善臣さんにしかできない競馬。オレハマッテルゼの高松宮記念

中山競馬場のスタンド1階メインエリアからエスカレーターで地下に降りると、フードコートがある。その入り口付近には二人の騎手のパネルが設定されている。一人は坂井瑠星騎手。フォーエバーヤングで世界と戦う今をときめくスタージョッキーはポップコーンをもち、ポーズを構える。その隣にいるのが柴田善臣騎手だ。昔となんら変わらない柔らかな微笑みを讃え、両手で豚汁を包むように持っており、まるで故郷のおふくろのような写真だった。深くなった皺がその歴史を物語る。こうして坂井瑠星騎手の横に自分のパネルが置かれていることに善臣さんはどんなコメントをするんだろうか。きっと照れて謙遜するにちがいない。善臣さんは昔からそんな人だった。関東の騎手は伝統的にこんな雰囲気の人が多かった。どこか照れくさく、派手さはないが、堅実に仕事をこなす。職人気質の血が関東のホースマンには流れている。

2006年、善臣さんはオレハマッテルゼで高松宮記念を勝った。その6年前にはキングヘイローでもこのレースを勝っていた。どちらも私にはいつの間にか善臣さんに手綱が渡り、しれっと勝ったように映る。もちろん、きちんと調べればそんなことはないわけだが、どうしてもさっとあらわれ、ささっと結果を出したように思えてならない。善臣さんには熱いドラマも因縁深い物語も似合わない。どこか達観したような小ざっぱりした雰囲気がそんな熱量を寄せつけない。とはいえ、オレハマッテルゼの高松宮記念はあまりに物語多き勝利でもあった。

私のオレハマッテルゼに対するイメージは「最終レースの馬」だった。それがどのレースだったのか具体的な記憶は薄い。フェブラリーS直後に後藤浩輝騎手が騎乗した甲斐駒特別なのか、オークス後の富嶽賞なのか。それとも中舘英二騎手(当時)が乗ったタケシバオーメモリアルなのか覚えていない。とにかくよく関東に遠征してくる関西馬でなかなかどうして崩れない堅実派だった。関東の競馬ファンは当時、おおむねそんな感覚ではなかったか。中堅クラスで着実に走っていたかと思ったら、昇級初戦の京王杯SCでいきなり2着に飛び込み、翌年、東京新聞杯2着、阪急杯3着ときて、高松宮記念を制した。

条件戦時代の堅実だけど勝ちきれない面も昇級後はさしも壁にぶつからずにGⅠに昇りつめていく様はいかにも良血馬のそれ。母カーリーエンジェル、祖母ダイナカール。母の妹はエアグルーヴ。ダイナカール牝系は豊かな成長力と爆発力を内包しており、オレハマッテルゼの快進撃も納得だ。そして、母カーリーエンジェルという血統表を目にすると、どうしても胸の奥に広がる哀しみが忘れられない。カーリーエンジェルの初仔は栃栗毛の牝馬だった。ノーザンファームで生まれたのは1995年なので、スペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイロー、グラスワンダー、エルコンドルパサーと同じ年でもあった。名牝ダイナカールの孫として注目を集める存在だったが、その注目度合いは小田切有一オーナーがつけた名前によってさらに上昇した。

その名はエガオヲミセテ。

JRA所属競走馬としてはじめて「ヲ」を使った馬になった。馬名審査はかつてもっと厳しく、「ョ」「ュ」など小さい文字すら使えない時代もあった。これが徐々に緩和されていき、1990年にローマ字のVに相当する「ヴ」が許され、1997年「ヲ」が解禁された。そうなれば速攻で使う。さすが小田切オーナーだった。エガオヲミセテは3歳時(当時4歳)は同期に水を開けられていたが、この牝系の成長力を味方にじわじわと結果を残しはじめ、3歳終わりの阪神牝馬特別で桜花賞馬キョウエイマーチ、オークス馬エリモエクセル、ランフォザドリームを破る殊勲の星をあげた。翌年にはまたもマイラーズCでキョウエイマーチを破った。さらに同期の桜花賞馬ファレノプシスにも先着し、マイラーとしての高い資質を示した。その後、5歳1月東京新聞杯まで戦い続けた末に、休養へ。

そして、2000年2月11日、山元トレーニングセンターの厩舎火災に巻き込まれた。普段、競馬のことをなんでも想像したがる私だが、この手の出来事だけはその光景を頭に思い浮かべたくない。

エガオヲミセテが非業の死を遂げる約1カ月前。彼女の生まれ故郷ノーザンファームで母カーリーエンジェルが産んだのがオレハマッテルゼだ。父はエガオヲミセテ以来となるサンデーサイレンス。ダイナカール一族、エアグルーヴの近親というより、私にはエガオヲミセテの全きょうだいという紹介がしっくりくる。オレハマッテルゼの覚醒はエガオヲミセテの競走生活に重なってくるからだ。

その最たるが高松宮記念。1200m初出走とは思えない行きっぷりで好位を確保。4コーナーでの手応えは周囲を圧倒しており、直線で進路を確保してから沈むようなフットワークで力強く駆け抜けた。外から攻め込むラインクラフトにクビ差まで追い詰められるも、先頭を守り切った。エガオヲミセテを管理した音無秀孝調教師がその弟オレハマッテルゼでつかんだGⅠタイトル。そんなドラマチックな結末も善臣さんが鞍上だとどこかさっぱりした風景に変わってしまうから不思議だ。なんでもかんでも派手に着飾りなさんな。言葉はいらない。ただ目の前の勝利を噛みしめるだけでいい。ゴールを迎えた瞬間は次の戦いへ新たな一歩であり、その道は地道に一歩ずつしか進めない。人間が謙虚でいないと、ゴールは近づいてこない。驕れるものは必ず馬に伝わる。自然のまま、あるがままを受け入れることで見えてくるものがある。鞍上の肩の力が適度に抜けていたからこそ、オレハマッテルゼはなんの苦労もなく、はじめての1200mに自然に対応できた。あの高松宮記念は善臣さんにしかできないレースだったのではないか。

しばらく善臣さんのパネルの周りで観察していると、若いお嬢さんたちが坂井瑠星騎手と一緒に記念写真を撮りはじめた。そうそうツーショットなんて撮れないので、パネルでもいいから一緒に一枚に収まりたいという気持ち、わからんでもない。私もできれば善臣さんとツーショットといきたかったが、照れくさいのでやめた。なんとなく恥ずかしいよとパネルの善臣さんが言ってるような気もした。頼まれた仕事は着実にこなす。そんな善臣流があのパネルからも伝わってくる。

写真:かず、norauma、Horse Memorys

あなたにおすすめの記事