京王杯2歳Sの前身である京成杯3歳Sが創設されたのが1965年の事である。当時は中山競馬場の芝1200mで行われていたが、1980年からは東京競馬場・芝1400mでの開催が定着した(2002年は東京競馬場改修のため、中山競馬場・芝1200mで開催)。朝日杯3歳S(現在の朝日杯フューチュリティS)や阪神3歳牝馬ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)の前哨戦として位置づけられている。
京成杯3歳Sは、1989年から外国産馬の出走が開放された。1998年には京王杯3歳S、2001年には京王杯2歳Sと改称されてきたが、その歴史の中でこれまで7頭の外国産馬が優勝している(2021年現在)。
今回は7頭のから3頭をご紹介。京成杯3歳Sで外国産馬が初勝利を挙げたのは1994年のゴーゴーナカヤマである。ゴーゴーナカヤマの勝利から3年後の1997年、1頭の外国産馬がとんでもないレースをして、競馬界の話題をさらった。
グラスワンダー(1997年)
1996年9月、アメリカ・キーンランドで行われた2歳(現在の1歳)のセリ市に日本の尾形充弘調教師がいた。そこで目にしたのは父シルヴァーホーク、母アメリフローラの牡馬であった。22万ドル(当時のレートに換算すると約2400万円)で落札されたが、競合相手はドバイの大馬主であるゴドルフィンであった。
グラスワンダーと名付けられたアメリフローラの95。1996年の11月に日本へ輸送され、ノーザンファーム空港牧場で育成調教が行われたが、その動きの良さが評判となった。1997年4月に尾形充弘厩舎に入ったグラスワンダー。尾形調教師に声を掛けられた的場均騎手が跨ったところ、的場騎手も高いポテンシャルを秘めた馬だと思った。
3歳(現在の2歳)の9月に芝1800m戦でデビューしたグラスワンダー。的場騎手がムチを入れずに3馬身(0.5秒)差を付けて快勝。続くアイビーステークス(芝1400m)では的場騎手はムチを入れずに2着の馬に5馬身(0.8秒)差を付ける圧勝。400mの距離短縮に勝利という言葉を出したように、大物感あふれる馬体、レースぶりを見せた。
続いて出走したのは京成杯3歳Sであった。このレースには新潟3歳S(現在の新潟2歳S)を制したクリールサイクロンや小倉3歳S(現在の小倉2歳S)を制したタケイチケントウと2頭の重賞競走を制した馬が出走してきた。それでも、デビュー後2戦の内容が圧巻だったグラスワンダーが単勝オッズ1.1倍の圧倒的な支持を得た。2番人気のクリールサイクロンは単勝オッズ7.1倍。タケイチケントウは単勝オッズ13.7倍の3番人気であった。
ゲートが開くと、ききょうSを制したファイブポインターが逃げ、グラスワンダーは2.3番手に付ける。ピッタリとマークする様にタケイチケントウやストームティグレスが付ける。クリールサイクロンは新潟3歳Sと同様に最後方9番手で直線の切れ味を活かす競馬に徹する。他の馬とのスピードが違うのか、早くもファイブポインターを抜こうとするグラスワンダーに対し必死になだめようとする的場騎手であった。
残り400mで先頭に立つグラスワンダー。インコースにはタケイチケントウ、大外にはクリールサイクロンがいるが、的場騎手が何度もチラッと後ろを見る余裕を見せた。的場騎手は追ってはいるが、ムチは使わず府中の坂を軽々と上る。2着争いが混戦の中、グラスワンダーは悠々とゴール板を通過。走破時計の1分21秒9は前年のこのレースを制したマイネルマックスよりも1秒早い。結局2着のマチカネサンシローには6馬身(1秒)差を付ける圧勝。仮に的場騎手がグラスワンダーに気合を付け、ムチを使っていたならば、どれだけのタイムを出していたのか……。
続く、朝日杯3歳Sで的場騎手が初めてムチを使ったが、2着のマイネルラヴに2馬身半(0.4秒)差を付け快勝。しかも、リンドシェーバーが1990年にマークした中山競馬場・芝1600mの2歳レコードを0.4秒更新。「平成の怪物」とも言われるようになったのであった。
アポロドルチェ(2007年)
海外の競走馬のセリ市で、日本では馴染みのない血統の馬を日本人オーナーが買い、輸入して走らせる事がある。特に日本では絶滅寸前のゴドルフィンアラビアンの血統はアメリカの馬産地でもなかなかセールには出てこない。そんな中、2007年の京王杯2歳Sを制したアポロドルチェは父親の血統がゴドルフィンアラビアンに辿り着いた。
2007年4月にアメリカ・カリフォルニア州で行われたバレッツマーチセールにて10万ドル(当時のレートに換算すると1200万円)で落札されたアポロドルチェ。父のオフィサーはアメリカの2歳G1レース、シャンペンステークス(ダート約1700m)を制した。アポロドルチェの母方の血統を見るとストームバードが入っている辺り、2歳戦で早く勝ち上がる血統構成。ペーパー馬主ゲーム(以下POGと略)の即戦力候補として注目を浴びた。
2007年9月にデビューしたアポロドルチェは単勝オッズ1.6倍の圧倒的な支持を得て快勝。続くいちょうステークス(オープン)は3着に敗れたものの、3戦目の京王杯2歳Sに出走。新潟2歳Sを制したエフティマイアや500万下(現在の1勝クラス)のかえで賞を制したレッツゴーキリシマらを抑えて1番人気に支持された。
小雨が降る中でゲートが開いた。ほぼ綺麗に揃ったスタート。主導権を奪ったのはレッツゴーキリシマだったが、ダイナマイトシコクやイイデケンシンなども絡んでいく。まずまずのスタートを切ったアポロドルチェは後藤浩輝騎手が意識的に後方へ下げる。2歳の重賞らしく主導権の入れ替えが激しく先団が落ち着かない中、アポロドルチェは中団9番手へポジショニングを上げる。一方のエフティマイアは先団で新潟2歳Sを勝ったのとは対照的に後方からの競馬でレースが進む。
3コーナーから4コーナーに掛けてアポロドルチェは徐々に加速したが、外枠の14番枠からのスタートだった影響もあったのか、馬場の大外を回される。坂の手前で先頭に立ったレッツゴーキリシマ。アポロドルチェも馬群の大外を回って、レッツゴーキリシマに迫る。内からはドリームシグナルが切れ込んで来た。しかし、馬場の外側からアポロドルチェが加速する。最後はドリームシグナルに1馬身3/4(0.3秒)差を付けてゴールイン。アポロドルチェの後藤騎手とドリームシグナルの小林淳一騎手は競馬学校の同期生で、同期生のワンツーフィニッシュとなった。
アポロドルチェの京王杯2歳Sで自身の通算1000勝目を挙げた後藤騎手。パフォーマンスに秀でていた後藤騎手の勝利騎手インタビューでは当時話題になった女優の物まねを行った。また、騎手・後藤浩輝、調教師・堀井雅広のコンビではで2001年にこのレースを制したシベリアンメドウのコンビである。後藤騎手・堀井調教師のコンビでは2004年の朝日杯フューチュリティSを制したマイネルレコルトもこのコンビでG1レースを獲得し、2歳戦に強いコンビであった。
朝日杯フューチュリティSでは2番人気に支持されたが、11着に敗退。続くアーリントンCでも9着に終わり、スプリングS以降は別の騎手が騎乗する事となり、後藤騎手は再びアポロドルチェに跨る事はなかった。アポロドルチェは3歳夏のオープンレースを勝利、スプリンターズSでも5着と健闘したが、重賞を制覇する事が出来なかった。6歳の秋に地方競馬の大井競馬並びに園田競馬に移籍したものの、勝ち星は挙げられなかった。引退後は岡山県の牧場で乗馬として過ごしている。
一方の後藤騎手は2012年の落馬事故で頸椎を損傷。以降は怪我との戦いになり、年間70~100勝あった後藤騎手の年間勝利数は20~35勝と落ち込んだ。そして、2015年2月に急逝。通算成績は1447勝。あの怪我が無ければもっと活躍できたであろう。そして堀井調教師はボンネビルレコードやマルターズアポジーなどの個性派を送りだし、2004年から2007年までの間に所属していた吉田隼人騎手を育てるなど多くの功績を残したが、定年のため2021年2月でもって調教師生活にピリオドを打つ予定となっている。
エーシントップ(2012年)
POGを長年やっていると、ある傾向が掴めてくる。「エイシン」の名前で走る外国産馬が2歳(旧表記3歳)~3歳(旧4歳)では走る馬が多い事に気付く。1999年の朝日杯3歳Sを制したエイシンプレストン、1994年のクイーンCやアーリントンカップを制したエイシンバーリン、2009年の京王杯2歳Sを勝ったエイシンアポロンなど「エイシン」の名前が付く外国産馬が、POG期間中で活躍していた。
「エイシン」という名前は大阪に本社を置く玩具製造販売会社の「栄進堂(えいしんどう)」から来ている。ここの創業者である平井克彦(かつひこ)氏が所有している馬に「エイシン◯◯」と多くつけられていた。克彦氏の息子で、現在の栄進堂の社長である平井宏承(ひろつぐ)氏が一時期使っていたのが「エーシン」という名前である。その「エーシン」の名前で3歳のマイル戦線で活躍したのが、2012年の京王杯2歳Sを制したエーシントップである。ちなみに、現在の「エイシン」の名前が付く馬主は「栄進堂」となっている。
2010年にアメリカの牧場で産まれたエーシントップ。半兄にアメリカのG1レースであるブルーグラスSを制したジェネラルクォーターズがいる血統で、父はストームキャット系の種牡馬テイルオブザキャットとスピードがありそうな血統。事実、栗東・西園厩舎に入厩した後は快速馬らしいスピードのある調教を行った。
6月の阪神芝1400mでデビューしたエーシントップ。持ち前のスピードを活かし、2着の馬に2馬身1/2(0.4秒)差を付けての逃げ切り勝ちを収めた。続く、7月の中京2歳Sも逃げ切ったエーシントップは休養に入り、3連勝を目指して京王杯2歳Sに進んだ。
しかし、京王杯2歳Sの単勝オッズは5番人気の6.5倍。1番人気に支持されたのはデイリー杯2歳Sを制したテイエムイナズマ。2番人気は小倉2歳Sを制したマイネルエテルネル。その他にもクローバー賞を制したアットウィル、新潟2歳S2着のノウレッジなどオープンレースで結果を残している馬が多く出走した。
良馬場で競馬が行われた中でスタートを切った。新馬、中京2歳Sでは逃げる戦法で勝ったエーシントップ。だが、それよりも早くマイネルエテルネルが制し、主導権を握る。2番手から進むエーシントップ。以下ラブリーデイ、アットウィルらが先団を形成。ノウレッジは中団に待機、デイリー杯で逃げたテイエムイナズマは後方からの競馬となる。
前半の600m通過タイムは35.6秒とスローな展開で流れる。600m~800mのラップは11.9秒を刻み、瞬発力勝負が求められるレース。我慢できなかったテイエムイナズマが捲るようにして4コーナーでは7,8番手までポジショニングを上げた。一方のエーシントップはラブリーデイと並んで2番手を形成し、直線に入る。
前半はスピードが上がる200m~400mのラップは11.3秒を刻んだものの、全体的に11秒台後半、スタート後の200mのラップは12.7秒とゆったりした流れが一転してピッチが上がる。800m~1000mのラップは11.3秒と加速。ここで上手く対応できたのはエーシントップとラブリーデイ、そして彼らの直後でレースを進めたカオスモス。後方からタイセイドリームやノウレッジもペースが上がる。1000m~1200mのラップは11.0秒を刻む。
しかし、序盤で先団にいた馬が有利になる。最後の200mを過ぎ、カオスモスが脱落。内に潜り込んだラブリーデイと外のエーシントップの争いになったが、最後はエーシントップがラブリーデイを3/4馬身(0.1秒)差を付けてのゴール。重賞初制覇となった。勝ちタイムの1分21秒2は2019年にタイセイビジョンに更新されるまでの京王杯2歳Sのレースレコードタイムとなった。
騎乗した浜中俊騎手も課題となっていたテンションも落ち着いていたとコメント。実は新馬戦、中京2歳Sで馬の走りに力みが見えていたのを西園正都調教師が察知し、ハミをリングバミに替え、メンコも中京2歳Sとは違い耳を覆うタイプに変更。陣営の努力の賜物として勝利に導いたのだ。
無傷の3連勝で京王杯2歳Sを制したエーシントップ。次は本番である朝日杯フューチュリティSに進んだエーシントップだが8着に終わった。ストームキャット系種牡馬を父に持つ馬は一度連勝が止まるとスランプになる事があるが、明け3歳になったエーシントップは1月のシンザン記念を制した。
続くニュージーランドトロフィーも制し、迎えたNHKマイルカップでは1番人気に支持されたものの、7着に敗れた。その後のエーシントップはダートのオープンレースを1勝挙げたが、重賞では勝てずにいたが、4歳の高松宮記念では4着に入って存在感を示した。大レースでの活躍こそなかったものの、通常のPOGの期間中である2歳6月から3歳の日本ダービー当日までの間で約1億4900万円稼いだことは、POGファンにとっても有難い存在だったに違いない。
競走馬引退後は北海道で種牡馬生活を送っていたエーシントップ。今年の2歳馬から産駒を送り出しているが僅か4頭しかいない。2020年に生まれたエーシントップの子供は8頭と厳しい種牡馬生活を送っていた。
──しかし、九州からのオファーにより2021年からは新天地・九州で種牡馬生活を送り始めることに。ヨカヨカやイロゴトシの活躍で活気づく九州の馬産地。来年生まれてくる子供から父親譲りの快速馬が出てくるのか、九州産限定の競走だけでなく楽しみな種牡馬だ。
写真:かず、Horse Memorys