[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]初めての外出(シーズン1-3)

朝9時半きっかりに慈さんから電話がかかってきました。「おはようございます!今からムーアたちを外に出しますね」ということなので、僕も急いでカメラを持って馬房に向かいました。

「それでは出発!」と号令がかかり、慈さんがダートムーアを引き、理恵さんとミヅキさんが2人がかりでとねっ子を支えながら、初めての外出の準備万端です。人間の赤ん坊であれば1カ月間は外出禁止ですが、サラブレッドは翌日か翌々日にはもう外に出るのです。とねっ子にとって、片目の前に広がる外の世界はどのように映るのでしょうか。

放牧地に出たダートムーア親子は対照的な行動をとりました。母は久しぶりの屋外にテンションが上がったのか、尻っぱねをして駆け出しました。とねっ子はしばらく微動だにせず立ち止まっていましたが、しばらくしてからいきなりラチ沿いに高く積もっている雪山に向かって突進していったのです。僕たちは唖然とし、慈さんは「なんでそっちに行くんだよ!」と驚きを隠せません。今まで初めての外出でそのような行動を取った馬はいなかったそうです。こうした珍しい動きを目にすると、僕たちはどうしても「片目が見えないからではないか…」と不安に思います。特に病気が原因ではなくて、その馬の個性的な行動であったとしても、目が見えないことに理由を求めてしまいがちです。

そんな僕たちの心配をよそにとねっ子は、雪山から這い出してからは、母の周りを歩き回り、ついには走り出しました! ダートムーアも嬉しいのか、とねっ子について走り回っています。昨日生まれた子どもと母馬が走り回っているだけなのに、何とも言えない素敵な光景です。僕の目の前を高々と跳ぶようにして駆けてゆくのです。オレンジ色の馬服は生まれたばかりのとねっ子としてはいちばん大きいサイズらしく、それもパンパンですので、それだけでダートムーアの娘の体が大きいということです。目の病気さえなければ、競走馬として活躍できたかもしれないと思うと悔しいですが、まずは元気に跳ね回っているだけで僕は幸せな気持ちがしました。ずっと見ていられる気がして、僕はしばらくそこでオレンジの馬服だけを見ていました。

ひとつ気が付いたのは、お乳を飲むときは目の見える側からだけ飲んでいるようです。つまり、右目でダートムーアのお乳を右に見ておっぱいを吸っているのです。馬のおっぱいも2つあり、ダートムーアからすると片側だけを吸われるともう片方にお乳が溜まって嫌がるはずですが、とねっ子は上手に左右を吸い分けているようです。右側から入ると向こう側のおっぱいは吸いにくいはずですが、器用に飲んでいます。このようにできること・できないことはあっても、結局何とかなって、特に問題なく、普通の馬たちと同じように成長できるのではないかと希望が湧いてきました。

さて、とねっ子の次は、期待の1歳馬たちです。昨年の10月末に会って以来ですから、およそ4ヶ月ぶりになります。まずはダートムーアの23(牝・父ニューイヤーズデイ)から。片目のとねっ子のお姉さんですね。相変わらずボーっとしていて大人しいのですが、スイッチが入ると手が付けられない性格は変わっていないそうです。背も順調に高くなっている気がしますし、全体的にも成長していますね。お母さんも背が高い馬でしたから、薄い馬体も何ら問題はありません。むしろ軽快なスピードがありそうです。大きいとは思いませんが、小さくもありません。おそらく中型のサイズで走ることになるのではないでしょうか。何と言っても、目がふたつあることに感動してしまいます。

父ニューイヤーズデイは勝ち上がり率も高く、特にダート戦は距離を問わず産駒たちが走っていますので、おそらくこの馬もダートを得意とするはずです。普段は大人しくて余計なところで力を消耗せず、レースのときだけスイッチが入るといいなと思いつつ、一緒に写真に収まりました。

続いてスパツィアーレの23です。最近は群れの中でもいちばん体が大きいこともあって、他の馬に乗っかったりと悪さをするらしく、その際に怒った相手に蹴られて右肢の管に怪我をしてしまったそうです。治療をしようと捕まえて、患部に消毒液を塗ったり、薬を飲ませようと吸引器を装着したりしたところ、それが嫌だったのか、ここ数日は人間の言うことを聞かなくなったとのこと。収牧しようと捕まえに行っても逃げようとしたり、呼んでも近寄ってこなかったりして迷惑をかけているようです。昨日はあまりにもわがままをするから、他の馬たちは全員引き上げて、スパツィアーレの23だけお仕置きで放牧地に出しっぱなしにしても、それでも意地になって戻ってこようとしない姿勢を見せていたそうです。

ルーラーシップ産駒はそういう難しいところがあり、手を焼かせる馬が多いそうです。実はルーラーシップの母エアグルーヴもそうだったそうです。とても頭の良い馬であり、へそを曲げるとテコでも動かない面があったと聞いたことがあります。単純に気の悪さからそう振る舞っているのではなく、賢いからこそ、納得できることとできないことがあるのでしょう。スパツィアーレの23もそういうルーラーシップらしいところがあるのだと解釈したいものです。

馬体には伸びがあって、腹袋も大きく、ルーラーシップを胴伸びさせたような立派な馬体を誇っています。背も高く、現時点でも500kg近くあるのではないかとのこと。姉たちも520kgと490kgと大型馬でしたから、牡馬である本馬は机上の計算でも530kgは超えるのではないでしょうか。ダートでも芝でも、マイルから中長距離戦を舞台に、パワーを生かして走ってくれそうです。今日は大人しく、むしろ真っ先に放牧地から戻ってきたようで(昨日のお仕置きが意外とこたえたのかもしれません笑)、写真撮影もしっかりとさせてくれました。

あと数か月後には、2頭とも誰かに買ってもらい、牧場から出て行ってしまうと思うと寂しいですね。以前、「お母さんとしてここに戻してあげるからね」と約束してしまったダートムーアの23には「ごめんね。妹がこんな形になってしまったから、君は外で頑張って来てね」と謝っておきました。生産の世界は何が起こるか知れず、分からないことだらけなのですから、安易に約束などしてはいけませんね。ダートムーアの後継はおのずと決まってしまったので、ダートムーアの23は高く買ってもらって、しっかりと育成を施してもらい、レースで活躍して、妹を助けてやってもらいたいものです。「母親と一緒にいるときはお嬢様っぽかったけど、離乳をして親元を離れたらしっかりしましたよ」とスタッフのひとりである青木さんも教えてくれたので、彼女なら外の世界に出ていっても大丈夫です。

午後からは、大狩部牧場の下村社長ことシモジュウも駆けつけてくれて、一緒に馬たちを見ました。ダートムーアのとねっ子の目ヤニが多かったので目薬を差した方が良いですか?と慈さんが相談すると、小眼球症の馬は涙が滞留しやすかったり、普通の馬に比べて細菌などによって炎症を起こしやすいので目の周りは綺麗に保つこと、また目薬を差すことは問題ないなど、的確に答えてくれて心強いです。

彼女の病気ばかりに目が行ってしまいがちですが、実に素晴らしい馬体を誇っています。生まれて2日後に見た限りでは、姉よりもひと回り大きく、飛節や膝などの節々がしっかりしている気がします。馬体を大きく出すタイセイレジェンドを配合した、僕の設計図意どおりです。左目以外は。しかも食欲も旺盛なようで、気がつくとダートムーアの乳を吸っています。子煩悩であるダートムーアでさえも、ときたま自分も飼い葉を食べたくて動いてしまうぐらい、しょっちゅうおっぱいに吸い付いているのです。アスリートであるサラブレッドにとって、食欲があることは何よりも大切です。健康である証拠ですし、体が大きくなる希望であり期待です。実に立派な馬体を有しつつ、食欲旺盛なダートムーアのとねっ子を見ると、目さえ無事であったらなあとどうしても思ってしまいます。

帰りは下村獣医師に新千歳空港まで送ってもらいました。「生産現場はほんとうに様々なことが起こります。良いことが必ず舞い降りてくれることを信じて、突き進みましょう。ムーアの当歳は魅力たっぷりですよ。将来の道筋をつくってあげられるのは我々人間なので、可能性を探しながら一緒に頑張りましょう!」と言ってもらいました。全てのサラブレッドたちもそうなのですが、特にこのとねっ子は周りの人たちに支えられ、温かく見守られ、ときには助けてもらいながら生きていくのでしょう。

帰りの飛行機の上で、バスや電車の中で、とねっ子の名前を考えました。明日からでも名前を呼んで、可愛がってもらえるようにしたいと思ったのです。ブラックヘレンやヘレンストリートという名繁殖牝馬がいますので、ヘレンも悪くないとは思いましたが、ちょっと気取りすぎな気もします。マリアはやや近寄りがたい感じがします。

そういえば、昔、日本では障害のある子どもが生まれてくると、宝物だと言って大切に育てたという話を思い出しました。調べてみると、たしかにそういう言い伝えはあって、彼ら彼女たちは「福子(ふくご)」と呼ばれていたそうです。なぜ「福子」かというと、心身になんらかの障害をもって生まれた子どもが、その家に富や幸福をもたらしてくれるということです。民俗学者の柳田国男は「たくらた考」の中で、次のような伝承を紹介しています。

「北陸処々の海岸地方では、村の白痴を大事にする風潮が近い頃まであった。その理由はこの者が死ぬと鯨に生まれ変わって、浜に寄ってきて村を富ませてくれるものと信じていたからだそうである」

もちろん、同じ時代や地域でも一方で、障害のある子は「鬼子」と言われ、忌み嫌うべき存在として間引きされたりすることもあったそうです。「福子」か「鬼子」かは、特に出生した家の経済状況によって左右されたとされます。富んだ家の場合は、障害児が生まれても育てていける経済があったということです。文化人類学者の小松和彦は著書「福の神と貧乏神」の中でこう記しています。

「そのような子(障害児)を大事にそだてることができる自信と勇気、あるいは経済的に余裕がある者が、その子を『福子』として迎え入れることができたのであった」

おそらく「福子」が生まれてきたからその家が富んだり、幸せになったりしたわけではなく、障害のある子を受けいれて大切に育てることができるような精神的、経済的余裕があって、人を大切にする人間的に成熟した家族は、より豊かに、より幸せになったということでしょう。もともと富や幸福がもたらされる基盤がその家にあったということです。

もうひとつ考えられるのは、こちらの方が重要かもしれませんが、「福子」が生まれたことで、家族が一致団結したということです。僕がそうだったように、何としてもこの子を守りたいという強い気持ちが湧き上がってくることで、今までにない充実感を覚えるのです。それまでは違った方向を見がちだった家族が、「福子」を守るという共通の使命の前では気持ちがひとつになり、つまり「福子」は家族同士を再びつなげる役割を果たしたのです。また、「福子」を手塩にかけて助けているつもりでも、実はそのことによって自分の生も充実して救われるなんてこともあったのではないでしょうか。

いずれにしても、同じ障害をもって生まれてきた子どもを「福子」とするか、それとも「鬼子」として扱うかで、その家の運命が大きく変わるということです。僕たち碧雲牧場は自信と勇気をもって前者を選んだのです。僕の心は決まりました。彼女の名前は「福(ふく)」にします。

「ムーアの娘の名前はふくでお願いします。幸福の福です。ふくちゃんをよろしくお願いします!」と理恵さんにLINEをしました。

(次回へ続く→)

★福ちゃんの幸せな毎日を動画でお届けしています。YouTubeチャンネル「片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS」はこちら!→ https://youtu.be/zYa5Umg6Klk (4月23日18:00~見逃しプレミアム配信配信中です)

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