[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]福ちゃんの塾選び(シーズン1-75)

僕が奈落の底に落ち込んでいるかどうかなど世界は無関心で、時間は待ってはくれません。気がつく6月が終わろうとしています。福ちゃんの卒業アルバムの制作に取り掛からなければと思いつつ、ひとつも手をつけられていません。そして、福ちゃんの育成牧場も未定です。碧雲牧場との話し合いの中で、とりあえず8月一杯までは牧場にいられそうだったので、もう少し時間があると安心していましたが、あくまでもそれは僕たちの都合です。育成牧場によっては、早めに入厩することが求められるかもしれません。

今のところ、碧雲牧場から近いエクワインレーシングが第1候補です。第2候補は上手獣医師が副代表を務めるマウンテンビューファーム。上手獣医師に育ててもらいたい気持ちはマウンテンマウンテン(山々)ですが、僕の自宅からマウンテンビューファームまでのルートを検索すると、新幹線や特急を乗り継ぎしながら片道5時間の旅になります。最寄りの駅から育成牧場までの足もありません。頻繁に行ける場所ではないので、福ちゃんの映像や写真は上手さん頼みになりますし、上手さんも忙しい身であり、福ちゃんばかりを撮影することはできないでしょう。そう考えると、碧雲牧場に近いエクワインレーシングの方が福ちゃんに会いに行きやすく、また碧雲牧場からの輸送も短くて安心です。

先日、シモジュウと話をしたときも、「うちも今年から数頭、エクワインレーシングさんに預かってもらうことにしました。代表の瀬瀬さんは大学の先輩なんですよ」と言っていました。ただ、セレクションセールが開催されると、そこで購買が決まった馬主さんからその場で預託されて馬房が埋まってしまうため、セレクションセールの前に入った方が良いと言われたそうです。エクワインレーシングは人気の育成牧場ですから、9月から入厩では遅いということです。

ひとりで考えていても先に進みませんので、友人の藤沼さんに相談してみると、「エクワインレーシングのマネージャーを知っているので、聞いてみますよ」と言ってくれました。現時点でも馬房が空いているのか分かりませんし、そもそも小眼球症の片目の馬を預かってくれるかどうかも分からないのです。

翌日、「セレクションの現場で声が掛かって埋まってしまうから、その前でしたらとのことです」藤沼さんからLINEが入りました。シモジュウの話と一致しますし、今のところはまだ空きがあるようです。「写真や動画の撮影に治郎丸さんがいらっしゃるなどは問題ないとのことでした」と付け加えてくれました。僕は肝心なことを伝え忘れたと思い出して、「片目のサラブレッドであることを先方は知らないですよね?」と聞くと、「伝えてありますよ!」と藤沼さん。さすがグッジョブです。

予定よりも1か月以上も早く碧雲牧場を卒業することになりますが、今後のことを考えると、それでもエクワインレーシングに入れてもらった方が良さそうです。福ちゃんの競走馬としての将来を左右する育成牧場選びですから、まるで子どもの塾を選ぶときのような、いや、子どもの塾選びよりも悩みます。心はエクワインレーシングにほぼ決まっていました。迷いがないといえば嘘になりますが、最後は僕自身が決めなければいけません。

セレクションセールの前に移動するとなると、残された時間は20日ほど。福ちゃんが最後の1頭になると思っていたのに、一番先に碧雲牧場を出ていくことになるとは思いもよりませんでした。逆に早く出ていきすぎて、セレクションセールに向けたマンちゃんのコンサイニングの予定を狂わせないかの心配もあり、慈さんに電話をしてみました。

「全然大丈夫ですよ! 福がいなくなったあとは、ミーとサバを連れてきますから」と思いの外、慈さんは快く送り出してくれそうでひと安心です。「ところで、治郎丸さん、うち(碧雲牧場)にいる内に福ちゃんの動画と写真を撮影しておいたらどうですか? 最近、福ちゃんはますます体も大きくなってきて、ただ大きいのではなく、筋肉がついて幅が出てきています。1歳の7月時点で比べてみても、ムエックスよりも立派かもしれません」と嬉しいことを言ってくれます。川崎マイラーズを勝ち、さきたま杯(JP1)を2着したムエックスを引き合いに出して褒めてくれたのです。

「実はムエックスは9月のセプテンバーセールで売れたのですが、何もしなくても夏を越して日に日に良くなっていった馬でした。その年はセレクションセールに出場したトウカイファインの18(ベンチャーアウト)に付きっ切りになっていて、ムエックスにはあまり手をかけてあげられなかったのです。あれ以来、僕の中で良い馬は勝手に成長するものだと思っています」と裏話を教えてくれました。福ちゃんも何もすることなく、馬が勝手に良くなっているのです。

1週間ほど悩んだ挙句、思い切ってエクワインレーシングのレーシングマネージャーの松田さんに直接、電話をしてみました。藤沼さんが話してくれていたこともあり、スムーズに話は進み、セレクションセール前に入ってほしいという流れも聞いていたとおりでした。もう一杯になってしまって…と断られることも想定していましたが、お待ちしていましたと言わんばかりのウェルカムさと丁寧さを感じました。あまりに滑らかに話が進むのでかえって心配になるほど。7月14日~19日の週にエクワインレーシングに福ちゃんを連れて行けるように、碧雲牧場と相談して日時を調整してみますと言って電話を切ろうとして、最後に念のためと思って確認してみました。

「小眼球症で片目が見えないのですが大丈夫ですよね?」

一瞬の間合いの後、「あっ、この馬が小眼球症なのですね? お母さんのことかと思っていました。不勉強で申し訳ないのですが、小眼球症の馬って競馬に使えるのですか?」と聞かれました。藤沼さんは小眼球症のことは話してくれていたのですが、福ちゃんのことではなく、お母さんのことだと勘違いされたようです。

「僕たちも最初は競走馬になれないと思っていたのですが、調べていくうちに、地方の競馬場によっては能力試験に受かれば走れると分かったのです。南関東や名古屋競馬は大丈夫みたいです」と答えます。

「そうなのですね。失礼しました。その件は代表の瀬瀬には話していなかったので、改めて確認して、来週に連絡させてもらいますね」と言って電話は切られました。とても真摯で誠実な対応だと感じました。

勘違いされてしまうほど、小眼球症の馬は競走馬になれないと、競馬の世界では誰もが思っているということです。だからこそ、こうして福ちゃんにたずさわった人たちが、小眼球症の馬でも競馬で走れる、大丈夫なのだと知ってもらうことが大事なのです。ウマフリで連載を書いたり、YouTubeチャンネルで発信することも大切ですが、実際に福ちゃんが競走馬になり、その活躍を競馬ファンや競馬関係者に見てもらうことに勝る効果はありません。そう考えると、福ちゃんのこれからのステージこそがますます大きな意味を持つことになります。僕は背筋を伸ばし、マネージャーの松田さんからの連絡をしばし待つことにしました。

(次回へ続く→)

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