ダイタクリーヴァ - 冬とハンデ戦を愛した、幻の三冠馬の遺伝子を持つ名馬

日本の競馬を根底から覆した、大種牡馬サンデーサイレンス。産駒は、距離や芝・ダートを問わず、ありとあらゆる条件で活躍を果たした。

その中から、最高傑作を一頭だけ選べといわれれば非常に悩ましい。ディープインパクトやサイレンススズカを支持する声は多くなりそうだが、フジキセキの名を挙げる人も決して少なくないように思う。

フジキセキは、1994年にデビューしたサンデーサイレンスの初年度産駒。出走したレースは、いずれも目一杯の力を出すまでもない完勝だった。朝日杯3歳Sを制した頃からクラシック三冠も夢ではないと噂になり、弥生賞の直線で、一度は並びかけられたホッカイルソーを一瞬で突き放したとき、それは確信に変わった。

ところが、皐月賞を前に屈腱炎が判明。関係者が協議した結果、引退と種牡馬入りが発表された。キャリア4戦4勝。実働にしてわずか6ヶ月半。希望に満ちあふれていたはずの競走馬生活はあまりにも唐突に幕が下ろされ、フジキセキは「幻の三冠馬」と呼ばれるようになった。

その後、シーズンの途中にも関わらず種付けを開始。急遽の種牡馬入りだったが、118頭もの花嫁を集めた。98年にデビューを迎えた初年度産駒からはクラシックやGIといった大舞台でバリバリ活躍するような馬は現われなかったが、それでも「幻の三冠馬」と呼ばれた素晴らしい能力はしっかりと受け継がれていた。そして2世代目から、ダイタクリーヴァという大物が登場したのだ。

ダイタクリーヴァは、平取町の雅牧場に生を受けた。母のスプリングネヴァーは、マイルチャンピオンシップを連覇したダイタクヘリオスの半妹。その父サクラユタカオーは、現役時に天皇賞・秋を日本レコードで制し、代表産駒のサクラバクシンオーも、1200mと1400mの日本レコードを樹立した。

さらに近親には、1975年の皐月賞とダービーを逃げ切ったカブラヤオーがいるという血統。ダイタクリーヴァには、豊かなスピードが受け継がれるしっかりとした下地があった。

その後、栗東の名門・橋口弘次郞厩舎に入厩。11月、京都の新馬戦でデビューを果たす。すると、後のGI・4勝馬で、1ヶ月後に朝日杯3歳Sを勝利するエイシンプレストンを4馬身も突き放す圧巻のパフォーマンス。自身の中に流れるスピードを遺憾なく発揮し、楽々と逃げ切ったのだ。

続く白菊賞こそ2着に敗北。

しかし、厩舎所属の高橋亮騎手に乗り替わった北九州3歳Sでは、格上挑戦にもかかわらず断然の支持に応えて快勝した。

さらに年明けのシンザン記念も、中団追走から勝負所で一気に上昇して直線半ばで抜け出すと、2着に3馬身差をつけて完勝を収めるのであった。

これが、フジキセキの産駒として初の重賞制覇。そして、サンデーサイレンスの孫としてもJRAの重賞初制覇だった。

この勝利により、一躍クラシックの有力候補となったダイタクリーヴァは、2ヶ月半の休養を挟んで東上。皐月賞トライアルのスプリングSへと駒を進めた。

最終的には、単勝で2倍を切る断然の支持。前哨戦とはいえ、かなりの重圧を感じてしまいそうな評価を受けたが、デビュー5年目の高橋騎手とダイタクリーヴァは、それを微塵も感じさせないような横綱相撲を演じて見せる。

この日も、中団につけたダイタクリーヴァは、まるでシンザン記念のリプレイを見るかのように、勝負所で上昇を開始。馬場の外目を通ったものの、楽な手応えで4コーナーを回り、先団へととりついた。

迎えた直線。末脚を全開にして前を追うと、逃げるパープルエビスの抵抗に少し手を焼いたものの、これをゴール前できっちり捉えて快勝。重賞2連勝としたダイタクリーヴァは、クラシックの有力候補から筆頭候補となり、父が直前で諦めざるを得なかった栄光の舞台に、5年の時を経て辿り着くのだった。

ここまで5戦4勝2着1回と、ほぼ完璧な成績。本番の皐月賞で1番人気に推されたことに驚きはなかったが、血統や脚質面から、マイル前後が適性距離と思われたのか。最終的なオッズは3.3倍と、ファンの微妙な心理を表すような評価。それでも、ダイタクリーヴァと高橋騎手は、この大一番で再び完璧なレースを見せる。

スタートが切られると、3番人気のラガーレグルスがゲート内で立ち上がり騎手が落馬。競走を中止する波乱が起きた。一方、そのトラブルが2頭隣りで起きたにも関わらず、影響されなかったダイタクリーヴァは五分のスタート。いつもより前目の4番手につけ、1コーナーを回った。

道中の折り合いは完璧。内ラチ沿いをピッタリと回って、コースロスもほぼない。選ばれし者だけが集うクラシックの舞台だけあって、勝負所の手応えは近走ほど楽ではなかったが、有力馬の多くが外を回る中、ダイタクリーヴァはインでじっと息を潜めながら、4コーナーを回った。

迎えた直線。勝負所で、最短距離を通ったことが活きたか。手応え十分のダイタクリーヴァは、前回、掴まえるのに手間取ったパープルエビスを、持ったまま坂下で捉えて先頭。そこから満を持して、ようやく追い出されはじめる。父が志半ばにして届かなかったクラシックのタイトルは、人馬にとっても初のビッグタイトル。栄光は、すぐ目の前まで迫っていたはずだった。

ところが──。

馬場の中央からただ一頭、前を追ってくる馬がいた。サンデーサイレンスの直仔で、天才・武豊騎手が騎乗するエアシャカールだった。サンデーサイレンス産駒特有の瞬発力にはやや欠けるものの、持久力にものをいわせたまくりが得意。この日も最後方近くからレースを進め、勝負所で一気にポジションを上げていた。

残り50mからは、完全にマッチレースとなったが、一度勢いのついたライバルの末脚はしぶとく衰えることがない。結果、ゴール前で僅かに抜け出したのはエアシャカールだった。

一方、完璧なレース運びを見せたダイタクリーヴァにとっては、悔しすぎる2着。それは、僅かといえどもあまりに大きなクビ差で、父から子に託された夢は、さらにその父サンデーサイレンスの直仔により、すんでの所で阻まれてしまったのだ。

ただ、敗れたとはいえ、決して下を向くようなレースではなかったことも確か。懸念されていた距離の壁があったようにも思えない。次なる目標が日本ダービーになるのも自然だった。

それはまた、橋口調教師にとって念願のタイトル。ダービーこそが自分にとっての年度替わりと公言するレースで、初挑戦となった90年のツルマルミマタオーから、ちょうど10年が経過していた。しかも、4年前には、管理馬のダンスインザダークが圧倒的な支持を集めながら、フサイチコンコルドの神懸かった末脚に屈して2着に敗戦。悔しい思いをしていただけに、この時も並々ならぬ意気込みで臨んでいたのだ。

しかし、そんな師の思いも虚しく、1ヶ月半後に突きつけられた現実は非情だった。

2番人気で大一番に臨んだダイタクリーヴァは、道中、中団よりもやや後ろを追走。エアシャカールやアグネスフライトといったライバルたちから、仕掛けをワンテンポ遅らせ、直線勝負に賭けた。ところが、東京競馬場の長い直線で伸びを欠き、結果、12着に大敗。今度は距離の壁に跳ね返され、キャリア7戦目にして初めて連対を外してしまったのだ。

それでも、この敗戦により、目指すべきところは明確になった。父の念願だったクラシックのタイトル=菊花賞こそ諦めざるを得なかったものの、陣営は、近親のダイタクヘリオスが過去に連覇したマイルCSに向かうことを決断。ダービー以来の実戦となった富士Sで3着とまずまずのレースを見せ、本番へと駒を進めた。

ところが、レース当日にアクシデントが発生。主戦の高橋騎手が9レースで落馬。負傷してしまい、当時まだ地方笠松の所属だった安藤勝己騎手に乗り替わりとなったのだ。とはいえ、1年前のデビュー戦を圧勝した際にコンビを組んでいたのは、他ならぬ安藤騎手。この日、地方所属ながらJRA通算100勝を達成した頼もしすぎるパートナーを迎え、最終的には1番人気でレースに臨むこととなった。

ゲートが開くと、やや立ち後れたダイタクリーヴァは、無理して挽回せずに後方待機策をとった。最初の600m通過は34秒0。GIであることを考えれば、さほど速いペースではなかったが、その後もペースは落ち着かず、結局、1000m通過は56秒9という激流になった。

しかし、そこは百戦錬磨の安藤騎手。その流れをきっちりと読み切り、勝負所でも慌てず騒がずダイタクリーヴァをインへと誘導。皐月賞と同じように、距離ロスを最小限に留めて前との差を詰め、4コーナーを回った。

直線に入るとすぐ、同じ勝負服でスプリンターズSとスワンSを連勝中のダイタクヤマトが抜け出す。そこへ、新馬戦で対戦した因縁のあるダイタクリーヴァとエイシンプレストンが迫り、ギリギリまで脚を溜めていたダイタクリーヴァの勢いがこの日も上回った。

安藤騎手が「もらった!」と勝ちを確信するほど、完璧なタイミングでの抜け出し。残り100m。半年前に掴み損ねた栄光が、再び手の届くところまでやってきていた。

ところが、カメラに映らないほどの死角から鬼脚を駆使し、一気に馬群を飲み込むようにして迫る馬がいた。同じ3歳馬のアグネスデジタルだった。

単勝55倍の13番人気。ここまでダートを中心に活躍し、芝では連対すらない。この時も、武蔵野Sで2着から参戦という異例のローテーションで、完全な伏兵扱い。ただ、その背に跨がっていたのは、美浦所属ながら京都競馬場のGIにめっぽう強い、的場均騎手だった。

これ以上ないほど完璧なタイミングで抜け出しながら、その瞬間アグネスデジタルに飲み込まれ、抵抗する間を全く与えられなかったダイタクリーヴァは、またしても2着に惜敗。当時のコースレコードでGI初制覇を飾った同期の姿を最も近い場所で見届け、一族2頭目のマイル王の座は、あと僅かのところでスルリとこぼれ落ちてしまうのだった。

皐月賞に続く、大舞台での悔しすぎる敗戦。父にビッグタイトルをプレゼントすることは、またしても叶わなかったが、マイル前後の距離で、トップクラスの実力を持っていることは十分に証明した。そんな中、この秋3戦目として出走したのが、生涯初のハンデ戦。鳴尾記念だった。

GIで2着2回の実績からも、57kgを背負う古豪たちと遜色ない56.5kgのハンデが課されたダイタクリーヴァは、この日は一転して先行。最後の直線で抜け出す盤石のレース運びを見せ、ゴール前でヤマニンリスペクトに迫られはしたものの、快勝といえる内容で重賞3勝目。スプリングS以来、実に9ヶ月ぶりの白星を手にした。

さらに、そこから中3週で出走したのが京都金杯だった。このハンデ戦で課された斤量は、2走前に敗れたアグネスデジタルと同じトップハンデの58kg。

それに加え、16頭立ての15番枠からのスタートは、実績上位のメンバー構成とはいえ、いかにも厳しい条件が重なったように思われた。

それでもハンデ戦と相性が良いのか、寒い季節が大好きなのか──。前走と同様に先行したダイタクリーヴァは、課せられた厳しい条件を楽しむように躍動。勝負所でも手応え抜群のまま、4コーナーを回った。

迎えた直線。早目に先頭へと踊り出たダイタクリーヴァだったが、騎乗した松永幹夫騎手には、アグネスデジタルの位置を振り返って確認するほどの余裕があった。

そして、そこから満を持して追い出されると、一気にエンジン全開。後続をあっという間に突き放すと、ライバルのアグネスデジタル(3着)に2馬身半+クビ差をつけてリベンジ達成。

完勝で4つ目の重賞タイトルを獲得し、春のマイル王へ向け順調なスタートを切ったかに思われた。

ところが、断然の支持を集めた中山記念で3着に敗れると、レース中に骨折していたことが判明。父と同じく、春シーズンを前に休養を余儀なくされてしまう。充実期に入ったと思われた矢先、今度は故障に泣く不運。ダイタクリーヴァの歯車は肝心なところで狂いが生じ、復帰は8ヶ月後の富士Sまで待たざるを得なかった。

このレースで、先行したクリスザブレイヴを捕らえることはできなかったものの、2着と健闘。順調な滑り出しを見せたダイタクリーヴァは、前年の雪辱を期すべく、再び1番人気の立場で、マイルCSへと駒を進めた。

しかし、この年もスタートでやや立ち後れた上に、道中は一転してスローな流れ。勝負所でも馬群の大外を回ることになり、その上、直線は得意ではない瞬発力勝負となってしまった。結果は、9着と大敗。12着と崩れたダービー以来、久々に馬券圏内を外してしまい、念願のビッグタイトルにはまたしても手が届かなかった。

GIで、二度完璧なレース運びをしたにもかかわらず、ともに惜敗。そして、充実期を迎えたと思われた矢先の故障。ややもすれば、気持ちが折れてもおかしくないような不運が続いたが、ダイタクリーヴァが好きな季節が再びやってきた。前年と同じく、12月の鳴尾記念から1月の金杯を続戦するローテーションが組まれたのだ。

その初戦、鳴尾記念では、トップハンデの58.5kgが課された。さすがに、斤量が少なからず影響したか、かつて大阪杯(当時GⅡ)を制し、毎日王冠でグラスワンダーと死闘を演じた実績のあるメイショウオウドウを捉えられず、惜しくも2着。残念ながら、連覇達成とはならなかった。

それでも、同じ斤量を背負った京都金杯では、再び躍動。次位とは実に1.5kgの差があったものの、皐月賞と同じように好位のインにつけて抜け出すと、追い込んできたゴッドオブチャンスとミレニアムバイオの追撃を完封。酷量を実力で跳ね返す、文句のつけようのない勝ち方で、レース史上初、そして2021年現在、唯一となる連覇を成し遂げたのだ。

これで、全7勝中6勝を11月から1月の3ヶ月間でマーク。ハンデ戦の成績も4戦3勝2着1回となった。ただ、GIで2着2回の実績からすれば、ハンデ戦の好成績もある意味実力どおりの結果。欲しいのは、あくまでもGIのタイトルだったはずである。

5歳を迎えたダイタクリーヴァにとって、覚醒のときはこれから、3度目の正直を実現する準備は万全……と思われたが、4着以下がわずか2回のみと安定性が魅力だったダイタクリーヴァは、どうしたことか、ここから一気に崩れてしまう。

迎えた4月。別定戦のマイラーズカップで59kgを背負い8着に敗れると、初の1400m戦となった京王杯スプリングカップでも9着と崩れ連敗。さらに、そこから挑んだ安田記念では、なんと17着に大敗してしまった。

その原因は、レース中の故障。屈腱を断裂していたことが判明し、全盛を迎えると思われたシーズンは一気に暗転。ダイタクリーヴァの現役生活は、父と同じように、突如として幕が下ろされてしまったのだ。

その後、引退が発表されたダイタクリーヴァは、ブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬入りを果たした。サンデーサイレンスの孫で、重賞を制した馬としては最初の種牡馬入りだった。

種付け頭数も、3年目以降は毎年10頭前後と、決して産駒数に恵まれた訳ではなかったが、個性派ともいうべき産駒が数々誕生した。

まず、自身と同じ雅牧場で生産されたブライティアパルスは、父も得意としたハンデ重賞のマーメイドSを勝利。ルールプロスパーは、ハンデ戦ではないものの、重い斤量との戦いになる障害レースで活躍し、京都ハイジャンプを連覇。同時に、2歳から10歳まで、実に9年連続で勝利を挙げるという離れ業も演じている。

一方、地方競馬ではエレーヌが重賞を8勝し、リアライズリンクスも南関東の重賞を4勝。2017年にその生涯を閉じるまで、細々とではあるものの、ダイタクリーヴァは個性派を続々と輩出した。

ダイタクリーヴァを思い出すとき、エアシャカールの追撃を振り切っていれば……マイルCSで、あとほんの少しスタートを上手に出ていれば。あの春、故障せず無事に走れていたら──そういった言葉が、つい口を突いて出てしまうかもしれない。しかしGI馬となる夢はついに叶わなかったが、それでも、冬の京都で抜群の強さを見せた彼の姿をしっかりと記憶しているファンも、決して少なくない。

冬が来ると、私もまたダイタクリーヴァを思い出す。

写真:かず

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