[オールカマー]オグリキャップ、レイデオロ、メジロドーベル。オールカマーをステップに秋のGⅠを勝利した馬たち

1着馬に天皇賞(秋)の優先出走権が与えられるオールカマー。毎日王冠とともに関東を代表する中距離の前哨戦で、ここから始動する実力馬も少なくない。

ただ、オールカマーと天皇賞(秋)を連勝した馬は過去に1頭だけ。実際のところ、これら2レースの繋がりが深いとはいえない。それでも、オールカマー勝ち馬がその後のGⅠで苦戦しているかといえば、もちろんそんなことはない。同距離のエリザベス女王杯や、同じ中山でおこなわれる有馬記念と繋がりが深く、オールカマー制覇をきっかけに秋のビッグレースを勝利した馬がこれまでにも複数いた。

今回は、オールカマーをステップに秋のGⅠを勝利した馬たちを振り返りたい。

■1989年 オグリキャップ

第2次競馬ブームの中心的存在であり、日本競馬史上最高クラスのアイドルホースとなったオグリキャップ。地方・笠松で12戦10勝の成績を残し、3歳春、鳴り物入りで中央に移籍した同馬は、クラシック登録がなかったため裏街道を歩んだものの、ペガサスS(現チャーチルダウンズC)を皮切りに中央のエリートたちを次々と撃破。重賞6連勝を達成した。

その後、天皇賞(秋)でタマモクロスとの芦毛対決に敗れて連勝が止まり、続くジャパンCで3着に敗れるも、タマモクロスの引退レースとなった有馬記念でついに雪辱。一騎打ちを制して念願のビッグタイトルを獲得し、この年のJRA賞最優秀4歳牡馬(現JRA賞最優秀3歳牡馬)に選出された。

ただ、デビューからおよそ1年半で21戦、この年だけで10戦したオグリキャップの馬体にはダメージが蓄積していた。迎えた5歳(旧馬齢表記)シーズン、2月に右前脚の球節を捻挫すると2ヶ月後、今度は同じ右前脚に繋靱帯炎を発症し、春を棒に振ってしまう。

それでも、7月に帰厩すると、ゆっくりではあるものの秋に向けて調整が積み重ねられ、有馬記念以来およそ9ヶ月ぶりの復帰戦となったのがオールカマーだった。

このレースで、ライバル・タマモクロスの主戦を務めた南井克巳騎手と初めてコンビを組んだオグリキャップは、五分のスタートを切ると先行。ベルクラウンとミスターブランディの逃げ争いを5馬身前に見ながら6番手につけた。

1000m通過は61.6秒と遅い流れのなか、オグリキャップはややいきたがるような素振りを見せつつも、久々の実戦を楽しむように追走。その後、3、4コーナー中間から徐々に進出を開始すると、4コーナーで「地方最強牝馬」ロジータに並びかけ、4番手で直線を迎えた。

直線に入ると、先頭に躍り出たミスターブランディからオグリキャップまではまだ3馬身ほど差があったものの、あっという間にこれに並びかけるとそこから本格的に追い出され、坂の途中で単独先頭に立った。追ってきたのは内に進路をとったオールダッシュで、前との差を懸命に詰めようとするも、抜け出してから一瞬で2馬身のリードを取ったオグリキャップは、最後は流すようにゴールイン。着差以上の楽勝で復帰初戦を突破し、ノーステッキでマークした勝ち時計2.12.4は、従来の記録を0.3秒上回るコースレコードだった。

こうして、秋のGⅠ戦線に再び舞い戻ったオグリキャップだが、本当にすごかったのはここからで、オールカマーから3週間後、毎日王冠に出走すると、天皇賞(春)、宝塚記念を連勝中のイナリワンと対決。直線、残り200mからびっしりと叩き合った末にハナ差先着し、有馬記念からの連勝を3に伸ばした。さらに、天皇賞(秋)2着から三たび中2週で出走したマイルCSで、今度はバンブーメモリーと激闘を繰り広げまたしてもハナ差で勝利すると、連闘で臨んだ翌週のジャパンCでも、世界レコードと同タイムの2着に好走。年末の有馬記念こそ、さすがに疲れがピークに達したか5着に敗れるも、わずか3ヶ月で6走したこれらすべての名勝負がオグリキャップを国民的スーパースターにし、第2次競馬ブームを確固たるものとした。

あれから間もなく40年、今なお伝説として語り継がれる89年オグリキャップの激闘。そのはじまりがオールカマーだったのである。

■2018年 レイデオロ

名種牡馬キングカメハメハ産駒で、近親に無敗三冠馬ディープインパクトがいるレイデオロは、美浦の名門、藤沢和雄厩舎からデビューを果たした。初戦は10月東京・芝2000mの新馬戦で、ここを快勝すると、続く葉牡丹賞、ホープフルS(当時はGⅡ)まで3連勝。3戦無敗で2歳(現馬齢表記)シーズンを終えた。

年が明け迎えた3歳シーズンは初戦の皐月賞こそ5着に敗れるも、続くダービーでは向正面で一気にマクる奇襲が成功し、早目先頭から押し切って快勝。開業30年目の藤沢調教師にダービートレーナーの称号をプレゼントし、鞍上C.ルメール騎手はダービージョッキーの称号を手に入れると同時に3週連続GⅠ制覇の偉業を達成した。

そして、秋も神戸新聞杯1着から臨んだジャパンCで2着に好走。そこでシーズンを終えたものの、4歳シーズンは明るい未来が待ち受けていると思われた。

ところが、目標とするドバイシーマCに向け始動戦に選んだ京都記念でよもやの3着に敗れると、本番でも4着に敗戦。さらに帰国後も遠征の疲労が残って休養は長引き、およそ半年ぶりの実戦となったのがオールカマーだった。

このレースで同世代の2頭、ダンビュライトや皐月賞馬アルアインらを抑えて1番人気に支持されたレイデオロは、まずまずのスタートから中団やや後方を追走。ダンビュライトをマークするようなかたちで8番手に位置し、2番手につけたアルアインとは7馬身ほどの差があった。

一方、そのアルアインを4馬身ほど離して逃げるマイネルミラノは、1000mを60.5秒で通過。そこからペースを上げると、2番手以下の各馬も残り600m地点からようやく追い上げを開始し、縦長だった隊列が一団となるなか直線を迎えた。

直線に入るとすぐ、マイネルミラノを交わしたアルアインが先頭に躍り出た。ガンコとエアアンセムが2番手で競り合い、一緒になって前を追おうとしたのも束の間、いつの間にか差を詰めていたレイデオロが一瞬でこれら2頭を交わすと、ゴール寸前でアルアインも内から捕らえ先頭ゴールイン。4度目の重賞制覇は神戸新聞杯以来ちょうど1年ぶりの復活勝利となり、秋の飛躍を予感させるに十分な内容だった。

その後、中4週で天皇賞(秋)に臨んだレイデオロは、オールカマーをさらに上回る内容で完勝し2つ目のビッグタイトルを獲得。史上初めてオールカマーと天皇賞(秋)を連勝した馬となり、翌年の有馬記念(7着)を最後に引退、社台スタリオンステーションで種牡馬となった。

初年度産駒がデビューしたのは2023年で当初は結果が出ず、種付け頭数も一時は激減。初年度の196頭から、24年は39頭、25年も61頭と大幅に落ち込んでしまった。

しかし、その初年度産駒が古馬になると次々と重賞を制し、26年の種付け頭数は213頭と文字どおりのV字回復。この秋もアドマイヤテラが凱旋門賞に出走するなど、今度は産駒のGⅠ初制覇が期待される。

■1997年 メジロドーベル

1991年の宝塚記念を制したメジロライアンの初年度産駒メジロドーベルは、美浦・大久保洋吉厩舎からデビューを果たした。

初戦は新潟芝1000mの新馬戦でここを完勝すると、新潟3歳S5着をはさみ、サフラン賞、いちょうS、阪神3歳牝馬S(現阪神ジュベナイルフィリーズ)と3連勝でGⅠ制覇。父メジロライアンに、早くもビッグタイトルをプレゼントした。

そして、年明けはチューリップ賞3着、桜花賞2着と序盤こそ勝ち切れなかったものの、雪辱を期したオークスで2着ナナヨーウイングに2.1/2馬身差をつける完勝。見事「樫の女王」に輝き、そこから3ヶ月半の休養をはさんで出走したのがオールカマーだった。

古馬と初めて対戦するこのレースで堂々1番人気に推されたメジロドーベルは、伸び上がるようなスタートを切ったものの、すぐに先行。1コーナー進入時には大きく外を回り、引っ掛かるように先頭に立つとスタンドは大きくどよめいた。

末脚自慢のメジロドーベルが逃げる展開──。

実はメジロドーベル。この年初戦のチューリップ賞でも著しく折り合いを欠いて3着に敗れており、多くのファンはそのシーンを思い出していた。ただ、その時と決定的に違った点は、鞍上の吉田豊騎手が無理に抑え込もうとせず、馬のいく気に任せたことだ。

すると、この判断が吉と出た。一度先頭に立ったメジロドーベルは、そこから暴走することなく落ち着き、鞍上との折り合いもピッタリ。ペースを落として1000mを63.7秒で通過すると以後も快調に逃げ脚を伸ばし、4コーナーでホウエイコスモスとファッションショーに並びかけられても、意に介さないような涼しい顔で直線を迎えた。

直線に入ってもしばらく追い出しを我慢されていたメジロドーベルは、坂下で本格的にスパートすると一瞬で2馬身のリードをとった。追ってきたのは内から順に、バーボンカントリー、ホウエイコスモス、ヤシマソブリン、インターユニークの4頭で、前との差を懸命に詰めようとするも、メジロドーベルはこれらの追撃を楽々と振り切って先頭ゴールイン。グレード制導入以降、3歳牝馬のオールカマー制覇はこれが唯一(25年時点。26年も登録なし)で、その快挙をこともなげに成し遂げたメジロドーベルは、秋華賞に向けてこれ以上ないスタートを切ったのだった。

メジロドーベルはこのあと予定どおり出走した秋華賞で、対戦成績1勝1敗の桜花賞馬キョウエイマーチと三たび激突し、2.1/2馬身差の完勝。二冠を達成すると、翌98年、99年とエリザベス女王杯を連覇し、4年連続GⅠ制覇や4年連続のJRA賞受賞、そして牝馬としては当時最多となるJRA・GⅠ5勝など、数々の大記録を打ち立てた。

引退後は故郷のメジロ牧場で繁殖入りし、直仔から重賞ウイナーは誕生しなかったものの、孫のショウナンラグーンが青葉賞を、ホウオウイクセルがフラワーCを勝利するなど活躍。一族の枝葉は大きく伸び、自身は32歳となった現在も、メジロ牧場の設備と繋養馬を引き継いだレイクヴィラファームでリードホースとして活躍している。

写真:かず、Horse Memorys

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