ペルシアンナイト〜剣を教鞭に持ち替えて、騎士は再び前を向く〜

2022年、一人の騎士が剣を置いた。
その騎士の名前はペルシアンナイト。2017年マイルC Sを勝利したGⅠ馬だ。
彼の引退に際して、ここでその成績を軽く振り返ってみようと思う。

2歳夏に小倉競馬場でデビューを迎えたペルシアンナイトは、見事1番人気の期待に応え、初出走を初勝利で飾る。スタートでは出遅れ、直線でのフットワークもどこかぎこちないフワフワとしたものだったが、それでも鞭の1発も必要としない3馬身差の楽勝に能力の高さがうかがえた。2戦目に選んだ2歳OPのアイビーSでは後のオークス馬ソウルスターリングの完成度を前に2着に敗れたが、自己条件に戻ったこうやまき賞を盤石の競馬で制して2勝目を挙げ、オープン入りを果たす。
明け3歳を迎えると、シンザン記念では最後の直線で不利を受けて追い出しが遅れつつ3着を確保、続くアーリントンCは抜けた1番人気に応えて勝利して重賞初制覇を記録し、世代屈指の実力馬であることを証明した。

これを受けて陣営はマイル路線ではなくクラシックに挑戦することを選択。
皐月賞では内から鋭く伸びてアルアインの2着、ダービーでもレイデオロの7着に健闘した。

秋には距離適性を考慮して古馬相手となる富士Sから始動して5着。この敗戦で少し人気を落としたマイルCSでは、古馬を競り落としてアグネスデジタル以来17年ぶりとなる3歳馬による同レース制覇を達成。GⅠ馬の仲間入りを果たした。

結果としてこのマイルCSが彼にとって最後の勝利となるわけだが、それでも古馬になってから4歳時の大阪杯とマイルC Sで2着、香港マイルでも5着と好走。さらに5歳時はマイルC Sで3着、香港マイルでも5着したほか、金鯱賞4着、札幌記念5着、毎日王冠4着といったいわゆる“超”GⅡ級レースでの好走も目立った。
6歳時の特筆すべき戦歴は札幌記念2着くらいだが、距離を伸ばして宝塚記念・有馬記念の両グランプリにも参戦し、有馬記念では7着に入着するなどその健在ぶりを示した。現役最終年となった7歳シーズンを迎えても札幌記念やチャレンジCでの3着、天皇賞・秋では上がり3ハロン2位となる脚を使って7着に突っ込んでくるなど息の長い活躍を見せ、最終的に通算4勝ながら4億6,000万円を超える賞金を稼ぎ出した。

──彼との思い出を一つ挙げろと言われれば、私は有無も言わさずあの日、あの瞬間のことを挙げるだろう。

それは2017年秋、場所は京都競馬場。
マイルCSが開催されたその日の京都は、強い寒気が流れ込み11月としては異例ともいえる寒さに見舞われていた。私はといえば、1番人気に支持されたエアスピネルのGⅠ制覇を見届けるため、埼玉から現地に駆けつけゴール前でじっとその時を待っていた。

15時40分。ゴール板のすぐ手前で歓喜の瞬間を待つ私の前で、ペルシアンナイトが大外枠に入る様子がターフビジョンに映し出された。

大歓声とともにゲートが開く。
ペースを作るのは好ダッシュを決めたマルターズアポジー。先行集団を見るところに桜花賞馬レーヌミノルがいて、その一列後ろの絶好位に1番人気のエアスピネルが控えている。それをマークするようにサングレーザー、イスラボニータ、レッドファルクスの人気どころがどっしりと構え、ペルシアンナイト、サトノアラジンは後方待機。末脚に賭けるブラックムーンがいつも通りの単独最後方にいる体制で京都の坂を下ってくる。

4コーナーを回って直線に向く。エアスピネルが馬群の外に持ち出されたのを確認して、私はターフビジョンから目を切った。カメラを構えファインダーを覗くと、その向こう側にはライアン・ムーアの豪快なアクションとともに先頭に躍り出るエアスピネルの姿があった。

エアスピネルが抜け出した。内にレーヌミノル、外にサングレーザーがいるのがわずかに確認できたが、おそらく脚色はこちらの方が優っている。悲願達成の瞬間はもうすぐそこだ。馬群が私の目の前に差し掛かる。ファインダーの中にはエアスピネルの姿しかなかった。確かに、なかったはずだった。

「よし! やった! 勝ったぞ!」

カメラの液晶画面に視線を落とし、どんなカッコいい写真が撮れたか確認しようとしたその時だ。

「変わった……!?」

そんな声がどこからともなく聞こえた。
──変わった? そんなはずはない。
たしかに目の前を通った時にはエアスピネルが抜け出していた。
内も外も勢いではこちらが優っていたし、現にカメラの液晶には先頭を駆けるエアスピネルが単体で写っているじゃないか。
いや、まさか……。

慌てて顔を上げターフビジョンに目を移すと、ちょうどゴール前のリプレイが映し出されている。
ゴールまで残り100m。なんだ、大丈夫じゃないか。ムーアに追われたエアスピネルが完全に抜け出して先頭を行く。
ゴールまで残り50m。内からレーヌミノル、外からサングレーザーがしぶとく脚を伸ばしてはいるが、脚色を考えればやはり交わされるほどではない。
ゴールまで残り30m。ここで異変に気がつく。エアスピネルとサングレーザーの間を割いて、サングレーザーと同じ勝負服のピンク帽が飛んできた。後方3番手にいたはずのペルシアンナイトがいつの間にやら馬群の中に突っ込んで前を追う。デムーロの鬼気迫る騎乗に応えて繰り出された豪脚は今にも前を飲み込まんと、ものすごい気迫をまとっていた。
ゴールまで残り10m。まさかの世界線が私の目の前に広がった。数秒前には抱いていた夢すら飲み込むように、ペルシアンナイトが全身を使った大きな完歩で脚を伸ばした。
スローモーションからストップモーションに切り替わる。

コマ送りで映し出される最後の一完歩。最後の首の上げ下げでエアスピネルの首がグッと下がることに一縷の望みを賭けたが、そんな必要はなかった。
勝ったのはペルシアンナイト。ハナ差、わずか20cmの距離がこの時ばかりは天と地ほど差に思えた。

その日、それからのことはよく覚えていない。まして私はあの日以来、ただの一度もあのレースを見返すことができなかった。言葉を選ばずに言えば、負けたというその事実を許すことができなかったのである。それが決して覆ることのない事実だと理解していても、やはりあのレースだけは悔しくて見返すことができなかった。これは勝者を素直に讃えることができないひねくれ者の負け惜しみだと思ってもらって差し支えない。

誤解のないように断っておくが、私は彼を悪役だと思ったことも嫌いだと思ったこともない。ただ猛烈に悔しかっただけなのである。現にペルシアンナイトのその後の競走生活を振り返っても、私はいつも彼絡みの馬券を買っていた。もちろん昨年の天皇賞・秋も最後のレースとなった有馬記念もそうだ。心のどこかで彼がいつまでも強者であることを望んでいたのかもしれない。彼が強者であることによって、あの日の敗戦を納得しようとする自分がいたのだと思う。

そしてついにその日はやってきた。「ペルシアンナイト引退」の報を聞いた時、私はあの日以来初めてあのマイルCSを見返そうと思いたった。

レースを見返すと、一瞬にしてあの日の冷たい空気が私の周りに渦巻くと同時に、何か取り憑いていたものが消えて軽くなるような気がした。その晴れやかな感情がどうしてもっと早くに芽生えなかったのだろうと後悔する一方で、あの日がどこか遠くにいってしまうような名残惜しさも同時に感じた。
「遅くなって本当に申し訳ない。やはり君が真のチャンピオンだ」
この言葉を口にするまでに4年の歳月を要したことについては、私自身の器の小ささだと思って、彼には許していただきたい。

騎士は自慢の剣をそっと鞘に収め、剣を置く。
戦いに疲れたとはいえ、歴戦のライバルたちと戦い抜くために力強く握られていたその手には、まだグリップの硬く冷たい感触が残っていることだろう。

父にハービンジャー、母はゴールドアリュールの全妹という名家に生まれ、GⅠ勝利と2歳から7歳まで幅広い距離で息の長い活躍をみせた戦績を残しながら種牡馬としての未来が開かれなかったことは、個人的にはとても残念である。

ただしサラブレッドとしての活躍の場は、何も血を繋ぐことだけではない。乗馬馬として与えられた未来は、次世代を担う人材を育てるという大切な仕事であり、彼に託された大きな使命であると思う。現役の間、素直に応援してあげられなかった分、私は彼のこれからの馬生を人一倍応援してあげるつもりだ。

剣の代わりに教鞭を握り、戦場の代わりに教壇に立つ。
その背中を通して未来のホースマンを育てるため、騎士は再び前を向いた。

写真:Horse Memorys、ひでまさねちか

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