2019年7月30日。
日本近代競馬界の結晶、ディープインパクトが天国へと旅経ちました。17歳でした。
ディープインパクトの功績の大きさは計り知れません。競走馬として多くの歴史的偉業を成し遂げた名馬であると共に、多くの名馬をこの世に送り出した大種牡馬でもありました。
そのディープインパクトの死と共に大きな話題になったのが”安楽死”です。
これ以上手の施しようのないと診断された馬に対して安楽死がされることは、少なくありません。
そう、歴史的名馬であるディープインパクトにも、この安楽死の処置が施されたのです。
その出来事は、普段競馬をやらない方々にも大きな衝撃を与えることになりました。
──本当に安楽死という処置が正しかったのか?まだ様子を見るべきではなかったのか?様々な意見が巻き起こったこの問題を、改めて振り返り、解説していこうと思います。
なぜ『安楽死』という考えがあるのか?
そもそもなぜ競走馬には安楽死という処置があるのでしょうか?
この命題については、一頭の名馬の悲劇と共にご説明させていただきたいと思います。
1978年1月22日に行われた日経新春杯。
このレースでダントツの1番人気に支持されていたのは、前年の天皇賞と有馬記念を制したテンポイントという名馬でした。当時の競馬界では珍しかったイギリスへの海外遠征を前に、国内でその走りをもう一度見たいという多くのファンの願いをかなえるべく出走したレースでした。有馬記念を勝利したような超名馬ですから、そうしたファンのために出走するようなレースでは圧倒的な強さです。他馬へのハンデとして、例外的な負担重量(斤量66.5kg)を背負う必要がありました。
レースでは向こう正面まで悠々と先頭を走り、エリモジョージやビクトリアシチーに競りかけられたものの、65.5kg斤量をものともせず走っているテンポイント。その軽快な走りっぷりから、鞍上の鹿戸騎手も「楽勝だ」と感じていたようです。しかし4コーナーに差し掛かった瞬間、テンポイントの左後ろ足は悲鳴を上げます。診断結果は骨が皮膚から突き出す「開放骨折」というものでした。日本中央競馬会の獣医は安楽死処分を進言しましたが、馬主の高田さんは回答を保留。これだけの名馬なのですから、馬主さんが回答を保留されるのは痛いほどわかります。回答が保留されている間に、テンポイントの助命を嘆願する電話が数千件と寄せられ、成功の確率がわずかであると認識しつつテンポイントの手術が行われました。
33名もの獣医師からなる医師団を結成し行われた手術は、一応の成功をしたように見られました。しかし実際にはテンポイントが体重をかけた際にボルトが曲がり、折れた骨がずれたままギブスで固定されてしまったのです。
その後のテンポイントの症状は、ただただ悲惨なものでした。骨折した箇所が腐り、骨が露出しているのが確認され、反対の足である右後ろ脚にも負担がかかり蹄葉炎を発症。さらには鼻血まで出すほど、状態は悪化していったそうです。500kgあった馬体も、400kg、350kgとみるみる減少し、最後には300kgを切っていたのではないかと推測されています。
そしてレースから1ヶ月半後の3月5日、テンポイントは蹄葉炎により死亡しました。最後まで安楽死処置は行われずに、テンポイントは多くの痛みと苦しみに耐えながら天国へと旅立つことになったのです。医師団の努力は、その間絶えず続いて居ましたが、どうしても救うことはできなかったのです。
テンポイントの件について、すぐに安楽死の処置をすべきだったかどうかは、議論の余地があるでしょう。
しかし人間の願いとは裏腹にテンポイントは回復することはなく、多くの痛みを味わいながらこの世を去ったという事実は変わりません。
安楽死の処置(=予後不良)とは、競走馬に必要以上の苦しみを与えることなく旅立たせる為に必要な処置なのです。
テンポイントの死が残したもの
テンポイントの死によって、多くの問題点が改善されることになりました。テンポイントが背負った66.5kgものハンデについて多くの批判が集まり、過度の斤量を課す風潮が改められました。さらに安楽死の是非について競馬関係者のみならず、多くの競馬ファンも考えされることとなりました。私は、当時より競馬に携わってきた方に「この悲劇をきっかけに安楽死について一定の理解を得られるようになった」と伺ったことがあります。
さらにテンポイントの闘病生活は、競馬界に「重度の骨折を負った競走馬の症例」という大きな財産を残していきました。この症例データは同じように重度の骨折を追った競走馬の治療に役立てられ、多くの競走馬が再びターフに戻ることができました。
決してあの闘病生活は無駄ではなく、後々の競馬界に大きな影響を与えるものになったのです。
そして、ディープインパクトの死
ディープインパクトの死因は、頸椎骨折による起立不能が原因でした。この部分だけ聞くと、先ほどのテンポイントの開放骨折に比べて「もしかすると治療の余地があるのでは?」と考える方も、多いかもしれません。しかしこの起立不能というものは、サラブレッドにとって致命的症状です。サラブレッドは足や首の動きが血を巡らせるポンプのような役割を担っている生き物ですので、ディープインパクトのように「寝たきり」の状態になり体を動かせなくなると、血が身体全体にうまく通わなくなってしまいます。
血が通わなくなるとどうなってしまうかというと──身体の様々な部位が、じわじわと壊死していくことになるのです。
怪我・老化を問わず、サラブレッドが起立不能に陥ると、多くの場合回復は非常に難しいです。起立不能の回復の見込みもないような症状であれば、ただ見守っているだけでもディープインパクトの身体は壊死や様々な病気と戦うことを余儀なくされたのです。
これ以上、苦しい思いはさせられない。
ディープインパクトの関係者がした決断は、日本に元気と感動を与えた名馬に、最後はできるだけ苦しまずに旅立ってほしいという思いからの決断だったのでしょう。
最後に
「安楽死は必要なのか?」
競走馬の安楽死について、その賛否は分かれます。
私は現段階において、人間が競走馬に施せる治療内容を鑑みるに、必要ではないかと考えます。日々獣医学は進歩していますが、全ての症状に対して完璧に対処できるわけではありません。テンポイントのように無理を承知で治療を施した場合に、僅かばかりの延命はできるかもしれませんが、馬に苦しい闘病生活をさせるような結果になることもあります。一時の感情で安楽死の処置を中断させたとしても、馬は苦しみ続けることになることが多いはずです。そもそも獣医学の進歩によって救える馬、安楽死の診断がくだされなくなった馬も増えてきているはずですが、その分、予後不良と判断された馬は現代獣医学の救える範疇を超えた状態に陥ってしまった馬なのでしょう。
この世に競走馬としての宿命を背負ってきた馬達に対して、苦渋の決断を下さなければならないのもまた、人間の責任なのではないかと思います。
そしてその馬をしっかりと弔い、思い続けてあげることこそ、私たち競馬ファンにできる事なのではないかと私は考えます。こうした記事として語り続けることもまた、私たち競馬ファンが彼らにしてやれることなのです。
未勝利馬、G1馬関係なく、すべての馬の命はかけがえのない命であり、多くの人に大切にされた命であります。生産牧場から始まり、育成牧場、厩舎関係者に見守られたその命に終止符を打つという判断する獣医さんや関係者の皆様の気持ちは非常に悔しいものでしょう。
それはせめて最後は苦しまずに旅立って欲しいという関係者の「親心」のようなものだと、私は考えます。
私の最愛の競走馬はヒシアマゾンでした。
そのヒシアマゾンは2019年4月15日に天国に旅立ちました。
アメリカの彼女に会いに行けなかったことを、ものすごく後悔しています。
そしてディープの訃報に際して、多くのディープファンが同じ気持ちになったのだと察しています。
仕事や学業、家庭の事情など、様々な理由でなかなか休みが取れないとは思いますが、競走馬はとても繊細な生き物でありいつ天国へ旅立つかわかりません。
もし幸運にも少しでも時間が取れるのでしたら、愛馬に会いに行こうか迷っている方は迷わず会いに行くことを強くお勧めします。
そして最後まで多くの夢と希望を与えてくれたディープインパクト。
あなたの功績はこれからもずっと色あせることなく、競馬界に輝き続けると思います。
どうか、安らかに眠ってください。
写真:Horse Memorys、s.taka