「ステイフーリッシュ、及ばなかったか……」
2021年12月12日、私はかたずをのんで、スマートフォンの小さな画面越しにシャティン競馬場の様子を見つめていた。地元のヴィンセント・ホー騎手を鞍上に迎えたステイフーリッシュは積極的な競馬に打って出るも直線じりじり後退し、5着に敗れた。
2001年、短波ラジオのイヤホン越しに、雑音の隙間からもたらされたステイゴールドのこれ以上ない大団円は、22歳の私を涙の海に沈めた。それから20年もたつのに、ステイの仔の雄姿を、私を競馬にのめり込ませてくれた彼の血を引く馬が香港で走るのを応援することができるとは。当時の私に伝えても絶対に信じないことだろう。
しかも2頭も。
20年前の父と同じく、この地香港を引退の地と定めた馬がいた。
一度は頂点に立ちながらその後も新たな地平を求めて挑み続けたマイル王、インディチャンプ。
共に歩みを続けた主戦・福永祐一騎手とのコンビで迎えるラストラン、香港マイルの発走まで、2時間を切っていた──。
引き絞り、解き放つ。
2021年で、通算JRA重賞114勝を積み上げたステイゴールド産駒。
今でも私を虜にして離さない理由の一つが、産駒1頭1頭が見せる個性豊かな走法、戦法だ。
勢いよく「キーーーン」とアクロバット飛行の如く1コーナーに真っ先に切れ込んでいくクロコスミア。向こう正面から「ドドドドドド」と重戦車の如く進出を開始するゴールドシップ。後方追走から3コーナー入り口で「フッ」と忍びの如く姿を消したかと思うと、4コーナー出口で突然先頭集団に現れるドリームジャーニー。そして3,4コーナーをドリフトするかの如く「ギュイイイイイイン!」とまくり上がっていくオルフェーヴル……。
インディチャンプの勝ちパターンもまた、これらどの馬とも異なる、個性際立つものだった。
その嚆矢はちょうど3年前の年末、阪神マイルの元町S。休養明けの準オープン戦だった。
道中、馬群の中でじっと息をひそめていたインディチャンプは、最後の直線でその馬体をスッと外に出した。
手綱が、動かない。
まるで鞍上の福永祐一騎手が、弓の弦を限界まで引き絞るかの如く、インディチャンプの末脚をためているように見えた。
所謂「馬なり」のまま、インディチャンプは中段まで上がってきた。
──次の瞬間。
矢が、放たれた。
それまでインディチャンプを包んでいた「静」が、一気に「動」に変わった。
「ヒュン……!」
私には、そう、聞こえた。
福永騎手が手綱をしごいた瞬間、インディチャンプは真一文字に伸びた。使い古された表現だが「他馬が止まって見えた」のであった。その末脚でライバルをあっという間に彼方へ置き去りにしたインディチャンプは、4度目の"勝利"の的を射止めた。
デビュー2連勝ののち3歳春のGⅠトライアル重賞で、鞍上の大きな叱咤激励が一歩及ばず足踏みしていたインディチャンプが、「ようやく」オープン入りを決めた瞬間だった。
その日の私のTwitterには、こう書かれていた。
「これ、モーリス級だぞ」
4歳春、溜めに溜めた末脚を最後の直線半ばで弾けさせる個性で、インディチャンプはそのままマイル王まで駆け上がった。
2月のGⅢ、東京新聞杯で重賞初制覇を飾ると、超の上にさらに超が付くスローペースのマイラーズカップ4着を挟んでのGⅠ、安田記念。好位の内でじっと末脚を溜めたインディチャンプは最後の直線、その末脚の行き場を探してその馬体をスッと馬群の外に持ち出した。
残り400、一体となった人馬の前に、遮るものはなくなった。
狙いが定まった。
残り250、引き絞った弓の弦を、福永騎手が「ツッ」と離した。
解き放たれたインディチャンプは前をゆくアエロリットとグァンチャーレをスッ、とかわし切り、初めての挑戦でGⅠの勲章をその手に収めた。
スタート直後に本命馬と対抗馬を襲った大きな不利については、ここではあえて深くは触れない。
1991年天皇賞(秋)は「プレクラスニーが勝った天皇賞」であり、1995年宝塚記念は「ダンツシアトルが勝った宝塚記念」であり、2015年宝塚記念は「ラブリーデイが勝った宝塚記念」であるように──2019年安田記念は「インディチャンプが勝った安田記念」として記憶されるべきだと、考えているからである。
「2年半前のような末脚を、今日香港で、最後に何とか見せてくれないものか、福永騎手、頼みます……」
そう念じながら私は香港マイルの一つ前のGⅠ、香港スプリントのレースを、秋のスプリント王、ピクシーナイトに跨る福永祐一騎手の姿を見ていた。
次の瞬間、馬群の一角が、崩れ落ちた。
その後方で、水色、赤玉霰、袖赤一本輪の勝負服が、ターフの上に投げ出された。
動かなかった。