[スプリンターズS]ニシノフラワー、アストンマーチャン、タイキシャトル。3歳でスプリンターズSを制した若き精鋭たち

秋GⅠシリーズの開幕を告げるスプリンターズS。GⅠへ昇格したのは1990年で、そこから数えて37回目、通算60回目となる26年のレースで人気の一角となりそうなのが、3歳牝馬スターアニスである。当年の桜花賞馬が参戦するのはキョウエイマーチ以来29年ぶりで、秋開催となってからは初めてである。

90年以降、スプリンターズSを制した3歳馬は牡馬を含め6頭で、うち4頭は当レースが12月におこなわれていた頃の勝ち馬。この時期の3歳馬にとって3ヶ月という期間は大きいのか、秋開催になってから勝利した馬は2頭しかおらず、データ面では古馬優勢である。とりわけ、4歳馬や、出走数は少ないものの8歳馬の勝率は高い。それでも、経験の差を克服して古馬を撃破した3歳馬がこれまでにも複数いた。

今回は、3歳でスプリンターズSを制した若き精鋭たちを振り返りたい。

■1992年 ニシノフラワー

マジェスティックライト産駒の持込馬で、同じ一族に米国の三冠馬セクレタリアトや、その半兄で名種牡馬サーゲイロードがいるニシノフラワーは、西山牧場で生を受けた。管理したのは、栗東・松田正弘調教師。ただ入厩当初、足が長いわりに幅のない馬体だったニシノフラワーの評判は決して芳しくなく「バンビのよう」と評され、骨膜炎にもかかってしまう。

それでも、脚元を考慮されて出走した札幌・ダート1000mの新馬戦を4馬身差で完勝すると「使うレースがなく、仕方なく使った」と陣営が語った札幌3歳S(当時は芝1200m)も2着に3.1/2馬身差をつけ完勝。さらに、デイリー杯3歳Sと阪神3歳牝馬S(現阪神ジュベナイルフィリーズ)も連勝し、文句なしの成績でJRA賞最優秀3歳牝馬のタイトルを受賞した。

そして迎えた翌シーズンは、初戦のチューリップ賞こそ、勝負所でまわりを囲まれる不利が響いて2着に敗れたものの、主戦の佐藤正雄騎手から河内洋騎手に乗り替わった桜花賞は、またしても2着に3.1/2馬身差をつけ完勝。桜の女王の座も手にした。

ところが、そこからニシノフラワーの前に立ちはだかったのが距離の壁だった。二冠を目指したオークスで7着に敗れると、ローズSとエリザベス女王杯(当時は牝馬三冠レースの第3弾で、距離は芝2400m)も、それぞれ4、3着に敗戦。そのエリザベス女王杯から中4週、距離を1200mも短縮して臨んだのがスプリンターズSだった。

このレースで、ニシノフラワーはマイルCSを連覇したダイタクヘリオスに次ぐ2番人気に支持された。ところが、ゲートが開くと、スタートは五分だったものの、久々の1200m戦に戸惑ったか。それとも、一流スプリンターたちのスピードについていけないのか。河内騎手が促してもなかなか先行集団にとりつくことができず、序盤は後方12番手に位置していた。

それでも、3、4コーナー中間から行き脚がつきはじめると、3つポジションをあげて迎えた直線。馬場の中央に持ち出されたニシノフラワーは、徐々に先行集団との差を詰めはじめた。一方、前はこの年の安田記念を制したヤマニンゼファーが先行策から抜け出しを図り、残り100m地点で2番手とは2馬身、ニシノフラワーまでは5馬身近い差があった。

しかし、ここから凄まじい末脚を繰り出して前を必死に追ったニシノフラワーは、ゴール寸前でついにヤマニンゼファーを捕え先頭ゴールイン。大幅な距離短縮に初の中山コースという難しい条件を克服して、3つ目のビッグタイトル獲得に成功したのだった。

桜花賞馬のスプリンターズS制覇はGⅠ昇格以降これが初めてで、25年現在もニシノフラワーとグランアレグリアしか達成していない。また、3歳で両レースを制したのはニシノフラワーだけで、この勝利が決め手となり、92年のJRA賞最優秀4歳牝馬と最優秀短距離馬を同時に受賞した。

その後、年明け初戦のマイラーズCを勝利したニシノフラワーは、2年連続出走したスプリンターズSでも3着に好走し、それを最後に引退。生まれ故郷の西山牧場で繁殖入りした。

産駒が重賞を勝利することはできなかったものの、デビューした9頭中7頭がJRAで2勝以上をあげ、オープン馬も複数誕生するなど、繁殖としても非常に優秀だった。そして、ひ孫の世代からはニシノデイジーやニシノティアモといった重賞ウイナーが誕生し、そのうちニシノデイジーは札幌2歳Sと東京スポーツ杯2歳Sを制覇。さらに、古馬になって障害転向後は中山大障害を2勝するなど活躍し、種牡馬となった。

■2007年 アストンマーチャン

牝馬として64年ぶりにダービーを制したウオッカや、37年ぶりに有馬記念を勝利した牝馬ダイワスカーレットなど、素質馬が綺羅星のごとく出現し、最強世代の一つに数えられる2004年生まれの牝馬たち。その中でも、早い時期から高い能力を示していたのがアストンマーチャンだった。

アドマイヤコジーン産駒のアストンマーチャンは栗東・石坂正厩舎からデビュー。初戦は7月小倉・芝1200mの新馬戦で、クビ差2着と惜敗を喫するも、中1週で臨んだ未勝利戦を快勝。さらに小倉2歳Sも連勝し、早くも重賞ウイナーの仲間入りを果たした。

ただ、圧巻はそれから2ヶ月後のファンタジーSで、初戦以来のコンビ結成となる武豊騎手とともにこのレースに臨むと、直線は独走。2着に5馬身差をつける圧勝で、重賞2連勝を飾った。このときの勝ち時計1分20秒3は、2歳・芝1400mのJRAレコード。2020年の同レースでメイケイエールが更新するまで、実に14年間も破られない驚異的なタイムだった。

その後、阪神ジュベナイルフィリーズで2着に惜敗したものの、ウオッカと大接戦を演じたアストンマーチャンは、3歳初戦のフィリーズレビューを快勝。ウオッカに次ぐ2番人気で桜花賞に臨んだ。

ところが、このレースで初めて連対を外す7着に敗れると、4ヶ月の休養をはさんで出走した北九州記念も6着に敗戦。そこから中6週で臨んだのがスプリンターズSだった。

降りしきる雨のなか、不良馬場で開催されたこの年のスプリンターズSで中舘英二騎手(現調教師)とアストンマーチャンは初めてコンビを組み、3番人気でスタートの時を迎えた。

レースは、好発を決めたローエングリンを交わしてアストンマーチャンが先手を奪い、あっという間に3馬身のリードをとった。前半600m通過は33.1秒で、不良馬場であることを踏まえればかなりのハイペース。無理に競り掛ける馬はおらず、2番手以下に終始3馬身ほどのリードを保ったまま直線を迎えた。

直線に入ってもアストンマーチャンの逃げ脚は衰えず、坂下で後続との差はむしろ4馬身に広がった。追ってきたのは、道中2番手に位置していたアイルラヴァゲインで、前との差を懸命に詰めようとするもなかなか詰まらない。その後、坂を上りきったところでアストンマーチャンの勢いも落ちはじめ、そこへ1番人気サンアディユがようやく追い込んできたものの、時すでに遅し。結局、これらの追撃を3/4馬身しのいだアストンマーチャンが先頭でゴール板を駆け抜け、GⅠ初制覇を成し遂げたのだった。

3歳牝馬のスプリンターズS制覇はニシノフラワー以来15年ぶり。秋に開催が移ってからは初の快挙で、牡馬を含めた3歳馬による勝利も、このあと21年のピクシーナイトまで14年間成し遂げられなかった。

こうして短距離界の頂点に立ち、長期政権を築くことが期待されたアストンマーチャンだが、運命は残酷だった。続くスワンSで14着に大敗すると、年明け初戦のシルクロードSも10着に敗戦。さらに、高松宮記念に向けて調整が進められている過程で体調を崩すと、原因不明のX大腸炎を発症していることが判明し、08年4月21日、急性心不全によりその短い馬生を閉じたのである。

類い希なスピードを持つアストンマーチャンの血を遺せなかったことは、短距離界のみならず、日本競馬界にとっても非常に惜しまれることだった。ただ、04年生まれの牝馬の中でも、ウオッカやダイワスカーレットらとともにまばゆい光を放ち続けたことは紛れもない事実。3歳牝馬によるスプリンターズS制覇はアストンマーチャン以降、20年近くも成し遂げられておらず、その偉業は今も燦然と輝き続けている。

■1997年 タイキシャトル

デヴィルズバッグ産駒の米国産馬タイキシャトルは、美浦・藤沢和雄調教師の管理馬となった。ただ、日本に到着してからは皮膚病や左脚の外傷など順調さを欠き、入厩後もゲート試験に3度落ちたことでデビューは遅れた。

結局、初戦は4月東京・ダート1600mの未勝利戦までずれ込むも、ここを4馬身差で完勝すると、続く500万クラス(現1勝クラス)、オープンの菖蒲Sまで3連勝。その後、菩提樹S2着から3ヶ月の休養をはさんで出走したユニコーンS(当時は10月東京・ダート1600m)で重賞初制覇を飾った。

そして、タイキシャトルの快進撃はここからさらに勢いを増し、再び芝に戻ったスワンSを快勝すると、GⅠ初挑戦のマイルCSも、当年の桜花賞馬キョウエイマーチに2.1/2馬身差をつけ完勝。デビューわずか7ヶ月で古馬混合のGⅠを制し、マイル、スプリントの二階級制覇と重賞4連勝を狙って出走したのがスプリンターズSだった。

このレースで、3戦ぶりに岡部幸雄騎手とのコンビが復活したタイキシャトルは、大外16番枠から五分以上のスタートを決めた。そして、キョウエイマーチら3頭による激しい逃げ争いを2馬身前に見ながら好位4番手を確保すると、前半600m通過32.6秒のハイペースを苦もなく追走。岡部騎手の手綱がほとんど動かないまま前との差を1馬身としたところで、直線を迎えた。

直線に入ってすぐ、持ったままでキョウエイマーチに並びかけたタイキシャトルはようやく坂下で追い出され、単独先頭に躍り出た。2番手からワシントンカラーとスギノハヤカゼが懸命に追ってきたものの、タイキシャトルはこれらを一瞬で2馬身引き離し、最後まで末脚は衰えることなく先頭ゴールイン。同年のマイルCSとスプリンターズSを連勝するという史上初の快挙(3歳馬としては25年現在でも唯一)をあっさり成し遂げ、文句なしにJRA賞最優秀短距離馬のタイトルを獲得したのだった。

そして、タイキシャトルは翌4歳シーズンも連勝街道を驀進した。始動戦の京王杯スプリングCをコースレコードで快勝すると、安田記念、仏国のジャック・ル・マロワ賞、マイルCSと、3戦連続でGⅠを勝利。マイルCSに続いて連覇がかかった引退レースのスプリンターズSは3着に敗れたものの、前年のユニコーンSからこの年のマイルCSまで続いた平地重賞8連勝は、後のテイエムオペラオーと並ぶ記録である。

こうしてこの年、マイル以下で活躍した馬としては初めて年度代表馬に輝き、最優秀5歳以上牡馬と最優秀短距離馬も同時受賞してタイキシャトルは種牡馬入り。イーストスタッドとアロースタッドを2年ごとに行き来する国内シャトル種牡馬となり、99年には顕彰馬にも選出された。

28歳でその生涯を閉じてから4年、現役引退から間もなく30年。現在もタイキシャトルを史上最強マイラーに推す声は多い。

写真:しんや、かず

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