〜G3まで、中央・地方で共通した格付けが与えられ、所属の枠を超えた戦いが全国で繰り広げられるよう...
淀の直線、最後の一完歩…。 鞍上の巧みな手綱さばきで馬群を縫い上げたレインボーラインは、粘るシュヴァルグランを内から交わし、歓喜のゴールに飛び込んだ。 2018年4月29日。私を競馬に引きずり込んだステイゴールドの、その産駒として3頭目となる春の天皇盾を、レインボーラインと岩田康誠騎手がつかみ取った瞬間だった。 私がい...
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語り継がれし「名馬」たち
レース回顧
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