オーストラリアのビクトリア州、州都メルボルン。そこで行われる、ビクトリア州最大の1歳馬セリがある。
イングリス・メルボルン・プレミア・イヤリングセールだ。

2018年3月4日から7日にかけて行われたその1歳馬セリでは、1070頭が上場され799頭が売却された。
その中の1頭、lot364の購入者の欄に、D Takahashi の文字はあった。

競馬を好きになり、いつかは馬主にと思い、挫折を経験し──目指したのは、オーストラリアで馬主になるという夢。

今日は、そんな夢を叶えた1人の日本人の若者の話をしよう。


高橋大輝(たかはしだいき)氏。
1994年3月に生まれた若き青年は、2018年、オーストラリアの地で馬主となった。

最初に渡豪したときには、泣きたい気持ちになった。カンタス航空の飛行機の機内は英語が飛び交っており、もちろん日本語は通じない。

英語を全く喋れないという高橋氏は、当時をこう振り返る。
「コンビニに行っても店員さんに何かしら話しかけられるんですよ。そこは変なノリで乗り越えましたが、心の中では話しかけてくるな!って、ずっと思っていました」
単身でオーストラリアへと向かった高橋氏は、これが初海外。

スマートフォンに頼りながらの渡豪では、今の時代に生まれて良かったと心の底から思ったという。
馬主になるほど競馬にのめり込んだ高橋氏が競馬ファンとなったのは、大学生になってからだった。

中山競馬場の近くに一人暮らしという、競馬ファンにとってはなんとも羨ましい環境も影響したのだろう。

大学で仲良くなった友人と2013年皐月賞を観に行ったこと、そしてロゴタイプ勝利の瞬間を、今でも鮮明に覚えているという。

競馬ファン歴は「まだ十年も経たない新参者です」と高橋氏は言う。
しかし、競馬への想いにファン歴の長い短いは関係ないだろう。
そして気づけば高橋は、いつの間にか競馬をとことん好きになっていた。競馬場に度々出向き、競馬新聞と競馬情報サイトを見ているうちに馬の名前を覚え、そこから更に昔の馬を調べて……そんな日々が続いた。

中でも特に好きな馬といえば、1番にイスラボニータの名があがる。
思い出のレースも、イスラボニータが勝った2014年の皐月賞。

友人と「皐月賞はイスラボニータとバンドワゴンで決まりだな」と話した記憶があるという。バンドワゴンは残念ながら故障により皐月賞を回避となったが、イスラボニータは4連勝で見事皐月賞を制した。
最初に好きになった馬は、Giant's Causeway産駒が好きという高橋氏らしく、アンコイルド。

「スワーヴリチャードの新馬戦で勝ったメリオラも今障害で頑張ってますし、先日函館2歳Sを勝ったアスターペガサスも応援していますよ」

アンコイルド以外にも、Giant's Causeway産駒の応援には力が入るようで、言葉に力がこもる。

そして競馬好きの多くの例に漏れず、競馬ゲームにも熱中した。そこで、高橋氏は馬主という存在を意識しだす。

──いずれは、本格的に馬主をやってみたい。

そんな思いを漠然と描いていたが、それから10年と経たないうちに晴れて馬主となったというのだから面白い。
「まさかこんなに早く実現させるとは」とは、本人談。確かに、その行動力には驚かされるばかりである。
その後大学を卒業し、社会人となった高橋氏はIT企業に入社する。

しかし、その生活は順風満帆とはいかなかった。
上司のパワーハラスメント、多忙な業務……。
泣く泣く状況を受け入れる人が多い中、高橋氏はひとり反発し、半年で退社することになった。

その頃、高橋氏の精神状態はボロボロだった。
退社後も、働く事に怯えて、働いていない自分に腹が立ち……。
それらのストレスが原因で咽喉頭異常感症という、喉に異物感が常にある病気になり、現在も通院中だという。
そんな中で高橋氏がオーストラリアで馬主になろうと決意したのは、一筋の希望のようなものだったのかもしれない。

元々は40代、50代になってから地方競馬の馬主資格を取りたいと思っていた。
しかし、結婚したら家族をまず養っていかなければならないし、そんなに余裕があるのだろうかと考えるようになったという。
それに加えて、当時の状況を考えると、新天地を求める気持ちもあったのかもしれない。

今のうちに。
今だからこそ。
出来ること、やりたいことを。

そんな想いが、高橋氏のオーストラリアでの馬主資格取得の背中を押したのだろう。

「人それぞれの人生なので、何が正解とか無いのですが、やりたい事があって何かしらの方法でできるなら挑戦して欲しいです。上司に不満があるなら反発しても良いと思います。会社に不満があるなら違う事をやっても良いと思います。笑って人生を終えることが人間の役目だと私は思います。その為にも悔いのない選択をしてください」

高橋氏のメッセージは自らの経験があるからこそ、強く、芯のある言葉となり、響いてくる。

馬主になろう。
そう決めたときまず高橋氏がはじめたのは、世界の馬主資格の取得条件を調べることだった。
調べていくと、オーストラリアは資産などの審査がなくても馬主になれることを知った。

オーストラリアでは、犯罪歴さえ無ければ、馬主になるのに特に条件はない。
馬主をやりたいという気持ちと行動力さえあれば、誰でも馬主になれるのだ。
馬主審査がほぼないことは、オーストラリア競馬の魅力のひとつだと、高橋氏は熱弁する。

審査がないことで、多くの人が馬主をすることが出来る──中には、競馬友達と馬をシェアして、維持費などを抑えながら馬主ライフを楽しんでいる人も多い。

実際、セリでは楽しそうに友人と話をしながら馬を見ている人も多いと感じたという。
日本でも、一口馬主という方法で馬主を楽むことは出来る。
しかし、セリから欲しい馬を購入し、自分の勝負服を作り、騎手の方に着てもらいレースに出走する。

これはオーストラリア競馬の大きな魅力だと思うと高橋氏は強調する。
さほど時間と予算は使わずに、馬主資格を取得したという高橋氏。

しかし、オーストラリアの種牡馬について、セリまでに画像や動画を見て馬体についてはひたすらに勉強した。
種牡馬の競走成績など、調べてまとめた資料を作ったりもしたという。
馬主になるためには、下準備や知識は必要だ。
馬主への、競馬への情熱が、高橋氏を突き動かしていた。
逆に言えば、情熱さえあれば、オーストラリアで馬主になることはそんなに難しいことではない。

……とはいえ、気になる馬主としての活動にかかる金額だ。高橋氏の場合は年に約200万かかるかどうかのラインだという。

これは厩舎によるので、もちろん名門厩舎などはもっと高くなってくる。
約200万は日本だと地方の厩舎と同じぐらい……もしくは安いくらいだろう、ということだ。
また、オーストラリア在住でなくてもオーストラリアで馬主になることが出来る。
事実、高橋氏は日本に住みながら、オーストラリアで馬主となった。

現地の関係者に資料を送ってもらい、記入したものを送り返して手続きをしたという。
大切なのは、連絡を取る勇気ということなのだろう。

そう、高橋氏も最初は、全くゼロからのスタートだった。
海外に行った事もない。海外に、もちろんオーストラリアにも、知り合いはいない。
どうしたものかとインターネットで調べていると、オーストラリアのビクトリア州で活動している島良友調教師のブログと出会った。

そこには島調教師の連絡先が書いてあり、高橋氏はすぐさま連絡をした。
「オーストラリアで馬主になりたい」という、その想いを伝えるために。
これが、海外にいる人と高橋氏とのファーストコンタクトだった。
そして島調教師にはじめて会った際、高橋氏はこんなことを告げられる。

「将来のことをしっかり考えているのか? 馬主になることはおすすめはしない」
歓迎されるかと思っていた高橋氏は、驚いたという。
しかし、結果的にはそれが島調教師と信頼関係を築くきっかけにもなった。

「他人の将来を考えて自分の利益を優先しないこの方なら、心配なく預けられる」
結局、色々やり取りをした後、島調教師に委託をお願いすることになった。

そして、冒頭のイングリス・メルボルン・プレミア・イヤリングセールである。

いざ、オーストラリア、メルボルンの1歳馬セリへ臨んだ高橋氏。

実は、本命の馬では競り負けて、購入する事が出来なかった。
しかしその後、とある牧場から声を掛けられる。

「主取になっている馬を値下げするから買わないか?」と。
それが、高橋にとっての運命の出会いとなった。
その馬は、元々島調教師の評価も得ていた素質馬で、交渉により値段も予算内になったので購入を決めた。

購入が決まった瞬間、急に親心が湧いた。
何をどうしても、購入馬の全てが可愛く見えてしまう。
これは、高橋氏が馬に対して初めて持った感情だったという。

購入馬の名前はまだ登録前なので公開出来ないが、ニックネームはアンビと名付けた。
アンビの目標は今のところ、メルボルンカップの翌々日に行われるオークス。
島調教師にもその意思は伝えていて、まずはオークスを目標にプランを組んでもらっているという。
もちろん、セリの購入者欄に記載された D Takahashi はすぐに友達に見せびらかした。
馬主になったら、正直ちやほやされるかもしれないと若干の期待を抱いていた。

しかし──。

「現実は、そう甘くはないですね」

高橋氏はそう笑う。

馬主になってから、海外のセリ情報はよく見るようになった。
個人的に良い馬体だなと思っても価格が伸びなかったり、この馬体でこんなに値が付くのかと驚いたり。
それがすごく楽しいのだという。馬主ならではの目線だろう。
オーストラリアの競走馬は、とにかく大きいし、筋肉量がすごい、というのが高橋氏の意見だ。

日本はどちらかというと中長距離が盛んだが、オーストラリアは短距離が多いので馬の作り方も違うのかもしれない。
人間も同じだが、短距離選手と長距離選手の筋肉量や体のつくり方は違う。かといって、筋肉が多すぎても走るのに負荷がかかる。適度な筋肉量を見分けるのも、今後の課題、勉強していきたいことのひとつだと高橋氏は話した。

また、高橋氏には馬主として「これだけは」と決めていることが2つある。
1つは、レースの作戦は先生と騎手の方に決めていただいて口出しは絶対にしないこと。
様々な経験や、資格を持っているプロの方々を信頼しているし、それが一番勝つ確率が上がると思っているのだ。
もう1つは、騎手の方から断られるまで何があっても騎手を変えないこと。乗ってもらえるのであれば継続して乗ってもらいたい考えだ。

例えば、誰がどう見ても騎乗ミスで負けたレースがあったとしよう。
それでもわざと騎乗ミスする騎手はいないと思うし、所有馬が安心してレースに臨む為には、所有馬の性格などを一番理解してくれている騎手が良いと高橋氏は考える。
そして、馬主としての最大の目標……それは、オーストラリアから、日本のG1に挑戦すること。

近年は海外勢が日本のレースに参戦したとしても、苦戦しているのが現状だ。
しかし、能力のある、それに足るだけの馬に巡り合えれば、チャンスはあると思っているという。

「将来、日本のG1に挑戦しに行きます!G1の貴重な一枠を頂きますがその際は、ご声援よろしくお願いいたします」

高橋氏は今、2頭目、3頭目と、競走馬を購入する計画を立てているという。
1頭の馬をシェアして所有することが多いオーストラリア。
もしかしたら、2頭目3頭目は、誰かとシェアという形になるかもしれない。

少しでもオーストラリア競馬に興味を持ってもらえたら。
そんな想いで、高橋氏はSNSなどでも活動を続けている。

オーストラリア競馬に興味を持ったという人は、ぜひ連絡してみて欲しい。
話だけ聞いてみたいという人から、競走馬をシェアする上で不安に思っている人など、誰でも何でも歓迎だという。

今は、日本で馬主になりたい気持ちは全くないという高橋氏。
オーストラリアから日本のG1を勝つまでは、オーストラリア一筋で。
その一途な想いは、きっと何よりも強い武器となるだろう。

日本からオーストラリアへ。
そして、オーストラリアから日本へ。

競馬に魅せられた高橋氏の挑戦は、今はじまったばかりだ。

写真:高橋大輝

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