[セントライト記念]ガイアフォース、レオリュウホウ、アドマイヤボス。前走1勝クラスからセントライト記念を制した馬たち

日本競馬史上初めてクラシック三冠を達成した名馬の功績を称え創設されたセントライト記念は、3着までに菊花賞の優先出走権が与えられる。図式としては、春のクラシック出走馬vs条件戦を勝ち上がってきたいわゆる「夏の上がり馬」になることが多いものの、結果としては前者、とりわけ前走ダービー組が良績を収めている。

とはいえ、前走条件戦組が圧倒的に劣勢というわけではなく、過去40年で13勝。その内訳は、前走2勝クラス組8勝、1勝クラス組5勝で、同じ菊花賞トライアルでも関西でおこなわれる神戸新聞杯とは、特に前走1勝クラス組の成績は大きく異なる(過去40年で前走1勝クラス組の連対なし)。

今回は、前走1勝クラスからセントライト記念を制した馬たちを振り返りたい。

■2022年 ガイアフォース

キタサンブラック産駒で、母が地方重賞を5勝したナターレという良血の芦毛馬ガイアフォースは、栗東・杉山晴紀厩舎からデビュー。初戦は9月小倉・芝1800mの2歳新馬戦で、結果は勝ち馬からクビ差の2着だった。ただ、その勝ち馬は、当年の朝日杯フューチュリティSを制し、翌年以降もダービーや有馬記念などGⅠを計5勝するドウデュース。もちろん、そうなることはこの時点で誰も知る由はなかったものの、ガイアフォースの勝ち上がりは時間の問題と思われた。

ところが、その直後に骨折が判明し休養を余儀なくされたガイアフォースは、春のクラシックを棒に振ってしまう。それでも、復帰戦となった翌3月の未勝利戦を完勝すると、あずさ賞2着をはさんで出走した7月の国東特別では、2着に7馬身差をつける楽勝。しかも、1勝クラスながらコースレコードを更新しての勝利で、ドウデュースと好勝負した実績からも「夏の上がり馬」として注目される存在となり、菊花賞の出走権をかけて臨んだのがセントライト記念だった。

重賞初挑戦となるこのレースで、ダービー3着馬アスクビクターモア、デビューから2連勝中のローシャムパークに次ぐ3番人気に支持されたガイアフォースは、好スタートを切るも、先行争いには加わらず中団やや前を追走。逃げるショウナンマグマからはおよそ6馬身、4番手を追走するアスクビクターモアからは2馬身ほど差があり、自身の2馬身後方にローシャムパークという並びになった。

1000m通過は60.3秒のスローペースでありながら、ショウナンマグマと最後方サイモンバロンまでの差はおよそ20馬身。かなり縦長の隊列となった。

その後、レースは中間点を過ぎたあたりから徐々にペースアップし、3コーナーで縦長だった隊列は徐々に凝縮。続く4コーナーでアスクビクターモアが先頭に並びかけ、さらにその外からガイアフォースが並びかけると場内から大きな歓声が上がる中、レースは直線勝負を迎えた。

直線に入るとすぐアスクビクターモアとガイアフォースが抜け出し、坂下でガイアフォースが体半分前に出た。しかし、ダービー3着馬として負けられないアスクビクターモアも激しく応戦。ガイアフォースがやや外にヨレた隙を突いて、アスクビクターモアが再び前に出たように見えた。それでも、体勢を立て直されたガイアフォースは諦めずにもう一度加速すると、最後はねじ伏せるように差し切り先頭ゴールイン。

よもやの骨折から1年。ついに辿り着いた重賞の舞台でダービー3着馬を撃破するという素晴らしい結果を出したガイアフォースは、この夏、最大の上がり馬として名乗りをあげたのだった。

ガイアフォースはその後、1番人気に推された菊花賞で8着に敗れ、年明け初戦のアメリカジョッキークラブCでも5着に敗れた。そこで陣営はマイル路線に矛先を変えるとこれが功を奏し、勝ち切れないながらもマイラーズC2着、安田記念4着と健闘。初めてダート戦に出走した翌年のフェブラリーSでも2着と、ビッグタイトルにあと少しのところまで迫った。

そして、さらに翌年の安田記念で2着となった後に臨んだ秋緒戦の富士Sで、マイル王ジャンタルマンタルを撃破し3年ぶりの重賞制覇を飾ると、続くマイルCSでも2着に好走。7歳となった今シーズンも、ドバイターフ6着から臨んだ安田記念で2着に好走するなど衰え知らずの走りで現役屈指の人気者となり、この秋は悲願のビッグタイトル獲得が期待される。

■1998年 レオリュウホウ

凱旋門賞などGⅠを4勝し、80年代欧州最強馬と称されたダンシングブレーヴ。種牡馬になってからは一転、マリー病に罹患するなど苦難に見舞われたものの、1991年に本邦へ輸入されてから欧州に残してきた産駒が活躍し、日本でもGⅠ馬を複数送り出して名種牡馬となった。

その8世代目産駒の一頭レオリュウホウは、美浦・杉浦宏昭厩舎からデビュー。初戦は11月中山・芝2000mの新馬戦で、3着に惜敗すると以後も2、4着と勝ち切れず、翌年4月の4戦目で初勝利をマークした。

その後、再び勝ち切れないレースが続くも、ほぼ月1回のペースで実戦を重ねながら徐々に力をつけたレオリュウホウは8月末、札幌でおこなわれた500万クラス(現1勝クラス)の平場を快勝。そこから中3週でセントライト記念に臨んだ。

ダービー3着馬ダイワスペリアーが出走していたものの、この年のセントライト記念は重賞ウイナー不在のメンバー構成。前走900万特別で2着に惜敗したテイオージャが1番人気になるほどの大混戦ながら、レオリュウホウの人気は12頭中10番目で完全に穴馬の評価だった。

雨により馬場状態が重まで悪化する中、大外枠から好スタートを切ったレオリュウホウは、初めてコンビを組む江田照男騎手とともに先行。内枠各馬の様子を窺いながらも無理なくハナを切り、2コーナーでグランスクセーが掛かり気味に先頭に立つと2番手で落ち着いた。

1000m通過は62.2秒で、馬場を考えればミドルペース。1コーナー進入時に10馬身ほどだった隊列は中間点付近で20馬身近い差となり、そこからペースがガクッと落ちると、再び12、3馬身に縮まった。

ペースが上がったのは残り800の標識を過ぎてからで、中団以下の各馬が進出を開始すると馬群はさらに凝縮。続く4コーナーで前は5頭が集団を形成するなか、レースは直線勝負を迎えた。

直線に入ると、グランスクセーをはさんで内からダイワスペリアー、外からレオリュウホウが2頭で抜け出し、坂上でレオリュウホウが先頭に躍り出た。ダイワスペリアーが懸命に食らいつこうとするなか、中団から追ってきたのはシンコウシングラーで、前との差を懸命に詰めるも、3番手に上がるのが精一杯。結局、馬場を苦にせず最後まで堅実な末脚を使ったレオリュウホウが、ダイワスペリアーに1.1/4馬身差をつける完勝で重賞初制覇を飾り、同時に菊花賞の優先出走権を獲得した。

その後、菊花賞で9着に敗れたレオリュウホウは、4歳秋の福島記念で2着と好走した以外はすべて6着以下に敗れるなど苦戦が続き、5歳時にはダートに活路を見出したものの、その初戦、川崎記念でも10着に大敗した。それでも、続く日経賞で菊沢隆徳騎手(現調教師)と初めてコンビを組むと、グラスワンダーやステイゴールド、本格化寸前のメイショウドトウといった錚々たるメンバー相手に逃げ切り勝ち。オッズ193.9倍の単勝万馬券で波乱を演出し突如復活を果たすと、続く天皇賞(春)でもテイエムオペラオーの6着に健闘。11月の福島記念(10着)を最後に引退し、種牡馬入りを果たした。

■2000年 アドマイヤボス

1993年の桜花賞とオークスを制したベガの2番仔で、ダービー馬アドマイヤベガや、芝・ダート双方のGⅠ級競走を7勝したアドマイヤドンが兄弟にいるアドマイヤボスは、アドマイヤベガと同じく栗東・橋田満厩舎の管理馬となった。ただ、脚部不安を抱えていたためにデビューは遅れ、初戦はダービーも終わった3歳7月の函館・ダート1700mの未勝利戦で、ここは2着に4馬身差をつけ完勝するも、続く知床特別は、後に神戸新聞杯を勝利するフサイチソニックの2着に惜敗。そこから中3週、キャリア3戦目で臨んだのがセントライト記念だった。

500万クラスに出走できる身でありながら、ダービー4着馬トーホウシデンに次ぐ2番人気に支持されたアドマイヤボスは、五分のスタートを切ると中団やや後ろを追走。逃げるベルボクサーから15馬身ほど離れたポジションに落ち着いた。

前は1000mを61.3秒と淀みない流れで通過するなか、レースは早くもこの辺りから動きはじめた。まず動いたのは意外にもトーホウシデンで、中団から3番手まで上昇。ジョウテンブレーヴの直後につけると、この動きを意識したか、アドマイヤボスら中団以下の各馬も前との差を詰めはじめた。そして、3コーナーで離れた最後方を追走するマイネルカピタン以外の12頭が一団となり、続く4コーナーでジョウテンブレーヴ、トーホウシデン、アドマイヤボスの人気3頭が逃げるベルボクサーに並びかけようとしたところでレースは直線を迎えた。

直線に入るとすぐ4頭が横一線となったものの、坂下でベルボクサーが脱落。そこからは3頭の激しい競り合いとなった。重まで悪化した馬場に各馬キレを削がれるなか、ゴール寸前でグイッと伸びたのがアドマイヤボスで、ジョウテンブレーヴとの2番手争いを制したトーホウシデンが懸命に抵抗を試みたものの、最後はこれをねじ伏せるように先頭ゴールイン。デビュー2ヶ月足らずで出走した良血の新星がクラシック好走馬を力でねじ伏せるという衝撃のレースで、重賞初制覇を成し遂げたのだった。

グレード制が導入された1984年以降、キャリア3戦目でのセントライト記念制覇は初めて。また、前走500万クラスで敗れながらセントライト記念を勝利した馬は、25年時点でもアドマイヤボスと06年のトーセンシャナオーだけである。

その後、菊花賞を回避してアルゼンチン共和国杯に出走したアドマイヤボスは、いいところなく10着に敗れてしまった。それでも、兄アドマイヤベガの主戦も務めた武豊騎手と初めてコンビを組んだ有馬記念で、この年7戦7勝、GⅠ4連勝中のテイエムオペラオーを徹底マーク。結果、テイエムオペラオーには敗れたものの0.2秒差5着と健闘し、新たに迎える4歳シーズンは明るいと思われた。

ところが、それ以降アドマイヤボスは掲示板にこそ載るものの勝ち星には恵まれず、慢性的な脚部不安も抱えていたため、2年連続出走したアルゼンチン共和国杯(5着)を最後に引退。種牡馬入りを果たした。産駒からGⅠウイナーは誕生しなかったものの、アイアンルックとクリノスターオーがJRAの重賞を制覇。交流重賞の白山大賞典を勝ったアドマイヤスバルは、続くGⅠ級のJBCスプリントでも2着に好走した。

写真:みき、かず

あなたにおすすめの記事