[天皇賞(春)]スペシャルウィーク、シンボリルドルフ、ディープインパクト。天皇賞(春)を制したダービー馬たち

競馬界最高の栄誉とされるダービー馬の称号と天皇盾。長年、牡馬は3歳時にクラシック三冠路線を、古馬になってからは天皇賞や有馬記念をはじめとする中・長距離路線を歩むことが王道とされていた。

しかし、以前に比べ距離体系が整備され、海外遠征も頻繁におこなわれる現代競馬において、ダービー馬が天皇賞(春)に出走することは少ない。2026年はクロワデュノールが出走を予定しており、タスティエーラ以来2年ぶりではあるものの、その前は14年のキズナまで遡らなければならない。かつて王道とされたローテーションを歩む馬は珍しく、両レースを制した馬は07年のメイショウサムソンが最後である。

今回は、天皇賞(春)を制したダービー馬を振り返りたい。

1999年 スペシャルウィーク

スペシャルウィークは、大種牡馬サンデーサイレンス4世代目の産駒。母キャンペーンガールはスペシャルウィークを出産して間もなく死んでしまったものの、以前からその血統に注目し半姉オースミキャンデイも管理していた栗東・白井寿昭調教師の管理馬となった。

デビューは11月阪神・芝1600mの3歳(当時の年齢表記)新馬戦で、2着に2馬身差をつける完勝。見事、初陣を飾った。2戦目は年明けの白梅賞で、ここはアサヒクリークの大駆けにあい、よもやの敗戦を喫するも、きさらぎ賞と弥生賞を連勝。そして、大外枠に泣き3着に敗れた皐月賞から臨んだダービーを5馬身差で圧勝し、武豊騎手にダービージョッキーの称号をプレゼントするとともに世代の頂点へと上り詰めた。

ところが、さらなる高みを目指した秋は、当時、菊花賞トライアルとしておこなわれていた京都新聞杯こそ快勝したものの、菊花賞とジャパンCでそれぞれ2、3着に惜敗。世代の頂点を極めたはずの春とは一転、もどかしいレースが続いてしまう。

それでも、4歳初戦のアメリカジョッキークラブCを楽勝して復活の狼煙をあげると、阪神大賞典では、前年の天皇賞馬メジロブライトとの一騎討ちを制し連勝。完全に勢いを取り戻して臨んだのが天皇賞(春)だった。

このレースで、スペシャルウィークとともに三強と目されていたのが、同世代の二冠馬セイウンスカイと阪神大賞典で相まみえた前年覇者メジロブライトだった。とりわけ、セイウンスカイにはダービーこそ圧勝したものの、皐月賞は早目先頭からの押し切り、菊花賞ではレコードでの逃げ切りを許すなど対戦成績は2勝2敗の五分。前走は日経賞を5馬身差で楽勝し、3度目のビッグタイトル獲得を狙う強力なライバルだった。

レースは、好スタートを切ったスペシャルウィークを制してサンデーセイラが逃げ、タマモイナズマが続いた。スペシャルウィークとセイウンスカイが3番手で併走する意外な展開となり、1周目の坂の下りでセイウンスカイが単独2番手に浮上。これら先団4頭からステイゴールド、シルクジャスティスを挟んだ7番手にメジロブライトがつけていた。

スタンド前に入り、1000m通過は60.9秒のミドルペース。ようやく、このあたりでセイウンスカイが先頭に立ち、スペシャルウィークとメジロブライトもそれぞれ1つずつポジションを上げた。そして1、2コーナー中間でペースがガクッと落ちると、スペシャルウィークは前との差をさらに詰め、この動きに触発されたサンデーセイラが先頭に並びかけたことで、間接的にセイウンスカイにもプレッシャーがかかった。セイウンスカイをあまりにも自由に逃がしてしまった菊花賞の苦い記憶が脳裏にあったか、スペシャルウィークと武豊騎手は、いつにも増して積極的な競馬を展開していた。

その後、2周目の坂の下りでメジロブライトが仕掛け、三強が接近して迎えた直線。スペシャルウィークは、逃げ込みを図るセイウンスカイの外から並びかけると、直線半ばで早くも先頭に躍り出た。向正面でかけられたプレッシャーが効いたかセイウンスカイは抵抗できず、替わってメジロブライトが2番手に上がり、最後は阪神大賞典と同じように二頭の一騎討ちとなった。

ダービー馬と天皇賞馬。競馬界最高の栄誉を保持するそれぞれの鞍上は、奇しくも弟弟子の武豊騎手と兄弟子の河内洋騎手だった。二頭と二人の意地が激しくぶつかり合う中、先にゴール板を駆け抜けたのはダービー馬スペシャルウィーク。わずか1/2馬身及ばなかったとはいえ、前年覇者のメジロブライトも十分に見せ場をつくり、シルクジャスティスの猛追をハナ差しのいだセイウンスカイが3着を死守した。

スペシャルウィークは、続く宝塚記念で同期のグラスワンダーに完敗を喫し、秋初戦の京都大賞典では生涯最低となる7着に敗れてしまった。それでも、馬体重を16kg絞った天皇賞(秋)で劇的な復活を遂げレコード勝ちすると、続くジャパンCも連勝。グラスワンダーとのリベンジマッチとなる引退レースの有馬記念でまたしてもライバルの前に涙を飲んだものの、その差わずか4センチという日本の競馬史に残る名勝負を演じ、ターフに別れを告げた。

古馬の王道ともいえる中・長距離路線を完走したスペシャルウィークはこの年、8戦5勝2着2回、うちGⅠ3勝という素晴らしい成績をあげた。年度代表馬の座こそ日本調教馬として凱旋門賞で初めて連対を果たしたエルコンドルパサーに譲ったものの、グラスワンダーとともに特別賞を受賞した。また、最終的な獲得賞金は10億9262万3000円で、これはナリタブライアンの10億2691万6,000円を更新する当時の最高記録だった。

そして、種牡馬としても自身を上回るGⅠ6勝をあげたブエナビスタや、日米のオークスを制したシーザリオを送り出すなど素晴らしい実績を残した。中でもシーザリオは、エピファネイア、リオンディーズ、サートゥルナーリアと、3頭のGⅠ馬を輩出。これら3頭は種牡馬としてもGⅠ馬を送り出し、多くの競走馬の血統表にスペシャルウィークの名は刻み込まれている。

1985年 シンボリルドルフ

名種牡馬パーソロンの産駒で、デビュー前から期待を集めていたシンボリルドルフは、騎手としても調教しても一流の成績を収め2004年に顕彰者に選定された「ミスター競馬」こと美浦・野平祐二調教師の管理馬となった。また、調教を任されたのは、後に調教師として歴代2位の通算1,570勝をあげ、同じく顕彰者に選定された藤沢和雄調教助手(当時)。主戦の岡部幸雄騎手ももちろん、後に顕彰者に選定されている。

初戦は7月新潟・芝1000mの新馬戦でそこを快勝すると、3ヶ月後のいちょう特別とオープンを連勝。そして、年明け初戦の弥生賞で重賞初制覇を成し遂げると、皐月賞、ダービー、セントライト記念、菊花賞と連勝街道を驀進し、日本競馬史上初となる無敗での三冠制覇を達成した。

その後、中1週で臨んだジャパンCこそカツラギエースの3着に敗れたものの、リベンジマッチとなった年末の有馬記念でカツラギエースに雪辱。コースレコードのおまけつきで日本一の座を獲得し、5歳シーズン初戦の日経賞を4馬身差で圧勝して臨んだのが天皇賞(春)だった。

このレースで、一つ上のミスターシービーと3度目の三冠馬対決に臨んだシンボリルドルフは序盤、五分のスタートを切ったにもかかわらず、中団やや後ろの9番手を追走していた。好位抜け出しの競馬を繰り返してきたシンボリルドルフにとっては、意外な位置取り。この日も「指定席」の最後方付近を進むミスターシービーとは、ある意味で対照的だった。

それでも、1周目のゴール板を通過したところから徐々に上昇を開始すると、向正面で5番手まで進出。逃げるナンシンエクセラーから4馬身差のところに構え、機を窺っていた。

レースが大きく動いたのは2周目の坂の上りだった。三冠を達成した菊花賞と同じくミスターシービーが仕掛けるとスズカコバンもスパート。坂の頂点で早くも2頭が先頭に立った。しかし、この意外な展開にも、慌てず騒がずマイペースを貫いたシンボリルドルフと岡部騎手は単独3番手で迎えた直線。ミスターシービーを振り切って逃げ込みを図るスズカコバンや、内から差を詰めるニシノライデンを交わしさり、残り200m地点で先頭に躍り出た。サクラガイセンがこれを追い、前3頭との差を懸命に詰めようとしたものの、2番手にあがるのがやっとの状況で、シンボリルドルフはこれに2.1/2馬身差をつけ先頭ゴールイン。この日も盤石の競馬で強さを誇示した『皇帝』は、天皇盾とともにシンザン以来となる五冠馬の称号も手にしたのだった。

シンボリルドルフはその後、宝塚記念の出走を直前で取り消し、完調にはほど遠い状態のまま臨んだ天皇賞(秋)でギャロップダイナの強襲にあって2着に惜敗した。それでも、ジャパンCと有馬記念を連勝して史上初の七冠馬となり、二年連続で年度代表馬のタイトルを獲得した。

そして、国内に敵なしで迎えた6歳シーズンは勇躍、米国遠征を敢行したものの、初戦のサンルイレイSで左前脚繋靱帯炎を発症し6着。残念ながら、これが最後のレースとなってしまった。

ただ、GⅠ7勝の実績や国内では2度しか負けなかったことから、シンボリルドルフはそれまで史上最強とされていたシンザンを超える存在となり、ディープインパクトが現われるまで実に20年近くもその座に君臨し続けた。

種牡馬としても、自身と同じく顕彰馬に選定されたGⅠ4勝のトウカイテイオーや、ビッグタイトル獲得こそならなかったものの、名脇役のツルマルツヨシ、アイルトンシンボリらを輩出。さらに、トウカイテイオーが3頭のGⅠ馬を輩出したことで、父仔三代によるGⅠ制覇も成し遂げられた。

2006年 ディープインパクト

スペシャルウィークと同じサンデーサイレンス産駒のディープインパクトは、セレクトセール当歳市場において金子真人氏に税込7350万円で落札された。管理したのは栗東の池江泰郎調教師で、12月に阪神・芝2000mでおこなわれた新馬戦を完勝。2戦目の若駒Sでは驚異的な追込みを決めた末に2着を5馬身も突き放す圧勝を収め、クラシック候補に躍り出た。

さらに、弥生賞で重賞初勝利を成し遂げ、皐月賞とダービーを制したあたりからその存在と人気は社会現象となり、秋も神戸新聞杯、菊花賞とデビュー7連勝で三冠制覇。無敗での達成は、シンボリルドルフ以来21年ぶり2頭目の快挙だった。

その後、古馬と初めて対決した有馬記念でハーツクライの奇襲に屈し初黒星を喫したものの年度代表馬のタイトルを獲得。3.1/2馬身差で完勝した阪神大賞典から中5週で臨んだのが天皇賞(春)だった。

この日も単勝1.1倍の圧倒的支持を受けたディープインパクトは、やや立ち上がるようなスタートを切って、いきなり場内をざわつかせた。それでも、無理に挽回することなく、序盤はいつもどおり後ろから2頭目を追走。最初の1000m通過は60.3秒と、馬場を考慮すればやや遅い流れではあったものの、17頭立ての長距離戦にしては幾分コンパクトな隊列で、逃げるブルートルネードまでは12、3馬身の差だった。

その後、大きくペースが落ちたところで2つポジションを上げたディープインパクトだが、このレースのハイライトはその数十秒後に訪れた。2周目の坂の上りで「もう我慢ならない」といった感じのディープインパクトは、徐々に上昇を開始。すると、場内からはこの日2度目の大歓声が湧き起こり、下りに入ったところで一気にマクりを決めると、残り600mの標識を前にして、早くも単独先頭に躍り出た。『ゆっくり上って、ゆっくり下りる』という淀の坂越えの鉄則をはるか彼方へ吹き飛ばしてしまうような脅威のスパートに、場内からはこの日一番の歓声が上がった。一方、その歓声には『さすがのディープでも、この仕掛けは早すぎるのではないか』という懐疑的なものも含まれ、直線に入ってすぐリンカーンに2馬身差まで詰め寄られたことで、それはにわかに現実を帯びてきた。

ところが、信じられないことにディープインパクトの末脚は衰えることなく、むしろ再びリンカーンを突き放しはじめた。すると、リードはあっという間に4馬身ほど(最終的には3.1/2馬身差)に拡大。3番手に上がったストラタジェムとはさらに5馬身もの差がつき、最後はいつも通り武豊騎手が手綱を緩めてゴール板を駆け抜けた。それでも、勝ち時計の3分13秒4は従来の記録を1秒も上回るスーパーレコードだった。ただ、とりわけ驚異的だったのは上がり4ハロンのタイムである。

坂の下りを利したとはいえ、このレースの上がり4ハロンは44秒8と驚愕のタイムだった。しかも、残り800m地点でまだ先頭に立っていなかったディープインパクトのそれは44秒8を上回っていたと推測され、引退までの14戦で最も強さを誇示したレースに、この天皇賞(春)を挙げるファンは少なくない。

ディープインパクトはその後、宝塚記念で5度目のGⅠ制覇を成し遂げ、日本調教馬初の凱旋門賞制覇を目指しフランス遠征を敢行した。ところが、よもやの敗戦を喫する(3位入線)と、レースまでの過程で咳込んだ際に処方された薬が体内に残留し、それが禁止薬物として検出されたため失格となってしまった。

それでも、汚名返上とばかりにジャパンCを完勝すると、引退レースの有馬記念も圧勝。通算14戦12勝という驚異的な成績を残して2年連続の年度代表馬に輝き、ターフに別れを告げたのだった。

写真:かず、Horse Memorys

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