松田国英調教師〜「マツクニ流」が伝えたこと〜

JRA通算636勝(2021/2/19時点)、重賞59勝、GⅠ14勝。
管理したGⅠ馬は9頭。
クロフネ、タニノギムレット、キングカメハメハ、ダイワエルシエーロ、フサイチリシャール、ダイワスカーレット、ダノンシャンティ、ベルシャザール、タイムフライヤー。

厩舎から独立した調教師は角居勝彦調教師・友道康夫調教師・高野友和調教師、所属した騎手は村山明騎手・鮫島良太騎手──。

松田国英調教師の功績は計り知れない。2000年代前半、競馬界を一世風靡した「マツクニ流」とはなんなのか。

松田国英調教師は北海道の牧場で生まれた。ここまでは競馬界に比較的多い経歴であり、その後、導かれるように競馬界に身を投じるわけだが、師が就職したのは関西の競馬新聞「競馬二ホン」。つまり、いわゆるトラックマンになったのだ。このトラックマン経験がのちのマツクニ流の根底に生かされていく。

競馬二ホンを退社後、調教助手に転身、そして1995年に調教師免許を取得。翌年に松田国英厩舎を開業した。その4年後、2000年にクロフネがデビューする。クラシックが外国産馬に開放された年にあらわれた芦毛のクロフネ、師が描いたローテーションがマル外ダービーといわれたNHKマイルCから日本ダービーという変則二冠。ただしこの年、外国産馬に開放されたのは日本ダービーのみ、皐月賞への出走は翌年からなので、クロフネに限ってはこのローテを取らざるを得なかったといえる。そういった事情はあったにせよ、5月1週目のNHKマイルCから中2週で日本ダービー出走は当時、大きな話題になった。NHKマイルCを勝ったクロフネは同じ外国産馬のルゼルと一緒に日本ダービーに出走した。これが師にとって日本ダービー初出走。2番人気に支持されたクロフネは最後に伸びきれず5着に敗れた。

翌年、師は内国産馬のタニノギムレットでも同じようにNHKマイルCから日本ダービーという道を選んだ。皐月賞を使いながらも、このローテーションにこだわったのだ。

それは、東京競馬場の芝1600mと芝2400mでGⅠを勝つことの意義を投げかけるものだった。マイル戦は現代競馬にとって必要不可欠なスピードが試される。そして2400mは緩急への適応とサンデーサイレンス産駒特有の武器でもあった瞬発力が必要になる。

サンデーサイレンスに匹敵する、もしくはそれを超える種牡馬になるためにはマイル戦と2400m戦でタイトルを獲得する必要がある──師は、つねに競走馬引退後のことを考えていたのだ。いかに歴史に、いやサラブレットの血統表に名を残せる種牡馬・繁殖牝馬に管理馬がなれるのかを模索していた。この視点こそ、トラックマンとして競馬を観戦する側に立った経験から生まれたものではなかったか。競馬ファンが期待する「血脈がつなぐ物語」や「未来に語り継ぎたい名馬」は、血統的な価値によるところが大きい。

またサンデーサイレンス全盛時代のその先、サンデーサイレンスの血が飽和状態になったときに必要な種牡馬とは、マイル戦と2400m戦に強いオールラウンダーではないか。師はそう考えていたにちがいない。前年のクロフネ、そしてタニノギムレットはいずれもサンデーサイレンスの血が血統表にない。これは偶然とは思えない。タニノギムレットはNHKマイルCでテレグノシスの3着に敗れたが、次走の日本ダービーを勝利。松田国英調教師はダービートレーナーになった。

クロフネやタニノギムレットの経験があったからこそ、2004年、師はキングカメハメハでついに変則2冠を達成した。マイル戦でも劣らないスピードを備え、超ハイペースの日本ダービーで堂々と正攻法の競馬で押し切った姿こそ、日本競馬界の次代を担うにふさわしいものだった。そのキングカメハメハもサンデーサイレンスの血が入っていない。やがてキングカメハメハは種牡馬となり、サンデーサイレンスからディープインパクトへとつながる血流に対抗する勢力としてその血脈を確実に広げた。

クロフネやタニノギムレット、キングカメハメハがいなかったとしたら……。
ファンに愛された多くの名馬は誕生せず、サンデーサイレンスであふれる日本の馬産界はどうなっていただろうか。

4月、5月でGⅠに3回出走したタニノギムレットなど、マツクニ流はしばしば「酷使しすぎだ」という批判も受けてきた。だが、結果としてマツクニ流は後世に血を残す名馬を育んできた、それも事実である。

厩舎では調教助手に権限を持たせ、自主性を重視するという合理的な運営をしてきた。これもマツクニ流である。ウオッカやシーザリオを育て一時代を築いた角居勝彦調教師や、マカヒキ・ワグネリアンで日本ダービーを2勝し、毎年クラシック路線に主役級として管理馬を送り込む友道康夫調教師は、そんなマツクニ流によって育てられた。因習にとらわれない新たな先鋭的かつ合理的思考は、角居師・友道師らによって、新たな競馬観として受け継がれた。

2021年2月28日、競馬界に数々の変革を巻き起こしたマツクニ流は、師の定年によって完結する。
だが松田国英調教師の志は、その流儀が作りあげた馬や人によって後世へと続いていく。

マツクニ流とは、競馬が未来永劫、語り継ぐ物語であることを教えてくれる。

写真:RINOT

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