「あの子が賞金を持って帰ってきてくれたらね、小さなゲストハウスでも作ってこいつのファンの方とコーヒーでも飲みながらゆっくりお話ししたいな……って」
おじいさんはそう言葉にすると、温かく優しい笑顔を見せた。
“あの子”とは当時はまだ競走馬としてのデビューを迎える前だった2歳の牝馬、そして“こいつ”とはその牝馬の半兄で2012年・京成杯オータムハンデなど重賞2勝をあげたレオアクティブのことを指していた。
2011年にデビューした、レオアクティブ。2戦目に未勝利戦を勝った後、2勝目を京王杯2歳Sでマークして重賞制覇を飾ると、同年末の朝日杯FSや翌年のNHKマイルCなどGⅠ戦線でも活躍した。
3歳秋には古馬に混じって京成杯オータムHに出走し、2番人気に応え古馬を一蹴。この時の勝ち時計1分30秒7はJRA史上初めて記録された1分30秒台であり、2019年のヴィクトリアマイルでノームコアに更新されるまで世界レコードとして歴史に名を刻んだほどの好タイムだった。
それ以降は重賞やオープンで好走することこそあったが勝利を挙げることはできず、現役終盤は地方競馬に移籍して走り続けたが3歳までに見せた輝きはついに戻ることはなかった。そして9歳となった2018年に現役を引退するまで中央・地方合わせて実に81戦ものレースに出走し、生まれ故郷である谷口牧場に戻って余生を過ごすことになったのであった。
学生時代、乗馬クラブでアルバイトをしていた私には、小さな競馬友達がいる。
同じ乗馬クラブに通う小学生の少女で、好きな馬はスノードラゴンとシゲルスダチだというなんとも通な競馬ファンだ。
世の中の情勢もあってしばらく会えてはいないが、学生生活が終わってアルバイトを辞めてからも乗馬クラブで会ったり競馬場でばったり会ったりした不思議な交流がある競馬友達だ。
──とある日、少女がレッスンを受けている間に、少女のお母さんとゆっくり話す機会があった。
乗馬のことや競馬のこと、思い出の馬のことなど色々なお話しをする中で、ふと北海道での牧場見学の話になった時だった。
「レオアクティブに会いたいんです」
少女のお母さんが、ポロっと口にした。
以前からレオアクティブが大好きで会いたい気持ちは積もっていたが、仕事の都合や家庭のことなどもあってなかなか北海道までは行く時間を作ることができないのだと言う。
もともと北海道に行く予定があり、少女とスノードラゴンの写真を撮ってくる約束をしていた私は、スケジュール的にも繋養先の谷口牧場へ脚を運ぶことができそうだった。
「僕が会いに行って写真撮ってきますよ」
私はその場で、レオアクティブに会いにいくことを決めた。
会いたい時に、会いたい馬に会いに行く。
馬と携わるようになってから、それが私のモットーだ。会いに行けない誰かがいるのなら代わりに写真を残すだけでも伝えられるものがあるはずだ。それでその誰かが喜んでくれるのなら、迷わず行動するべきだと思った。
北海道に向かう日が近づき、谷口牧場へ見学希望の連絡を入れると、快く了承してくださった。
牧場に着くと、先代と思しきおじいさんが迎えてくれた。
「どこから来てくれたんだ」「歳はいくつだ」など、若い私が来たことを不思議そうに問いかける。私が事情を説明すると「そうかそうか」と納得した様子で優しい笑顔を見せてくれた。
広い放牧地に着くとその奥の方で綺麗な栗毛の馬が逆光の中に佇んでいた。レオアクティブだ。
「おーい! おーい、おーい!」
おじいさんが声をかけるが、その声は届かない。
「写真撮るんだろ?連れてくるからちょっと待ってな」
そう言っておじいさんが無口を引っ張ってレオアクティブの顔をこちら側に向けると、気怠そうに身体を反転させてゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
飼葉を食べるレオアクティブを目の前に眺めながら、体調や体重のこと、地方競馬に移籍してからのこと、牧場に戻ってくるまでのこと、会いたくても会いに来れないファンのためにたくさんのことを話してくれた。
そして最後におじいさんはこう続けた。
「去年1年間は怪我を治して体調を整えるために休養させたんだ。それで今年、うちの牝馬に1回だけ種付けして受胎したんだよ。無事に生まれてきてくれたらうちの名義で走らせようと思うんだ」
その瞬間、鳥肌がたったのを覚えている。ファンにとってこれほど嬉しい知らせがあるだろうか。この事実を聞いた彼のファンはどれだけ喜ばしい気持ちだろうか。応援していた馬が生まれ故郷の牧場に戻り、父として競馬場に産駒を送り込む。それがたった1頭だけであったとしても、競馬場で再び「レオアクティブ」の名を見ることができるかもしれないと思えば、心が震えるのは至極当たり前の話だろう。
「馬格があるわけじゃないから種馬としてのポテンシャルがどれだけあるかはわからないけど……」とおじいさんはそう言って語尾をすぼめたが、その後にどんな言葉を続けたかったのかはあえて語る必要もないだろう。
「そのファンの方には『来てくれるまで待ってますからいつでも来てください』と伝えておいてよ」
後ろで手を組み、逆光に細まる目でレオアクティブを見つめながら、おじいさんは言う。
「君もまた、いつでもおいで」
今度はこちらを向いて微笑みながらそう言い残すと、小さく会釈をして奥にある厩舎に戻っていったのだった。
その後ろ姿に私は感謝の言葉をかけ、牧場を去った。
私はその日すぐに少女のお母さんに連絡を入れ、レオアクティブの写真を送って、聞いた話を漏らすことなく伝えた。
「携帯の待ち受けにしました」
「産駒を応援できる日が待ち遠しいです」
「レオアクティブに会える日を楽しみにして仕事を頑張ります。それまでは遠くから彼の健康と幸せを願っています」
お母さんからは想いの詰まった真っ直ぐな言葉がたくさん返ってきた。
「ファンあっての競馬だからね」
おじいさんが発した冒頭の言葉の最後には、こう続く。
競馬には馬への愛に満ち溢れたファンがいる。
会いに行けるのとそうでないのとで多少の違いはあるのかもしれないが、その気持ちに大きな差異はないはずなのだ。
そしてそのようなファンの気持ちは、牧場見学などさまざまな形で応えようとしてくれる関係者の方々の温かい気持ちに支えられている。
競馬はファンあってこそである一方で、ファンは競馬があってこそだ。近頃、SNS等を通じて牧場見学のルールやマナーのことで注意喚起が盛んに行われているが、牧場見学はあくまで関係者の方々のご厚意であるという事実を我々は今一度確認しなければいけないし、決してそのご厚意を踏みにじるようなことがあってはならないと私は強く思っている。
2020年3月22日、レオアクティブの半妹がデビューした。母レオソレイユから向日葵の意味の「ソレイユ」を、そして絵画「向日葵」を描いたフィンセント・ファン・ゴッホが住んでいたフランスの街「アルル」を用いて、ソレイユドゥアルル「アルルの向日葵」と名付けられたその馬は、13番人気という低評価を覆して4着に好走した。
中央競馬で勝利を挙げることはできなかったが、地方に移籍すると今日までに3勝2着4回の成績を記録して現役を続けている(2021年9月現在)。派手ではないが地道に自分の道を歩むソレイユドゥアルルの活躍は、谷口牧場に明るい話題を届けていることだろう。
そして彼女のデビューのわずか3日前、谷口牧場で新たな命が誕生していた。母は現役時代に谷口牧場の名義で走ったジュトゥヴ。世代にたった1頭の「レオアクティブ産駒」は、奇しくも父と同じ栗毛の牡馬だった。
2020年はコロナ禍もあって谷口牧場にお邪魔させていただく機会がなかったため、彼が今どうしているかはわからない。何事もなければおそらくもうすぐ育成牧場に移動する頃だろうか。もしくは、もうすでに競走馬への険しい道のりを歩み出しているかもしれない。
早ければ来年の初夏、競馬場にレオアクティブの血が戻ってくる。彼のスピードを継承したその栗毛の牡馬がターフを駆ける日がいつになるのかはわからないが、私はそれが楽しみで仕方がない。
日本全国でその時を待っているレオアクティブのファンの方々と、そして少女のお母さんとともに、その時を心待ちにしたい。
写真:math_weather、さねちか