ミツアキタービン〜故障により涙を飲んだ、上山競馬の"最後の大物"〜

ダイオライト記念がくるたび、とても強かったミツアキタービンの勇姿を思い出します。
もし屈腱炎という故障が無ければ、彼はダート最強馬になれたかもしれません。今回はそんな名馬・ミツアキタービンについて書いていきます。

父はダート最強馬とも言われたライブリマウント、母はカネミタービン。ミツアキタービンは2002年、上山競馬場でデビューします。上山競馬場は翌年に廃止されてしまったので、上山競馬場出身の最後の大物といえます。

上山競馬場でのデビュー戦、庄司大輔騎手を背に2着。2戦目には小国博行騎手を背に1着と走った後、笠松競馬場へと移籍します。
笠松競馬場では向山牧騎手を背に2戦走った後、ミツアキタービンは積極的に他場への遠征を開始します。
この当時は地方競馬所属馬が、中央競馬の3歳500万下(現1勝クラス)に出走している姿をよく見かけました。ミツアキタービンもそれらに倣い、中央へも果敢に乗り込みます。

阪神競馬場・3歳500万下4着→園田競馬場・兵庫チャンピオンシップ7着→中京競馬場・3歳500万下4着→名古屋競馬場・名古屋優駿4着→金沢競馬場・サラブレットチャレンジカップ4着。
見事なまでの"それ4!"です。馬券に絡むことがないので、当時の競馬ファンからはあまり注目されていませんでした。

そんなミツアキタービンが注目されるようになったのが、盛岡競馬場で行われた第18回ダービーグランプリ。
鞍上にはこの後、ミツアキタービンにとってベストパートナーとなる東川公則騎手をむかえます。そうして臨んだ大一番で、ミツアキタービンは、ユートピア・ビッグウルフという中央競馬のビッグネームに次ぐ3着に入線します。

その後、笠松競馬場・岐阜金賞で、待望の重賞初制覇。
続けて大井競馬場のJBCクラシックで5着と掲示板に乗ったあと、中京競馬場の1000万下(現2勝クラス)香嵐渓特別に出走します。
地方競馬場で行われたとはいえ、GⅠ級競走で3着5着の実績馬が1000万下に出走するわけですから、圧倒的人気かと思いきや、なんとミツアキタービンは2番人気でした。
今でもそうですが、やはり地方競馬での実績馬と中央競馬での実績馬に対する認識の差は、大きいものでした。
しかし、ミツアキタービンは先行抜け出しで2着に4馬身差の圧勝!
この時の2着馬がアンドゥオールで、後に重賞を連勝する馬です。ここでも、ミツアキタービンの強さがうかがい知れるというものです。

ミツアキタービンは吉田稔騎手を背に、笠松競馬場の東海ゴールドカップで地方重賞勝ちを増やし、続く京都競馬場・平安ステークスで6着とやぶれた後、フェブラリーステークにチャレンジします。

鞍上はミツアキタービンのベストパートナーである東川公則騎手。しかし、前走の平安ステークスで敗れたこと、東川公則騎手が中央競馬ファンにはほとんど知られていなかったこと、そしてなにより地方競馬所属馬だったこともあり、ミツアキタービンは単勝12番人気で104倍と全く人気がありませんでした。
このレースは他に、地方競馬所属馬としてトーシンブリザード&石崎隆之騎手、ハタノアドニス&内田博幸騎手も出走していましたが、3頭ともに単勝100倍以上。地方競馬ファンの中には、「悔しい気持ちで一杯、中央競馬ファンにギャフンと言わせたい!」と思った方も多かった事でしょう。もしかすると、陣営もそのような気持ちだったかもしれません。
1番人気はアドマイヤドン、2番人気はユートピア、3番人気はサイレントディールと、ここまでが単勝オッズで10倍を切っていました。

そして、フェブラリーステークがスタート。
レースはハタノアドニス&内田博幸騎手が逃げて、ミツアキタービン&東川公則騎手は2番手に。地方競馬ファンとしては熱い展開です。
そのまま直線に入りハタノアドニスは失速しますが、ミツアキタービンはまだ手応えに余裕があり、先頭にたちます。
残り100mでもまだ先頭だったことで大興奮した地方ファンは多かった事でしょう。
しかしゴール前で強襲してきたアドマイヤドン、サイレントディール、スターリングローズに交わされて2分の1、クビ、2分の1馬身差の4着。あと一歩のところで馬券圏内を逃しましたが、ブルーコンコルド、タイムパラドックス、イーグルカフェ、ユートピア、ノボトゥルーといったダートの名馬に先着したのですから立派です。中央でのあわやの激走で、ミツアキタービンは一躍脚光を浴びます。

そしてむかえたのが船橋競馬場、ダイオライト記念。前走のフェブラリーステークスから一気の800m延長でしたが、本来は長距離志向の馬。カネツフルーヴ、レマーズガール、イングランディーレなど名だたる中央競馬所属馬をおさえて、ミツアキタービンは1番人気に支持されます。
レースでは、逃げたカネツフルーヴの後ろ、2番手追走。直線に入ると抜群の手応えで、カネツフルーヴをあっさりかわして先頭でゴール。2着のイングランディーレに5馬身差をつける圧勝でした。

あの時レースを見ていた多くのファンが「ミツアキタービンはさらなる大仕事をやってのけるのではないか!?」と、大きな期待をしたはずです。ちなみにこの時の3着馬はジーナフォンテン。同じく上山競馬場デビューの地方競馬の名牝ですが、今ではあのカジノフォンテンの母といった方が分かりやすいでしょうか。

ミツアキタービンはその後オグリキャップ記念も勝利し、交流重賞連覇。「さあこれから!」という時──屈腱炎に襲われます。
その後ミツアキタービンはケガに悩まされ、地方重賞は勝つものの、交流重賞では厳しい結果が続き、往年の輝きを取り戻せないまま引退となりました。
引退後は種牡馬となり、ミツアキダイチャン・ミツアキターといった馬を輩出しますが、牧場閉鎖に伴い廃用。その後の行方は、明らかになっていません。

いつの時代にも、運悪くケガをして「あのケガさえなければ……」と思わせる馬は数多くいますが、あの第49回ダイオライト記念を見た地方競馬ファンの多くは「ミツアキタービンはダート最強馬になれたはず!」と本気で思ったことでしょう。

ミツアキタービンの後半生は悔しさの残るものでしたが、同じ上山競馬場出身で、第49回ダイオライト記念3着だったジーナフォンテンの仔カジノフォンテンが令和の競馬界で大活躍。
彼と所縁ある馬は、今もなお競馬場で走り続けているのです。そしていつか、その中から、ダートの最強馬が登場するかもしれません。

写真:富田直将

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