みちての珍名道中膝栗毛~競馬の祭典にだって珍名馬の巻~

皆様!

おひさしディープブリランテ!(79代ダービー馬)

……という事で、この競馬界のカタスミで珍名馬を愛でております仙台の女芸人みちてです。

今年もダービーがやってきますね!

ダービーには東日本大震災からの復興を象徴する名を背負い見事第80代ダービー馬となった「キズナ」をはじめ多くの印象的なお名前、変わったお名前のお馬さんが出走しています。

そこで今回はダービーウィークを盛り上げるべく東京優駿に出走したことがある珍名馬についてご紹介させて頂きます!


アルバイト

1942年ミナミホマレが優勝した時の2着馬はなんと非正規雇用(笑)

当時に珍名馬という概念があったのかは定かではありませんがどう考えても珍名馬という事でノミネートさせて頂きました!

実は1歳上半兄に3冠馬セントライトがいる超良血馬。

更に、アルバイトの身ながら横浜農林省賞典四歳呼馬(現在の皐月賞)を制した後、改名したクリヒカリという名でも秋の帝室御賞典(現在の天皇賞・秋)を制しており、2つの名前を持つGⅠ馬という変わった偉業を成し遂げています。

ちなみにアルバイトとして「競馬好きで有名な寺山修司氏のエッセー本「さすらいの無名馬」より「二着馬からみたダービー人生」に登場する単発のお仕事もしております(笑)

ラグビーボール

1986年ダイナガリバーが優勝した時の一番人気が珍名馬主としておなじみの小田切有一オーナー所有馬のラグビーボールです。

気になる由来は初対面時ラグビーボールのようにあっちに飛んだりこっちに飛んだりしていたからだそう(笑)

新馬戦、400万下、GⅡNHK杯と3連勝の勢いそのままに1番人気で東京優駿に出場しましたが、4着と惜敗してしまいます。

その後もGⅡ高松宮杯優勝、GⅠ菊花賞3着など世代を代表する活躍をおさめたお馬さんです。

サッカーボーイ

1988年サクラチヨノオーが優勝したレースで1番人気に推されたのが弾丸シュートの差し脚でおなじみサッカーボーイです。

幼いころから気性が荒く、そのやんちゃ振りは後ろ脚2本で立ち上がり歩く姿を撮りたいと取材が入るほど!

阪神3歳ステークスとマイルチャンピオンシップのGⅠ2勝馬、そしてGⅢ函館記念でたたき出したコースレコードは平成に入った今もなお破られることのない記録なのです!

引退後も内国産種牡馬として1000頭以上の産駒を残し、GⅠ馬も多数輩出するなど記録にも記憶にも残るお馬さんです。

ペガサス

ビワハヤヒデ&岡部ジョッキー、ナリタタイシン&武豊ジョッキー、そしてダービーを制したウイニングチケット&柴田政人ジョッキーのBNWが仲良く3冠を分かち合った1993年、実はペガサスがダービーを走っていました!

ナリタタイシンと同じリヴリア産駒です。

GⅢ新潟3歳ステークスで重賞ウィナーとなり、春のクラシックに参戦。

同年秋には10番人気の低評価を覆しGⅢ福島記念で優勝しています。

走ったレースも1200mから3200mまでと幅広く、8歳まで現役を続けた、メルヘンというよりはいぶし銀なお馬さんです。

エキマエ

ワンアンドオンリーが天下唯一のダービー馬となった2014年に参戦していたのが祖祖母に桜花賞馬アラホウトクを持つエキマエ。

2歳時はムラのある成績でしたが、3歳になると500万下、オープンのヒヤシンスステークス、JpnⅡの兵庫チャンピオンシップとダートで怒涛の3連勝!

競馬に携わる全ての人のロマンである日本ダービーに駒を進め、レースでは積極的な逃げでレースを引っ張りましたが無念の故障で完走はなりませんでした……。

その後長期休養をはさみ1年7カ月振りの復帰レースでは多くのファンが「おかえり」の気持ちでいっぱいになりました。

私にとってエキマエはダービーに出ることの大変さや無事に走ってくれることの嬉しさを痛感したお馬さんです。


いかがでしたか?

こうしてみるとホースマンの夢であるダービーにも意外と多くの珍名馬たちが出走していることがわかりましたね!

案外「君が世代王者なの!?」と、アッと驚くような珍名馬のダービー馬が生まれる日も、そう遠くはないのかもしれません。

写真:ウマフリ写真班

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