"まなぶっち"の復活劇。サンダルフォンと酒井学、愛すべき名コンビ。

温和な笑みを携えて颯爽と馬に跨ると、「怖くないかい」「がんばろうね」と語り掛けるように何度も優しく優しく愛撫する。パドックを周回し、本馬場入場を終え、ゲートに向かい、レースを駆け抜け、そして引き上げる…その一連の中で、彼の周りには暖かく穏やかな光が射しているように思える──。

それが、酒井学騎手だ。

彼が競馬場で見せる愛情溢れる所作は、死力を振り絞る過酷な戦いの地における一服の清涼剤に思える。

格好いい騎手、腕の立つ騎手、勝負強い騎手、尊敬する騎手……騎手の「好き」には様々あるけれど、「癒される騎手」部門では彼が私のナンバーワンだ。

競馬場で彼を見かけた際には、是非、予想の手を止めて、彼の一挙手一投足に注目して欲しい。きっと豊かで満たされた気持ちに包まれるはずだから。競走馬が最大限の成果を挙げられるように叱咤し、時に限界まで力を振り絞らせる行為そのものも、その根底は愛情故だと気づかされるから。


そんな酒井学騎手にはかつて、苦難の時代があった。

デビュー年に挙げた25勝をピークに伸び悩んでいた勝ち鞍は、所属していた二分厩舎の解散を機に激減。年間勝利数は片手で数える程に落ち込み、デビュー9年目の2006年はついに12月を迎えても勝利が無かった。

総勢150名を超える騎手が鎬を削る過酷な競争の世界において、1つのレースにゲートに収まることができるのは最大でも18名。次々とニューフェイスが現れる中で、減量も効かず、一度勝ち鞍を大きく減らした中堅騎手にはなかなかチャンスが回って来ない。

どれだけ腕を磨こうとも走るのは馬。チャンスのある馬を任されなければ名を挙げる機会は訪れない。名を挙げられなければ成績が上がらない。負のループ。酒井学騎手は苦境の中で、それでも踏ん張ろうと研鑚を積んでいた。

だからこそ、冬の仁川でニホンピロコナユキとのコンビで掴んだ待望の「今年初勝利」は、酒井学騎手と小林百太郎オーナーのその後のエピソードと相まって、「ただの1勝」の枠には収まらない、大きな意味を持つものとなった。この勝利を機に、酒井学騎手は再び表舞台への一歩ずつ、力強く、歩みを始めた。

翌2007年は8勝、2008年は11勝。ニホンピロ軍団の手綱を多く任されるようになり、努力と人情の両軸の中で酒井学騎手のキャリアは徐々に輝きを取り戻し始めた。

まだ華美な活躍は無かったかもしれないけれど、「あ。酒井学、今日も乗ってるやん!」「うわ。人気薄の酒井学にやられたぁ…!」と、競馬ファンは少しずつ、柔和で優しい彼のことを思い出していった。

そして2009年。北九州記念。酒井学騎手は1頭の不器用な相棒を駆り、ついに表舞台への帰還を果たす。

パートナーの名はサンダルフォン。サンダルフォンと酒井学騎手は相思相愛の名コンビだった。


──酒井学騎手が出会った当時のサンダルフォンは29戦5勝の6歳馬。競走馬としては後半戦に差し掛かっているといってもいい頃合いである。

父サクラバクシンオーと天馬トウショウボーイを輩出したソシアルバターフライを祖に持ち、日高町の家族経営の小さな牧場で生を受けたサンダルフォンは、山本正司元調教師が繋いだ縁でノースヒルズ、そして松永幹夫厩舎の門戸を叩き、デビュー以降は大きな休みなくコンスタントに出走を重ねて地道にステップアップしていた。

短距離のスペシャリストと言えば、弾丸のような爆発的なスピードと機敏さでターフを俊敏に駆け抜ける印象が強い。かたやサンダルフォンの550kgに迫る巨漢はどこか重厚。勢いづけばなかなか止まらない半面、道中ロスが生じれば最後、短い距離の中でリカバーできるような器用で機敏なな立ち回りが出来る馬ではなかった。

その個性に由来した浮き沈みの激しい戦績故か、条件戦時代から1番人気に推されたことはただ1度しかなく、1年前にオープンへ昇級してからは目下8連敗中。豊富な経験と強靭な肉体を持つオープンの強豪相手には、彼が望むような「ゴチャつかない競馬」に持ち込むことも難しく、

「もう6歳。ちょっと頭打ちかな?」

と大方の競馬ファンに思われても不思議はない、オープン特別常連の一頭だった。

サンダルフォンがもし若さと上昇味に溢れる「整った」成績だったならば、あるいはもっと見栄えの良い成績のジョッキーに手綱が渡っていたかもしれない。

だがサンダルフォンは苦労を重ねた存在だったからこそ、酒井学騎手と出会うことができたのだ。そして万事塞翁が馬。この人馬の出会いによって、6歳を迎えたサンダルフォンはここから競馬ファンを驚かせるような大きな飛躍を遂げていくこととなる。


コンビ結成初戦での米子ステークスで後方から4着に脚を伸ばした走りは、傍目には「展開が嵌って流れ込んだ結果」にも見えたかもしれない。だが初コンビで酒井学騎手は確かな手ごたえを掴んでいた。

選ばれた次走は北九州記念。そして継続で再びパートナーに指名されたのは酒井学騎手。単勝8番人気と決して高い評価ではなかったが、相棒の確かな脚力を信じる酒井学騎手にとっても期するものが有ったことだろう。

鹿児島産まれの快速娘・コウエイハートが外連味なく逃げ、直後をシャウトラインやメイショウトッパー、マチカネハヤテらが間隙なく追走したペースは前半3ハロンは32秒7。小倉のスプリント重賞らしい早いラップでレースが進行する中、酒井学騎手はこれまでより前目の7~8番手の外目を確保する。

不器用で一本調子な末脚を削がぬように無駄なオンオフを避け、パートナーと呼吸を合わせて、とにかくスムーズに加速できる進路を探しながら、ストレスを与えないように慎重に運ぶ。

激流に脚が鈍った先行各馬が徐々に後退する4角。

一度のブレーキが致命傷となりかねない展開に、不利を受けるくらいならばと人気のレディルージュらが外目から進出を開始する。内からは同じく人気のカノヤザクラも追い上げる。だが酒井学騎手はサンダルフォンを信じて追い出しを待つ。

4角入り口、真っ先に勢いを失ったマチカネハヤテが後退し生じた僅かなインのスペースに頭頸向けると、ストライドロスのなくスムーズに進路を切り替えた。

視界が開けた次の瞬間。酒井学騎手のGOサインに応えてサンダルフォンは弾けた。

一気に先頭に躍り出たサンダルフォンは大柄な馬体を目一杯伸ばして、ゴールを目指す。重厚で野太い末脚で最高速を維持する相棒を、酒井学騎手は想いが滲み出んばかりにガムシャラに叱咤する。

外からは100kg以上軽いレディルージュが、内からは快速牝馬のカノヤザクラが差を詰めるが、勢いづいたサンダルフォンはそう易々とは止まらない。

僅か1分7秒の電撃戦。やるべき競馬、やりたい競馬を貫徹し、力いっぱい駆け抜けたサンダルフォンは見事初めての重賞タイトルを挙げた。それは酒井学騎手自身にとっても、タフネススター以来7年10か月ぶりの重賞タイトルだった。

派手なガッツポーズもなく、嚙みしめるようにぐっと頭を下げ続ける酒井学騎手の胸にはどんな思いが去来していたことだろう。年間未勝利まであわやのところから再起した彼にとって、2度目の重賞タイトルは最前線への帰還を高らかに宣言するものだった。


サンダルフォンと酒井学騎手の冒険譚はこのレースを皮切りに足掛け3年。彼が9歳になるまで続いた。

この3年の間。相変わらず彼らが上位人気に支持されることは殆どなかった。でもそれは馬券上の話。この不器用で愛される人馬はいつだって一発を秘めた怖い怖い伏兵だった。

ちょっとでも歯車が狂うと「終いは脚を使ってるんだけどなぁ…」「そろそろ年齢かなぁ…」と大きな着順を喫する。かと思えば、スムーズに自分の形に持ち込んだ次走では、最後まで止まらない重厚なスピードでゴール前を賑わせる。

強豪ひしめく短距離戦線に名を連ね続け、暑い時期も寒い時期も休まず走り続け、名バイプレイヤーとして頑健にターフを駆け抜けた。

2010年と2011年の暮れには、JRAの同年ラストレースにあたる小倉競馬場のアンコールステークスを連覇した。有馬記念の余韻冷めやらぬ競馬ファン達を驚かせ、人気薄の彼を信じた競馬ファンには、年の瀬の大きな大きなボーナスをプレゼントした。

2012年のスプリンターズステークスを最後に現役を退いた後は、馬事公苑を経て思い出の地、小倉競馬場で誘導馬を勤め上げた。現役時代と少しも変わらない雄大で堂々した振る舞いで、後進達を導いた。


歓喜の北九州記念から1年後の夏の小倉。

小倉記念でニホンピロレガーロとタッグを組んだ酒井学騎手は1年ぶりの重賞勝利を掴んだが、その一つ前のレース、響灘特別ではニホンピロアワーズという不世出の相棒との邂逅を果たしている。

一つのキャリアが次のキャリアを。連綿と続くキャリアの連鎖の中で、酒井学騎手はかつて失いかけたキャリアを一つずつ掴み取っていった。

大きな苦境に立たされていたとは思えぬほど、酒井学騎手は今日も朗らかで暖かい空気を全身に纏ってターフを駆けている。

いや、むしろ、かつての苦境があったからこそ、酒井学騎手は馬を愛する気持ちを全身から醸し出せるのかもしれない。

馬を愛する思いを全身から醸し出す”まなぶっち”は、みんなから愛されるヒーローだ。


酒井学騎手の手に掛かればどんな馬も名パートナーに見えてしまう。

その中から1頭を選ぶことになった時には、是非とも小倉で輝いた不器用な彼のことを思い出して欲しい。

“まなぶっち”の再出発点にいた、サンダルフォンのことを。

写真:かぼす

あなたにおすすめの記事