幾重にも折り重なる後ろ盾に見守られて。1997年メジロドーベルのオークス

令和の時代に「師弟」などという古臭い言葉は似合わないかもしれない。自分で調べ、自分で切り開く逞しき時代に教えを乞い、技を盗む。誰かの後ろをついていくのは遠回りにすぎない。しかし、そんな先端を走る時代だからこそ、師弟という関係は価値があるのではないか。たとえ歩みは遅くとも、力を蓄えながら進み、たどり着いた栄光の価値は計り知れない。どんなにテクノロジーが発達しても、どんな道も一足飛びにワープはできない。

吉田豊という職人は、名伯楽大久保洋吉という師のもとで育った弟子だ。サウジカップを勝ったパンサラッサの馬上に吉田豊騎手がいたことが、おじさんファンにはたまらなかった。

大久保洋吉師が育てたサイレントハンターやゴーステディで磨いた逃げが、世界最高賞金のレースで輝いたからだ。吉田豊騎手の逃げがどれほど恐ろしいのか、世界の競馬関係者は知ったにちがいない。世のオヤジたちはそんな妄想で酒が進む。大久保吉田の師弟が作り上げたGⅠ馬といえば、メジロドーベルだ。

彼女が最初に制したGⅠ、1996年の阪神3歳牝馬Sは序盤からシーキングザパールを徹底的にマークし、圧倒的な手応えで凌駕した。シーキングザパール一本に絞った戦略は大久保師と吉田豊騎手の意志を感じる。彼がデビューわずか3年でこれほど大人びた競馬ができたのは、大久保師の薫陶を受けたからこそ。開業から21年、苦労を重ねた大久保師の確かな競馬観があらわれたレースだった。

いよいよクラシックへ。前哨戦のチューリップ賞は+16キロと余裕のある状態で3着。はっきりとひと叩きと割り切ってくるあたり、大久保師らしい計算だった。気性的に前を追いかけやすいメジロドーベルにとって、間隔をあけ、久々に競馬場へ向かうと、より前進気勢が強くなる。だからこそ必ずガス抜きが必要であり、そのためには仕上げ切らない状態で前哨戦を迎える形がベスト。メジロドーベルの特性を踏まえた仕上げただった。

だが、悲願を託した桜花賞では、新たなライバルが立ちはだかった。キョウエイマーチだ。年明け1月寒梅賞から3連勝。前半、抑えるメジロドーベルとは対照的に圧倒的なスピードを全面に出す彼女は、トライアルの4歳牝馬特別ではハイペースを先行して抜け出し、7馬身差と絶大なインパクトを与えた。そのスピードは不良馬場の桜花賞でも決して衰えることなく、2番手からワンサイド。メジロドーベルも早めに動き、懸命に追いかけるも、4馬身差をつけられて敗れた。キョウエイマーチの父、ダンシングブレーヴが伝える、狂気じみた力に屈した。

続くオークス。現代なら、スピードのキョウエイマーチと爆発力のメジロドーベルがオークスで激突すれば、今度はスピードでは押し切れず、最後に爆発力が上回るだろうという読みもあるだろうが、当時の評価はキョウエイマーチが1番人気、メジロドーベルが2番人気と桜花賞馬が押し切るとされていた。

これはキョウエイマーチが松永幹夫騎手、メジロドーベルが吉田豊騎手という騎手を踏まえた面もあった。牝馬のミキオとデビュー4年目売り出し中の吉田豊では、信頼具合が違った。

当時はまだ全国で全てのレースの馬券を買えるわけではなく、関東のファンは関西の馬券を後半しか買えなかった時代。だから関東のファンは関西への対抗心があり、関東びいきが強かった。そんな一人だった私も、吉田豊騎手に期待をかけた。西の天才・武豊騎手に対し、東のユタカなどと言われたことが懐かしい。

父メジロライアン、母の父パーソロン、メジロビューティー、メジロナガサキ、メジロボサツ、メジロクインと続く長距離王国メジロの結晶のようなドーベルが、2400mで負けるわけにはいかない。だが一方で、メジロライアンの産駒には特有の気難しさがある。ドーベルも前進気勢の強さ、いわゆる行きたがる気性を抱えていた。距離が延びることで、それが顕在化する不安もあった。さて、吉田豊騎手はどう乗るのか。

阪神3歳牝馬Sではシーキングザパールをマークして競り落とす積極策にでただけに、キョウエイマーチを追いかける選択肢もあったかもしれない。だが、そうなると折り合いを欠く恐れもある。2400mで行きたがれば、最後の爆発力につながらない。だからこそ、あえてスタートをゆっくり出て、極力、前に行かさないよう、1コーナーまでそーっと乗った。

しかし案の定、コーナーに入ると、前に壁がないこともあり、メジロドーベルは前を追いかけようとする。吉田豊騎手は手綱に緊張感を伝え、それを阻止にかかる。この会話がどこまで続くのか。できれば、早々に納得してほしい。吉田豊騎手はあえて徹底的に抑え込まず、2コーナーでわずかに内に動き、馬群へ誘っていく。さすがのお転婆娘も前に馬がいれば、前に行こうにも行かれない。抑え込むより、諦めさせる。これが吉田豊騎手の策だった。

逃げるキョウエイマーチはなだめられながらも、前半1000m通過60秒7とオークスとしては速めのラップを刻んでいく。後続のマークも厳しく、3コーナーから再びピッチをあげざるを得ない。振り切ろうにも振り切れないまま、馬群はひとかたまりで4コーナーに差しかかる。桜花賞とは違い、キョウエイマーチが後ろを離せない形になり、メジロドーベルは深追いをしない。自分の競馬に徹していた。

直線に向いて追い出されたメジロドーベルは狭いスペースを割って出てくる。ここまで我慢させた分、その爆発力はこれまで見せたことがない迫力を感じる。

こうなればもう、抵抗できるライバルはいない。独走を決めた馬上でみせた吉田豊騎手の派手なガッツポーズが、その爽快感を物語る。

若き吉田豊騎手には大久保洋吉師という後ろ盾がいた。そんな大久保師には父であり、調教師の末吉師が育てたメジロボサツという後ろ盾があった。メジロドーベルは幾重にも巡らされた後ろ盾によって生を受けた馬であり、GⅠをとれた馬でもある。師弟の力、そしてメジロと大久保一家という歴史の深さ。紡がれる時間の長さの分、後ろ盾が存在する。競馬はあらゆる人間の支援の賜物だ。それは人生もまた同じなんだと思い知らされる。結果を出したときこそ、後ろを振り返ることを忘れたくない。

写真:かず、水面

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