
近年は珍しくなくなった、日本馬による海外レースへの参戦や制覇という偉業。
そうした偉業が成し遂げられる以前には、「日本馬は永遠にジャパンCを勝てない」と言われていた時代があり、「世界に通用する馬づくり」を合言葉に馬産をしていた。その努力が実り、現在に繋がっているといえるのだろう。
では逆に、海外馬による日本の大レース制覇の歴史を紐解くとどうなるだろうか。日本に存在する平地のGⅠレース中、参戦数が多い順に並べるとジャパンC、安田記念、スプリンターズSと続いていく。ジャパンCは創設初年度の1981年に、安田記念は外国馬の出走解放から3年目となる1995年にそれぞれ初制覇が成し遂げられたが、スプリンターズSは1994年の解放初年度から11年間、外国馬が日本馬による牙城を崩すことはできなかった。
そんな分厚い壁を最初に突破したのが、香港の英雄サイレントウィットネスである。
香港的英雄
当時、ファンの多くが初めてサイレントウィットネスという名前を認知したのは、2004年の香港スプリントだったであろう。
SNSは今ほど普及しておらず、海外競馬に関する情報は限定的にしか手に入れられない状況であり、現在は年末のビッグイベントになっている香港国際競走への出走も、まだまだ活発とは言えない雰囲気。
それでもこの2000年代前半あたりから年内の最終戦として香港を選ぶ馬も出始め、アグネスデジタルやエイシンプレストン、ステイゴールドなどが香港Cや香港ヴァーズといった中長距離路線で結果を残しており、日本競馬のレベルの向上を徐々に実感し始めていた時代であった。
だが香港競馬で一番レベルが高いと言われる香港スプリントは、当時制覇した日本馬はいなかった。とはいえ、この年は日本から春の高松宮記念を制したサニングデールと、秋のスプリンターズSを制したカルストンライトオが香港スプリントに参戦しており、JRAの短距離GⅠを制した2頭なら好勝負できるのではという期待は、多くの人が持っていたであろう。
しかし、その期待は無残にも打ち砕かれた。得意なはずの直線競馬でゲートからダッシュがつかず、いつもの快速ぶりがみられないカルストンライトオと、中団からレースを進めたが直線で一瞬のうちに離されたサニングデール。日本短距離界トップクラスの2頭が苦戦するのをよそに、圧倒的なまでの快速ぶりを見せつけたのがサイレントウィットネスで、近年世界を相手に好走していた日本は、改めて世界の広さと強さを思い知った。
「こんな強い馬が、まだ世界にいたのか」と。
翌年、サイレントウィットネスは府中の安田記念に来日。5番人気の評価だったがアサクサデンエンの3着に入ると、鞍上のF.コーツィー騎手はこう言った。「また日本に戻ってくる」と──。

3か月後、約束通り初秋の中山へ香港の英雄は戻ってきた。
香港的神速
雪辱を晴らすべく戻ってきたサイレントウィットネスだったが、マイル戦だった安田記念とは違い今度は得意中の得意である1200m戦。加えて1400m戦以下では17戦走って17勝という実績は無視できるはずもなく、そればかりか前回の来日時にはガレ気味だった馬体もしっかり戻してきていた。本気で日本の短距離界を制圧しに来たと言っていいほどの仕上がりに、ファンは2.0倍の抜けたオッズで1番人気に支持した。
だが、迎え撃つ日本馬も地元の意地を見せたいところ。日の丸総大将としての期待を一身に背負ったのは、当時の短距離界王者デュランダルだった。
その名が示す「聖剣」のような切れ味鋭い末脚で、最後方から追い込んでくるレーススタイルを持ち味とするデュランダル。同馬は2003年のスプリンターズSで初GⅠ制覇を遂げた後、その強さに一層磨きをかけマイルCSを2連覇を達成した。
この日は前年の香港マイル以来で約10か月ぶりとなる実戦だったが、ファンはそれでも彼に期待を寄せた。デュランダルなら、あの香港の怪物を打ち倒してくれるのではないか、と。単勝オッズは3.8倍の2番人気だった。
3番人気はこの年の高松宮記念を制したアドマイヤマックスで、オッズが10.7倍であったことからも、勝負はサイレントウィットネスとデュランダルの2頭の対決と見られていた。
ゲートが開くと真っ先に飛び出していったのが大外のギャラントアローと中枠のカルストンライトオで、そのまま先頭争いへと移っていく。
しかしカルストンライトオと大西直宏騎手が激しく先頭を主張する一方、ギャラントアローに跨る横山典弘騎手はそれほど行きたがらずに内へ入れ、そのままカルストンライトオに先頭を譲って2番手へと相棒をリードした。
後年、ギャラントアローは番手からも競馬ができていたが、カルストンライトオはハナを取れないと自分の競馬に持ち込めない。逃げ馬同士のハイペースを嫌ったか、それともレースを作るのは前年の覇者であるお前しかいないと横山典騎手が踏んだのかは定かでないが、ともかくカルストンライトオが前年同様先手を取り、場内は沸いた。
そんな2頭の争いを見ながら、サイレントウィットネスは外から3~5番手の絶好位につけていく。がむしゃらに自身のスピードを披露するカルストンライトオのようなタイプを前において、自身はマイペースでレースを進めるのは、彼の必勝パターンである。
一方、最大のライバルと目されていたデュランダルは、最後方の指定席。スタートも「出遅れた」というより「ゆっくり出た」といった感じだった栗毛の牡馬を、池添謙一騎手は臆することなく一番後ろへエスコート。香港の王者同様、こちらも自分の競馬を貫き通し、直線訪れるであろう瞬間に賭けていた。
各馬が動き始める3コーナー、コーツィー騎手は周囲に馬がいるのを嫌ったか、相棒のポジションを押し上げはじめる。それを見逃さずにマルカキセキと福永祐一騎手が直後からプレッシャーをかけ絶好のタイミングで動き出すと、丁度同じタイミングでデュランダルと池添謙一騎手も大外に持ち出し進出を開始。後ろの動きに何かを感じ取ったかカルストンライトオもリードを広げにかかっており、有力馬が動き出したことでカルストンライトオ1頭が抜け出し、あとは15頭の馬群が凝縮して短い中山の直線に向いてきた。
カルストンライトオが刻んだラップは前半600m32.9秒。スプリンターズSにしては平均的ともいえるが、それでも十分速い。ここから更なるペースアップができるのなら、負けるわけがない。前年の覇者は威信を賭け、ここで勝負に出た。そしてカルストンライトオは、確かに後続を離したように見えた。
だがその実、彼のスタミナはもう限界だった。直線入り口で広がったように見えた差は、GOサインを出したサイレントウィットネスとデュランダルの仕掛けに合わせて各馬が一斉にトップスピードに乗るとみるみる縮まっていく。
そして心臓破りの急坂の手前で、カルストンライトオの脚は完全に上がり、ここまで演じた逃走劇は終わりを迎えていた。それでも坂の頂上まで先頭でい続けたのは、ディフェンディングチャンピオンとしての意地だったのだろうか。
かわって先頭に立ったサイレントウィットネスは、まるで前年の香港スプリントの再現をするかのようにマークしてきたマルカキセキを一瞬のうちに置き去りにすると、豪快に追うコーツィー騎手と人馬一体となって中山の坂を駆け上がる。その走りに追いつける者はおらず、一頭だけ抜け出してセーフティーリードを保ったかのように見えた。
刹那、大外から一陣の風が急襲。他馬が止まって見えるような鬼脚を繰り出して、デュランダルが猛然と突っ込んできた。日本短距離王者としてのプライドを賭けての末脚は、当時としては考えられない上がり3ハロン、32.7秒。競走馬の限界ともいえる走りをもって、香港最強馬に襲い掛かる。
それでも、先頭の彼には届かなかった。
黒地に緑の十字襷の勝負服をなびかせて、香港の英雄は先頭でゴール坂を駆け抜けた。

ゴールの瞬間、中野雷太アナウンサーは「どうだ見たか日本!!」と叫び、それに合わせるかのようにコーツィー騎手は馬上で派手なガッツポーズを見せた。その走破時計、1分7秒3は当時のコースレコードに0.3秒差のタイム。外国馬として初のスプリンターズS制覇を果たした香港の英雄は、日本のファンに強烈な印象を与えた。
「短距離戦無敗のサイレントウィットネスは、やはり強かったのだ」と。
香港的伝説
より一層強くなると思われたサイレントウィットネスだったが、この勝利を最後に無敵の強さに陰りが差す。翌年、センテナリースプリントCでまさかの7着に敗れた後も勝利を挙げることはできず、秋に再来日したスプリンターズSでは、前年は次元の違う走りで突き放した上り坂で逆に後退し4着に敗戦。
その後も勝利を挙げることは叶わずに引退となった。現在はオーストラリアのメルボルンにあるリヴィングレジェンドファームにて余生を送っている。
彼が打ち立てたデビュー以来の連勝記録や、そのレースぶりは伝説的なものだった。後年、その記録を破るような、多くの名馬が誕生してきた。だが、サイレントウィットネスの走りが、香港と日本のファンに与えた衝撃の大きさは、20年以上の時を経たいまでも変わることはない。その走りの偉大さを称え、沙田競馬場にはサイレントウィットネスの銅像が建てられた。
サイレントウィットネス、香港名「精英大師」。
その銅像は、香港、そして海を越えた日本のターフを静かに見守り、次の名馬の登場を待っている。

写真:Horse Memorys、笠原小百合
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