2017年中山金杯 - 金杯を駆け抜けた優駿たちと、その後

「一年の計は金杯にあり」
競馬の世界にはそんな言葉がある。一年の最初に施行される重賞が金杯であるからだ。

……と、実は昨年も同じ書き出しで記事を書かせていただいたのだが、覚えている方はいるだろうか。早いものでまた年が明け、金杯の季節がやってくる。

ウィナーズサークルでは関係者が集って鏡開きを行い、1レースから普段とは一味違った華やかなムードが漂う。某SNSでその年の最初のレースである中山1レースを勝利した騎手を“暫定リーディング”と称して盛り上がることも、毎年の風物詩のようになっている。

私が初めて金杯を見に行ったのは、大学2年生だった2017年のこと。前年秋に成人祝いということで、祖母からカメラをプレゼントしてもらってから少しずつ競馬場に行く機会が増えてきた……ちょうどそんな頃だった。

正月競馬というものを体感するのは初めてで、「一体どんな雰囲気なのだろう」なんて心を躍らせながら武蔵野線・船橋法典駅から続く中山の地下通路をくぐる。すると、スタッフの皆さんが「明けましておめでとうございます」と競馬場に訪れるファンに声をかけながら、JRAとキティちゃんのコラボハンドタオルを配っていた。学生時代はよく使っていたし、おそらくまだ実家にあるはずだ。

地下から坂を登ってスタンド前に出ると、冬の中山特有の冷たい風が強く吹く。せっかく電車の暖房で暖まっていた身体を芯から凍らせていくようだ。

「お昼は絶対に温かいうどんにしよう……」
ボソッと呟きながらスタンドの向こう側にあるパドックに向かうが、まだ中山金杯まで5時間ほどあると思うと心まで寒い。メインレースまでの間はパドックとコースを行ったり来たりを繰り返し、未来のスター候補を探した。この日は3レースの3歳新馬戦でヘヴンリーロマンス産駒の牝馬キエレが蛯名正義騎手を背にデビューを迎えていた。栗毛の可愛らしい牝馬だったのを覚えている。

当時は半兄であるアウォーディーとラニが世界を股にかけて活躍している真っ只中だったから、彼女のデビューにはワクワクしたものだ。確かPOGでも指名していたが、彼女が未勝利で繁殖入りすることになるとは、まだこの時の私は知るよしもない。

15時頃、パドックに中山金杯の出走馬たちが姿を現した。私はコース前で寒さに凍えながらターフビジョンでその様子を見ていた。

1番人気に支持されていたのはツクバアズマオー。この日までに挙げていた全6勝のうち、4勝を中山で、残り2勝をそれぞれ函館と札幌で記録していた生粋の小回り巧者である。前走で中山金杯と同条件のオープンを快勝していたことが人気を後押ししていただろう。

一方で、私の本命馬シャドウパーティーは9番人気だった。なぜ4年も前のGⅢの本命馬なんてものを覚えているのかと言われれば、レース結果がハナ差の4着だったからということに尽きるだろう。この文章を書きながらも、思わず地団駄を踏んでしまいそうになる。

スタンド正面に設置されたゲートから、13頭が揃ったスタートを切る。陽が傾き、スタンドの影になった直線コースで先行争いが行われる。大外からマイネグレヴィルが先手をうかがうが、大方の予想通り中からダノンメジャーが強気に押して先頭に立った。2番手にトミケンスラーヴァ、クラリティスカイ。その後ろにマイネグレヴィルが落ち着いて、さらに2番人気ストロングタイタン、3番人気ドレッドノータスが続いていく。1番人気のツクバアズマオーは後方3番手のポジションでゆったりと自分のペースを守りながら好機をうかがっていた。

前半1000mの通過は60秒4で淀みなく流れていったが、レース後半に差し掛かったところで後方にいたマイネルフロストが一気に押し上げて先行集団に並びかけていった。その動きに釣られてドレッドノータスより前にいた各馬は急激にペースを速める。後続との差が一瞬だけ開いたが3コーナーにかかるとついていけないマイネグレヴィルが脱落。出し抜けを図ろうとしたマイネルフロストも他馬に一緒に付いて来られてしまい、捲り切れない。トミケンスラーヴァ、ストロングタイタンは手を動かすが手応えが悪い。
再び馬群は凝縮し、今度は後ろで我慢していたドレッドノータスとツクバアズマオーが一気に外目を上がってきて直線に向いた。逃げたダノンメジャーがもう一度リードを取り、そのすぐ外に出して最内でじっくり構えていたクラリティスカイが抜け出しにかかる。

坂を登って残り200m、クラリティスカイがGⅠ馬の意地を見せて先頭に立ったがツクバアズマオーが外から一気に襲いかかる。
その後ろでは馬群の中をシャイニープリンス、外からシャドウパーティーが差を詰めていく。3着争いは4頭がもつれる接戦になったが、それは馬群から完全に抜け出していた前方の2頭とは距離を置いての熱戦だった。

先頭争いは、最後まで必死に抵抗するクラリティスカイを勢いで勝るツクバアズマオーが3/4馬身交わし切ってゴールイン。鞍上の吉田豊騎手にとっては1999年以来、実に18年ぶりの中山金杯制覇となった。

余談ではあるが、この数分後に行われた京都金杯では、鞍上を武豊騎手が務めるエアスピネルが1番人気に応えて勝利し、東の金杯を“東の豊”、西の金杯を“西の豊”が制する形となったことでも話題となった。

重賞初制覇を達成したツクバアズマオーは年内の最大目標を有馬記念とし、小回り巧者らしく中山記念、日経賞、函館記念、札幌記念、オールカマーと得意条件を使い続けたのだが、思うような結果を残すことはできなかった。そればかりか11月の福島記念ではシンガリ負けを喫し、レース中の骨折も発覚。長期休養を余儀なくされ、有馬記念への出走はついに叶わなかった。

1年後の福島記念で復帰を果たしたものの13着大敗。次戦にはダートのオープン競走を選択するもブービーから3秒近く離された最下位に沈むなどかつての輝きは失われていた。

翌2019年からは中央芝重賞勝ち馬ながら高知競馬に移籍し、下級条件を20戦して7勝を積み上げ、10歳となった昨年1月まで走り続けて引退した。その後は引退馬協会のフォスターホースとなって鹿児島で過ごしていたが、11月末に容体が急変し、たった数ヶ月の余生を過ごしただけで急ぎ足で天まで駆けていってしまった。中央重賞を勝った馬の最期がこんなことになろうとは、いくら体調のことで仕方とはいえ、なんとも言えない気持ちに襲われる。

あの日、第66回中山金杯をともに走ったメンバーたちのその後は様々だ。ダノンメジャーやライズトゥフェイム、マイネルフロストはレース中の事故で、ドレッドノータスは疾病が原因で現役のままこの世を去った一方、シャドウパーティーとトミケンスラーヴァはかつてツクバアズマオーも在籍した高知競馬で2022年になった今でも現役を続けている。
クラリティスカイは同じ高知にある牧場で余生を過ごし、ストロングタイタンやシャイニープリンスたちは乗馬の世界で第二の馬生を歩んでいるようだ。
ロンギングダンサーは北海道でわずかながらに種付けを行って昨年に待望の産駒が誕生し、紅一点だったマイネグレヴィルは母となって中央勝ち馬を輩出した。
そして同日の京都金杯を勝利したエアスピネルは、ダートに転向して未だ中央の一線級として現役を続け、来たるフェブラリーSで悲願達成を目指している。

2021年に世の中を沸かせた「ウマ娘プリティーダービー」。そのおかげもあって、私の周りでも競馬に興味を持ってくれる人たちが明らかに増えてきた。
「競馬場に行ってみたい」
「競馬を教えてほしい」
そんな言葉をかけてもらう機会も増え、SNSにも競馬の話題が上がることも多い。そんな今は、競馬のみならず引退競走馬の福祉に関する活動も普及していく良い契機だと思う。全ての馬が種牡馬や繁殖牝馬となれるわけではない。繁殖入りしたからといって未来が約束されたわけではないし、乗用馬として第二の馬生を送る馬、支援を受けるなどして功労馬として生活する馬など日本各地で様々な形の「その後」が存在している。
サラブレッドの在り方を知ってもらうことで、ツクバアズマオーのような中央重賞勝ち馬でも功労馬として手厚い支援を受けられないことがあるという実情や、そんな環境を変えようと努めている人たちのことも広めることができるかもしれない。

世の中がいわゆるコロナ禍に苛まれてから、早いものでもう2年という月日が経った。このままのペースで以前のような生活に戻っていくならば、今年こそ色々な場所に足を運び、種牡馬だけではなく、ツクバアズマオーのような引退競走馬たちに会いに行く機会を増やしていくつもりだ。なかなか上手いように馬に会いに行けなかったこの2年を挽回できるように、またもっと彼らのことをお届けできるように一歩踏み出してたくさんの活動ができればと思っている。その中でも「会いたい時に、会いたい馬に会いに行く」、このモットーだけは決してブレることのないようにしたい。

皆さんはどんな2022年を思い描いているだろうか。
今年もまた、馬が走る。

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