長い競馬の歴史において『三強』と呼ばれる戦いは過去に何度もあり、名勝負を生んできた。
古くは1968年のクラシックを賑わせたアサカオー・マーチス・タケシバオー。
それぞれの馬の頭文字をとってTTGと呼ばれた、テンポイント・トウショウボーイ・グリーングラス。
そして2020年のジャパンカップも三冠馬3頭、アーモンドアイ・コントレイル・デアリングタクトによる対決は大いに盛り上がった。
今回取り上げるのは、元号が昭和から平成に変わった1989年の秋の天皇賞。節目の「第100回」ということもあるが、『平成の三強』と呼ばれた3頭が、初めて直接対決をしたレースとしても印象に残っている人も多いかもしれない。
この年は、4月から税率3%で消費税が導入をされ、政財界を巻き込んだリクルート事件や、村上春樹の『ノルウェイの森』が発売された年でもあった。元号が変わる「改元」という歴史的な出来事を、多くの日本人が初めて体験をしていた時期でもあった。
『平成の三強』を形成するのは、オグリキャップ・イナリワン・スーパークリーク。この3頭のうち、オグリキャップとスーパークリークは1985年生まれの同期生、そしてイナリワンは彼らの1歳年上の1984年の生まれだった。
1989年の春のG1戦線では、オグリキャップとスーパークリークが全休。古馬の中長距離戦を引っ張っていたのはイナリワンで、天皇賞(春)と宝塚記念を勝利、秋にはさらに大レース制覇の期待が掛けられていた。
スーパークリークは、この天皇賞(秋)の前哨戦に京都大賞典を選択。前年の有馬記念以来10か月ぶりとなる実戦や斤量59キロといった不安を吹き飛ばし、ミスターシクレノンに3/4馬身差をつけ、当時のレコードタイムを塗り替える2分25秒0で完勝。
そしてオグリキャップは9月のオールカマーから始動し1着。返す刀で毎日王冠にも出走し、ここでイナリワンとの激闘を制しての天皇賞(秋)参戦となった。
第100回目の天皇賞(秋)の人気はオグリキャップが1.9倍という圧倒的な支持を集め、2番人気のスーパークリークが4.5倍。3番人気は『平成の三強』に食い込んだメジロアルダンの5.5倍で、イナリワンはその次の4番人気6.2倍でレースが始まった。
前年の天皇賞(秋)でも逃げ粘って3着に入ったレジェンドテイオーが、この年もハナを主張。前半の1000メートルを60秒6というペースで逃げる展開。2番手にはウインドミルが続き、その直後の3番手にスーパークリークが追走する姿に、場内はどよめいた。
三強のなかでは、オグリキャップが最も前の位置を取るだろうと、多くの人は予想していた。ところが、こうやって大方の予想を裏切って、勝つための最善手を見つけて実行するのが武豊騎手たる所以なのかもしれない。
他の人気馬より先に動いて早めに先頭に立って後続の脚を封じ込める作戦は見事に成功。直線で懸命に追い込んだオグリキャップをクビ差抑えて、スーパークリークが見事に優勝したのだった。武豊騎手は不利とされる「東京競馬場の芝2000mの大外枠」を跳ね除けて、見事に勝利へと導いた。
2着のオグリキャップは最後の直線で、一瞬行き場を失う場面があった。着差はわずかだっただけに色々考えるところもあったのだろう。鞍上の南井克己騎手がレース後にとても悔しがっていた姿が、印象的だった。
イナリワンは6着に終わり、三強が上位独占とはならなかったが、続くジャパンカップと有馬記念もこの三強が揃って出走、秋のG1レースを大いに盛り上げた。
ジャパンカップは、ホーリックスが2分22秒2というとてつもない世界レコードを叩きだした。日本馬ではオグリキャップが最先着の2着となり、暮れの有馬記念ではスーパークリークが勝ったと思ったところをイナリワンが強襲しハナ差で勝利するなど、名勝負が繰り広げられた。そうした盛り上がりは、競馬ファンが一気に増えた要因にもなった。
この『平成の三強』の馬には、とある共通点がある。
それは
「全馬、武豊騎手でのG1勝利がある」
ということだ。
イナリワンは89年の春の天皇賞と宝塚記念。スーパークリークはこの100回目の天皇賞だけでなく、3歳時の菊花賞も鞍上は武豊騎手だった。
そして、オグリキャップ。安田記念と自身のラストランとなった有馬記念での勝利は、どちらも武豊騎手の手綱である。改めて『武豊』という騎手が、その時代時代を彩った名馬の背を知っていることに驚かされる。
競馬の世界では、一頭の力がずば抜けている「一強」も面白いけれど、力差が少ない「三強」も大いに盛り上がる。今は3連複や3連単といった券種もあるので「三強対決」となった際のファンの応援も、より力が入る。時代の移り変わりとともに様々な決戦があったが、今後も多くの人の記憶に残るレースが繰り広げられることを期待したい。