[連載・馬主は語る]家族になろうよ(シーズン2-最終話)

慈さんがとねっ子を、優駿スタリオンステーションのスタッフの方がスパツィアーレを、馬運車から引いて来ました。直接種付け場に行くのではなく、まずは当て馬が当てられ、きちんと発情があるかどうかを確かめられます。発情が来ていければ、無駄打ちになってしまうからです。普段、無駄打ちばかりしている僕たちと違って(笑)、できる限り互いに負担をかけないよう、1回で受胎させたいのです。オッケーが出ると、種付け場に母子一緒に入ります。スパツィアーレは暴れないように太い棒に縛り付けられ、僕は心が少し痛くなりました。とねっ子は母親が見える傍らで慈さんが手綱を持っています。種牡馬が蹴られて怪我をしないよう、繁殖牝馬の後ろ肢の蹄には靴のような防護具が履かされます。陰部を洗浄してもらい、準備完了です。

近くで待機していた、チュウワウィザードが連れられてきました。先ほどまでは少し柔らかかったペニスがもう硬く、さらに大きくなっています。あそこが大きい男性を馬並みと呼ぶ表現がありますが、どう考えても馬並みはウソです。とにかく大きく長く太く硬いものをたずさえて、チュウワウィザードはスパツィアーレに乗っかかり、たて髪を咥えます。僕の想像どおり、チュウワウィザードはそこまで体が大きい馬ではなく、明らかにスパツィアーレの方が大きな馬体をしています。このとき僕は、互いの弱点を補い合える組み合わせだと感じました。

圧巻はそこからです。ひと突き、ふた突き。そこで一瞬、2頭の動きが止まりました。スタッフの方々は種牡馬の尾っぽが震えているかどうかなどで射精を確認するようです。僕の位置からは、チュウワウィザードが発射したのかどうかは分かりませんが、あっという間に事は終わってしまったようです。スパツィアーレからすっと降りて、何ごともなかったように立ち去ってゆくチュウワウィザードを見て、僕の素直な感想としては、男らしいと思いました。このポリコレ全盛の時代にこんなマッチョなことを書くと怒られてしまうかもしれませんし、何をもってそう感じたのか説明できませんが、とにかく男らしいと思ったのです。その躊躇なさや、力強さ、一瞬性などでしょうか。

種付けを体験するまでは、一緒について行く仔馬にとってトラウマになってしまうのではないかとか、毎年、人間の都合で種付けされる繁殖牝馬に申し訳ないなどと勝手に想像していたのですが、実際は違うように感じました。仔馬はひと鳴きしていましたが、思っていたよりも大人しくしていましたし、スパツィアーレは事が終わったあと、ひと仕事終えたように、何だか誇らしげに帰って行ったように僕の目には映りました。慈さんがひとりでスパツィアーレととねっ子の2頭を引っ張って、馬運車に乗り込んでくれてひと安心です。僕たちはスタッフの方々に「ありがとうございました」と挨拶をして、優駿スタリオンステーションをあとにしました。

碧雲牧場に戻ると、お母様が待ってくれていて、馬運車の扉を開け、スパツィアーレととねっ子を降ろして放牧地まで連れていきます。とねっ子は初めての輸送で疲れたのでしょうか。座り込んで休憩し始めました。スパツィアーレはとねっ子を優しく見守りながらも、さっそく餌を食べています。昨年、ジェイエス繁殖馬セールで初めて見たときは、身体が大きくて、シンボリクリスエス産駒ということもあって少し煩いところがありそうで、牧場の皆さんには迷惑を掛けそうだなと思ったこともありましたが、「スパツィアーレは人間にも悪さをしないし、子煩悩だし、何があっても落ち着いている良いお母さんですよ」と言ってもらえました。今回の種付けを見てもそのとおりだと思いました。僕は素晴らしい繁殖牝馬に巡り会ったのかもしれません。

ダートムーアととねっ子が放牧されている場所にも足を運びました。ダートムーアは3月22日にタイセイレジェンドを種付けし、無事に受胎しています。とねっ子には前回会ったのが生後1か月後でしたので、そこから2週間が経ち、どれぐらい成長しているでしょうか。放牧地に入ってしばらくすると、彼女たちは僕の側に寄ってきてくれました。「さすがオーナーさんのことが分かるんだね」と慈さんは気の利いたことを言います。まさか向こうから来てくれるとは思わなかったので、嬉しさ半分、驚き半分です。

僕がカメラを構えているので、とねっ子は興味本位でしょうか。前回会ったときに人参をあげたので、ダートムーアはそれを覚えているのでしょうか。いずれにしても、碧雲牧場の馬たちは人懐っこくて可愛いのです。生後2日目は、ダートムーアの後ろに隠れて恥ずかしそうにしていたとねっ子も、もう自分から人間に近づいてきて、お母さんが少し離れてしまっても、全く気にすることなく僕たちの側から離れません。保育園に預けても何の心配もない子ですね。

「僕たちのような小さい牧場にできることは、たくさん触ってあげたりして人間との信頼関係を築くことです。サラブレッドはずっと人間と共に生きて行かざるを得ないので、人間に可愛がられるかどうかってすごく大事ですからね」と慈さんは言います。そういえば、かつて碧雲牧場の生産馬であるジャスパーゲランが、育成で跨ってくれたジョッキーに「とても可愛い馬」と称されていたことを思い出しました。レースで走るかどうかは別の話ですが、馬生における幸せを考えたとき、人間との関係性の良さは大切だと僕も思います。とねっ子のふわふわとした産毛に頬を擦りよせながら、彼女の幸せを願いました。

ダートムーアやスパツィアーレ、そして寄り添ってくるとねっ子たちに囲まれて、僕は家族が増えたような感慨を覚えました。自分の家族だけではなく、友人の子どもから、ダートムーア親子とスパツィアーレ親子まで。人生の折り返し地点をすぎ、守ってあげたいと思える大切な人たちが一気に増えたのです。今まで自分勝手に生きてきて、ずっと守られる側であった僕が、いつしか守る側に立っている。振り子のおもりのように、守られる人生から守るべき人生に重心が移動していることにふと気づかされたのです。それはとても不思議な感覚でした。

ダートムーアは、タイセイレジェンドの仔を無事に産むことができるのでしょうか。スパツィアーレは、チュウワウィザードの仔を受胎することができるのでしょうか。心配の種は尽きませんが、そこには大きな希望もあります。未来が待ち遠しいような、今このまま時が止まってほしいような、複雑な気持ち。もしかすると、これがいわゆる幸せと呼ばれている感情なのかもしれません。馬主になろうと思っていたらいつの間にか生産の世界に足を踏み入れてしまい、気がつくと僕は幸せになっていたのです。

(シーズン2終了)

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