金沢四大重賞の最後を飾る重賞の中日杯。
1965年に創設され、今年で54回を迎える。
同じ年、中央の中京競馬場に現在の中日新聞杯が創設されているが、こちらも名前は「中日杯」だった。
しかし、中央と地方で同じ社杯で同じ名前と言うのはどうだろう、と言われたかは定かではないが翌年から中央の方が「中日新聞杯」と名前が変わり現在に至っている。

金沢競馬の重賞は名前や時期、距離がコロコロ変わる事が多いが、中日杯は創設以来名前は変わらず、時期も12月、距離も創設から第50回まで2300mと一貫している。
もっとも距離に関しては第51回だけ1900m、第52回から2000mと手が入っている。

この重賞の特徴は何と言ってもよく荒れる重賞。
ただし、荒れるのは馬券よりも天候と馬場。
12月の金沢は雨なり雪なり何かがいつも降ってくる。おかげで馬場は概ね重か不良。良馬場で行われた中日杯は1990年まで遡らないといけない(ちなみにこの時の天候は曇だった)。
こんな馬場状況だから馬券も荒れる、かと思えば2年連続で三連単数百円と言う年もあり、案外難解な重賞になっている。

過去の優勝馬を見ると最後の大舞台という事もありジャングルスマイル、グルームアイランド、サミットストーンと言ったその年の金沢の顔と言える古馬やケージーキンカメ、ナムラダイキチ、ノーブルシーズ(金沢三冠馬)と言った3歳馬もいてまさに1年の総決算と言った顔ぶれになっている。

その中にこの最後の大舞台から勇躍し、歴史に残る大活躍をした名馬がいる。
それは、1983年優勝のローラーキング。

ローラーキングは1980年に大井競馬でデビュー、6歳(旧年齢)までに9勝を挙げるも重賞での目立った活躍はなく1983年の夏に金沢に移籍。
するとその年の白山大賞典、北國王冠、中日杯の古馬重賞を制覇。もし、開幕当初に移籍していたら百万石賞も制して四大重賞総なめもあったかもしれない。

そして翌84年7歳で中央競馬へと移籍すると移籍2戦目の読売マイラーズC(GⅡ)を単勝130.5倍、13頭中の12番人気の低評価を覆し、不良馬場の内側をするすると伸びて単枠指定のニホンピロウイナー等を破って優勝。その後もダートだった札幌記念も制するなど、芝ダートを問わない舞台で活躍を見せた。

中央の重賞馬が金沢に移籍して走る事はたまにあるが、彼のように中央出走歴なしの金沢の重賞馬が中央に乗り込んで重賞制覇をするのは今後なかなか現れないだろう。

偉大なる先輩の名馬に近づくような馬が現れるか。
金沢の最後の大舞台から、目が離せない。

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