オーシャンブルー~七つの芝、七つの勲章~

七つの海(ななつのうみ) the Seven Oceans

南・北太平洋、南・北大西洋、インド洋、南極海(南大洋(なんたいよう))、北極海の七大洋をいう。(後略)

出典小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

2006年・菊花賞で英雄ディープインパクトに三冠を取らせまいと最後まで食い下がったアドマイヤジャパンが、穏やかな眼差しでビーズクッションにその身を委ねるCMが「バズった」その4日前、2022年8月4日。同じ牧場のWEBサイトに1頭の繋養馬の訃報が唐突に掲載された。

オーシャンブルー号

急逝のお知らせ

──YogiboヴェルサイユリゾートファームHP 2022年8月4日付「NEWS」より

7月31日に「安住の地」に戻ってきたばかりのステイゴールドの仔、オーシャンブルー。その早すぎる死が、知らされた。

目を疑った。

何度目をこすっても、「急逝」としか読めなかった。

明朝体で記された2行の表題は、1行目の後に1マスのスペースが入ったまま改行されており、センタリングのバランスを欠いていた。洗練され尽くしたWEBサイトの中、急に現れたその「ずれ」が、事の突然さと、関係者の動揺・悲嘆をあらわしているかのように見えた。

勤務中、昼休みにこの知らせを見てしまったステイゴールドファンの私は、自席に戻るなりやおら大仰なしぐさで傍らの目薬をさした。聞かれる前に同僚に言った。

「いや、なんだか、急に、目が、かゆくなって……」

peu à peu~徐々に、着実に

オーシャンブルーが生まれたのは2008年のことである。

父はステイゴールド、母はドイツ生まれのプアプー。母の血にはドイツのリーディングサイヤーに6度輝いたズルムー、さらにはダンシングブレーヴ・ミルリーフ・シーバードと、枕詞のいらない超弩級の名馬が名を連ねている。

2008年生まれ、つまり2011年クラシック世代のステイゴールド産駒といえば、ちょうどドリームジャーニーが産駒初のGⅠ制覇──しかもまさかの2歳戦・朝日杯FSでの勝利──を成し遂げ、晩成タイプ種牡馬の懸念を振り払った直後に種付けされた世代。そしてその世代は、ドリームジャーニーの弟・三冠馬オルフェーヴルを筆頭にJRA重賞勝ち馬を7頭輩出した世代でもある。これは、生産年別では最多頭数となる。

そんな「当たり年」の1頭に名を連ねたオーシャンブルーだが、デビューは遅れて明け3歳、2011年2月。すでに同期のステイゴールド産駒フェイトフルウォー(彼の放馬からの新馬戦圧勝もまた語り継がれる)が1月の京成杯を勝ち、クラシックに名乗りを上げていた。

小倉競馬場、芝1800mの新馬戦にエントリーしたオーシャンブルー。厩舎の期待がこもったコメントもあり2番人気に推されたが、勝負どころで離されての6着に終わってしまう。共同通信杯で同父のナカヤマナイトが絵に描いたように内をすくって同期2頭目の重賞勝ち馬となる、1週間前のことだった。

震災を挟んで2か月半後の新潟、まだ減量の「☆」がついていた松山弘平騎手とともに迎えた2戦目。内回り2000mながら直線外に持ち出してから前を必死に追うオーシャンブルーは、上がり3F最速の末脚を繰り出したものの前も止まらずまたも6着に終わった。前日にバウンシーチューンがフローラSを制し、4時間後にはオルフェーヴルが圧巻の走りでトライアルからの重賞連勝で皐月賞を制した2011年4月24日。オーシャンブルーは未だ一介の未勝利馬に過ぎなかった。

オークスに、そしてダービーに向かって父ステイゴールドの同期が調整に励んでいた5月15日。オーシャンブルー待望の初勝利は、3戦目にして3人目の鞍上、和田竜二騎手とともに勝ち取ったものだった。

前2戦で前との差を縮められなかった3,4コーナーで和田騎手に促されてポジションを上げたオーシャンブルーは4コーナーをタイトに立ち回り、直線開いた内をズバッと突いた。オーシャンブルーは5月の新緑の下、ラストは3馬身差をつける快勝をあげたのだった。

そして緑が深まるにつれて、彼はその実力を着実に披露し、結果に繋げていくようになる。

中京競馬場改装工事のため変則開催となった7月の京都。距離を2400mに伸ばしたオーシャンブルーは川田将雅騎手とのコンビですんなりと先行する。直線外からかわしにかかる同父のゴールドブライアンを最後まで抑えきって2連勝をあげた。

返す刀で8月の新潟。今度は福永祐一騎手に背中をゆだねたオーシャンブルーは外から力強く脚を伸ばして3連勝を飾る。母の名プアプー=peu à peu(フランス語で「徐々に、着実に」)を体現するかの如く、未勝利、500万下、1000万下と地歩を固めていったオーシャンブルー。オルフェーヴルを筆頭に同父の同期が待つ秋の表舞台が、ようやく手に届くところに来た。

──はずだった。

菊花賞トライアル・セントライト記念に向けて調整していた9月初旬、オーシャンブルーは球節炎を発症。無念の戦線離脱となった。セントライト記念はフェイトフルウォーが制し、そして西のトライアル神戸新聞杯から本番の菊花賞と、オルフェーヴルは完璧な形で三冠街道を締めくくった。

デビューの年、オーシャンブルーは5戦3勝。GⅠの檜舞台に立つことはできずに終わった。同期の大エース・オルフェーヴルとは、それまでも、そしてそれからも、一度も同じレースに出ることはなかった。

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