日本近代競馬発展に大きく寄与した、偉大な種牡馬・サンデーサイレンス。
米国では種牡馬として期待されていなかった同馬を、吉田善哉氏が1991年に購入・輸入したことが日本競馬界が発展するきっかけとなった。サンデーサイレンスの血がなければ、この国の近代競馬がどうなっていたかわからない。サンデーサイレンス直仔から孫へ、そしてその孫へ──。
日本でサインデーサイレンスの血を持たない馬を探すのは困難になりつつある。
その偉大なるサンデーサイレンスは、来日から11年経った2002年夏に衰弱性心不全のため死亡した。

真夏の朝、スポーツ新聞を開いた途端に冷や水を浴びせられたようにゾッとした記憶がよみがえる。
サンデー亡きあとの競馬界が想像できなかったからだ。
しかしその半年前にサンデーサイレンスは自身の最高傑作を日本に遺していた。

それがウインドインハーヘアの仔ディープインパクト。
05年無敗の三冠馬、通算成績14戦12勝の英雄は、種牡馬入り後、2012~19年まで7年連続リーディングサイアーに輝き、父サンデーサインレスが打ち立てた記録を塗りかえる存在となった。偉大なるサンデーサイレンスの後継として、十分すぎる存在感を示したと言えるだろう。
だがしかし、ターフを去ってから13年目の2019年、ディープインパクトは頚椎骨折から安楽死措置となってしまった。父サンデーサインレスと同じ、真夏の悪夢だった。

このとき、頭に浮かんだことがある。
サンデーサイレンスがディープインパクトを遺したようにどこかに必ず最高傑作を遺しているにちがいない、と。


2020年第87回東京優駿(日本ダービー)。
画面越しにみたパドックを脚が長く見えるやや薄手の馬体、スマートで柔軟な歩様、内に闘志を秘めた表情で歩く一頭、コントレイル。
やはりいたのだ。
父ディープインパクトの最高傑作が。
そして第87回東京優駿(日本ダービー)はそれを確信に変えたレースであった。

レースは大外枠からウインカーネリアンが一気に内に切れ込みながらハナを奪った。
コルテジア、ディープボンドらノースヒルズ軍団が好位を占め、そのポケットにコントレイルが入った。
隣枠からヴェルトライゼンデがその外につき、マークする構えだ。ウインカーネリアンの田辺裕信騎手は幻惑的な逃げを打つ。

初角手前で11秒3と早めのラップを刻んだかと思いきや、その後は12秒9-12秒6とコーナリングを利用して一気にペースを落とす。各騎手もこの落差に気づいてはいても、簡単には動けない。相手が動けないことを確信した逃げである。

しかしさすがは日本ダービー。
各馬にとって生涯一度のチャンスに座して死を待つような競馬はできまいとマイラプソディ横山典弘騎手が2角出口を利して馬群から離れた大外を駆けあがっていく。
田辺騎手の幻惑戦法を断ち切りにいく横山典弘騎手に、ダービーの向正面には必ずなにかしらのドラマがあることを痛感する。

マイラプソディが先頭に立って、流れが変わった。
11秒8-12秒2-12秒3と落ち込みが消え、3角から11秒8-11秒3と厳しさが増す。
コントレイルのライバルと目されたサリオスは前半中団より後ろの外に位置しつつもこのペースアップに早くも反応を鈍らせた。ライバルが流れに応じたギアチェンジに手間取っていた最中、コントレイルと福永祐一騎手は悠然と構えていた。その手綱は微動だにしていなかった。

日本ダービー最後の直線は願いが確信に変わる525.9mだった。
まるで運命であるかのように、コントレイルの目の前に進路が生まれた。
迷わずにその道を駆けあがるコントレイル。福永祐一騎手の手応えは馬なりだ。
ほかの17頭とは異次元のものだった。

残り400m、コントレイルは外から来るヴェルトライゼンデを置き去りにし、追いすがるサリオスを突き放した。それも外にモタレ、遊びながら走ってである。
ケタ違いのパフォーマンスに「空飛ぶ馬」と評された父の姿が重なる。
その父ディープインパクト以来になる無敗の二冠馬となったコントレイルは間違いなくディープが遺してくれた最高傑作である。

各馬短評

1着コントレイル(1番人気)

もはやここに書くことはない。
英雄の意思を継ぐ旅路を、ただ楽しみにしたい。

2着サリオス(2番人気)

スタート直後、D.レーン騎手はしきりに内側の動向に目をやっていた。
インコースに入りたかったが叶わず、道中は中団の後ろの外を追走する形となる。ここでのロスが、最後に響いてしまったようだ。
レース全体の流れがギアチェンジしたところで対応できず、やや位置を下げ手応えが悪化。このもたつきでコントレイルに離されてしまった。
しかしながら最後まで伸びて先にいたヴェルトライゼンデ以下を封じることができた。
コントレイルに離されたのは、遅い流れから一気にペースアップするような競馬の経験が少なく、そこにウィークポイントがあったことによるものだろう。皐月賞のように、強気で流れに乗るような競馬に、活路を見出したい。

3着ヴェルトライゼンデ(10番人気)

思えば昨年ホープフルSでコントレイルの2着という実績がある馬。
皐月賞8着で評価が著しく下がってしまったが、同レースとは正反対のスローペースで流れるような競馬で浮上した。隣枠にコントレイルがいるという状況を最大限に活かし、スタート直後からコントレイルの後ろにピタリとマークする一発勝負に強い戦略家である池添謙一騎手らしいレース運びも光った。
やはり強い馬についていくことで、仕掛けのタイミングや進路取りがスムーズになるものだ。
あわよくばと一発狙いの騎乗は、日本ダービーにふさわしい。

総評

4着サトノインプレッサはコントレイルが抜け出し大勢が決したあとではあったが、鋭く伸びた。
騎乗していたのはダービー初騎乗でこの日23歳の誕生日を迎えた坂井瑠星騎手。
徹底したイン狙いで、最後は狭いところを躊躇なく割ってくるという度胸満点の騎乗だった。
彼のキャリアにとって記念すべきダービー初騎乗は、いつの日か彼がダービーを制する日がくるだろうという、輝かしい可能性を感じさせた。

「初」という意味では、新種牡馬の産駒キズナの仔ディープボンドが5着。
こちらは積極的に好位で運び、最後まで粘り込んだ。距離が伸びる秋への展望が大きく開ける結果だった。
もう1頭の新種牡馬・ゴールドシップ産駒のブラックホール。札幌2歳Sや道悪の弥生賞ディープインパクト記念4着といった成績を持つ同馬「らしさ」を発揮した個性派は、17番人気ながら7着と健闘。好位勢が大半を占めるなか、4着サトノインプレッサともに後方からしぶとく伸び、差を詰めた。
展開利が一切ないなかでも脚を使うのは強さの証拠。世代屈指の個性派が、大一番で存在感を示した。

「特別なダービー」と表現されることもあった第87回東京優駿(日本ダービー)ではあったが、ダービーはいつでも特別なものである。サラブレッド7262頭中たった18頭しか走れず、その栄光を手に入れるのはわずか1頭、その栄光は数え切れない涙の上にある。

コロナ禍の影響からダービーなき世界が広がる状況下で、無事に日本ダービーがスケジュール通りに開催されたことに、私は心から敬意を表したい。

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