オーストラリアといえば、世界有数の競馬大国です。
1年間における競走馬の生産頭数は、日本を凌駕する1万頭超えで、サラブレット生産における存在感もトップクラス。
日本からもモーリスやリアルインパクトが、いわゆるシャトル種牡馬として渡豪しています。
スプリント大国・香港への影響力も非常に大きいのも特徴の一つ。オーストラリア国内外で、名スプリンターから名ステイヤーまで、様々な名馬が輩出されてきました。
今回はそんな競馬大国オーストラリアの伝統の一戦「メルボルンカップ」について、ご紹介します。
別名『国を止める』レース!?その愛され方がスゴい!
メルボルンCは、創設は1861年という非常に長い歴史を誇るレースです。
日本ダービーは1932年から、有馬記念は1956年から、という点を踏まえてもその歴史の長さがわかります。
条件はフレミントン競馬場・芝3200m戦。日本最長のG1競走・天皇賞春と同じ距離で、各馬のスタミナを競います。
その約3分20秒の戦いに多くのオーストラリア国民の視線が注がれます。
賞金総額は約6億円と、名声だけでなく富も手に入るため、南半球だけでなく世界各国からスタミナ自慢が顔を揃えます。特にフランスやイギリス、アイルランドは遠征に積極的で、2017年にはアイルランド馬が1~3着を独占し、2018年にはイギリス馬が1~3着を独占しています。他にもドイツや日本、南アフリカなど様々なステイヤーが海を渡り挑戦しにくる名門レースです。
メルボルンCは『The Race That Stops The Nation=国を止めるレース』とも呼ばれています。
メルボルンCを開催するフレミントン競馬場はヴィクトリア州にありますが、レースが開催される11月第1火曜日はヴィクトリア州の祝日になっているほどです。
その観衆は毎年10万人を超えているとされていますから、オーストラリアを代表するスポーツイベントとして広く認知されていると言えるでしょう。
オーストラリア競馬ファンのメルボルンCへの愛は熱狂的ともいえる熱量で、メルボルンCを中心に据えた一週間は「メルボルンカップ・カーニバル」や「フレミントン・スプリングカーニバル」と呼ばれ、非常に盛り上がります。なんと30万人ものファンがメルボルンを訪れるという統計もあるそうです。
フレミントン・スプリングカーニバルの期間には、メルボルンCのほかに3つのビッグレースが開催されます。ヴィクトリアダービー・VRCオークス・VRCステークスと、いずれも各路線における重要な一戦で、この一週間の豪華さをさらに盛り立てます。さらにメルボルンC前日に開催される、出走各馬の騎手・調教師らによるパレードも、毎年恒例のイベントとして大人気です。
そしてメルボルンカップ・カーニバルのもう一つのメインイベントとも言われるのが、「マイヤー・ファッションズ・オン・ザ・フィールド・コンテスト」というファッションイベントです。1962年から続いているオーストラリア最大かつ最も権威ある野外ファッションイベントで、ダイアナ妃やニコール・キッドマン、ナオミ・キャンベル、パリス・ヒルトンといった海外セレブも訪れるほど。
この世界的なファッションイベントの始まった理由が「もっと女性に競馬場へ来てもらうため」というのですから、メルボルンCが競馬界を飛び越えた大きな影響力を持っているとされるのも頷けます。
豪華絢爛!メルボルンCを制覇した名馬たち。
長い歴史の中で、数々の名馬がメルボルンCを制覇してきました。
ハンデ戦とあっても波乱も多いレースで、出走各馬に上位進出のチャンスがあります。
長丁場とあって、ジョッキーがどう乗りこなすかというのも結果に大きな影響を与えます。
実績馬は大きなハンデを背負うため、この大舞台では苦戦を強いられることが多いです。特にトップのハンデを背負った馬はなかなか勝ち切れず、1969年のレインラヴァー以降は長きに渡り勝ち星を手にすることがない状況がいていました。
しかし2005年、牝馬のマカイビーディーヴァがついにトップハンデを跳ね返し、メルボルンCを制覇。しかも2003年・2004年に続く勝利でもあり、史上初のメルボルンC 三連覇を達成しました。
近年で「大波乱」となったのは、2015年のメルボルンC。
24頭中最低人気タイの超伏兵が、一気にスターダムを駆け上がりました。単勝オッズ101倍で勝利したのは、プリンスオブペンザンス。
しかも鞍上は女性騎手のミシェル・ペイン騎手と、話題性の多い一戦となりました。 そのレースでの一番人気馬は日本から遠征していたフェイムゲームでしたが、13着に敗れています。
ちなみに大波乱を演出したプリンスオブペンザンスは、母が日本で走って引退後も日本で繁殖牝馬をしていたロイヤルサクセサーで、父も日本で種牡馬をしていたペンタイアと、日本に縁のある馬でした。
初めてメルボルンCに挑戦した日本馬は、2005年アイポッパー。
阪神大賞典2着、天皇賞春3着と当時の日本を代表するステイヤーでしたが、結果は12着。
上記のマカイビーディーヴァが三連覇を達成した瞬間を目の前で目撃することになりました。
しかし翌年、その経験をもとにさらに2頭の日本馬が遠征を敢行。
その2とは、菊花賞馬デルタブルースと、目黒記念馬ポップロック。どちらも角居厩舎所属のステイヤーでした。なんと同厩舎のその2頭が、ワンツーを決めるのでした。メルボルンCでアジア調教馬が勝利したのは初めての出来事で、記録に残る走りとなりました。
デルタブルースはその走りを評価され、オーストラリア最優秀ステイヤーにも選出されています。
その後は2010年トウカイトリック(12着)、2016年カレンミロティック(23着)など悔しい結果が続いていましたが、2019年にはメールドグラースが6着に食いこみ、 久々の一桁着順となりました。
また、2014年に挑戦したアドマイヤラクティはレース後に心臓麻痺が原因で休止するという悲劇も起こりました。
2011年勝ち馬ドゥーナデンの鞍上はルメール騎手で、2014年勝ち馬プロテクショ二ストはムーア騎手。
日本に縁のある騎手も活躍する一戦です。
まさに長距離ハンデ戦の最高峰。
ジョッキーの心理戦も光る長距離戦を堪能しましょう!