時の流れというのは大変恐ろしいものだ。
高校生でも、そう思うことはある。
競馬という時間のサイクルが速いブラッドスポーツを見続けていくと、さらにその実感が湧いてくる。
私が通う高校での、とある授業の休み時間。
競馬に興味を持ち始めた友人からその週の重賞に出走する馬について問われたので「この子の親は、現役時代めちゃくちゃ強かったんだよ」と返してみた。
「どんなレースを勝ったの?」と聞き返される。
すると私は嬉しそうに顔を綻ばせて、語り始めるのだ。
「実はね、この馬からは想像出来ないけど、親はね……」
過去の名馬について(ソーシャルディスタンスを保ちながら)熱く語っていると、いつの間にか授業開始のチャイムが鳴り始めた。
ワンカラット。
幼い頃に現地でも見たことがあるからか、彼女の子ども達の活躍には、より感慨深いものを感じる。
私がワンカラットを最初に現地で見たのは、2009年報知杯フィリーズレビューの時だった。
初春の阪神競馬場。2歳女王ブエナビスタなどが待つ桜の大舞台に向けて、関西からの残り数少ないチケットの奪い合いとなる一戦だった。
阪神JFで3着に入ったミクロコスモスが断然の1番人気に押されていた中、道中2、3番手でレースを進めて直線で抜け出したのは、6番人気のワンカラットだった。
後続を1馬身1/4差突き放しての勝利。
新馬戦以来となる2勝目を重賞制覇で飾った。
藤岡佑介騎手の見事なエスコートも印象的だったレースで、ワンカラットは桜花賞への切符を手に入れた。
この勝利は、2002年のジャパンCを制したアイルランド生まれの父ファルブラブにとって、産駒初の重賞制覇でもあった。
迎えた桜花賞。
ワンカラットはフィリーズレビューとは違って後方待機の策を取った。
直線一気を狙う。
しかし、ワンカラットよりも後方にいたブエナビスタ、レッドディザイア、ジェルミナルの上位3頭に瞬発力の差で切れ負けしてしまい4着に敗れた。ワンカラットにとっては、クラシック上位組との実力差が露呈してしまったレースとなった。
その後は惜しいレースと惨敗するレースが交互に続くような形で、3歳シーズンを終える。
桜花賞で後塵を拝したブエナビスタやレッドディザイアなどの面々は、すでに古馬や牡馬たちと互角以上の戦いを繰り広げていた。
その時ワンカラットは──ワンカラット陣営は、どのような思いで彼女らの躍進を眺めていたのだろうか。
ワンカラットの奮起は、年明けから。
同世代の馬たちに負けじと、京都牝馬ステークスで4着に食い込む。勝ち馬との着差は、僅か0.1秒差の4着。現地観戦していた私は、久々に見た彼女の元気な姿に感動していた。
さらに、阪急杯でも惜しい2着。
右回りでの重賞でならば、歴戦の牡馬が相手でも、馬券圏内に入る成績を残せるようになっていた。
しかし一方で、勝利までの道のりはなかなか遠い。
気がつけば、フィリーズレビューでの勝利から1年以上が過ぎていた。
なんとしても、勝利が欲しい。
これまでマイル戦で苦戦していることもあり、陣営はスプリント路線への舵を切る判断をした。4歳の夏だった。
その緒戦は中京競馬場がコース改修されていた関係で、京都競馬場で開催されたCBC賞。
2歳以来となる1200m戦だったが、ここでも勝ち馬とコンマ1秒差の3着。
実力は見せる。しかし惜しいことに、先頭ではゴール出来ない。
なんとしても勝利を──。
この年、6月の時点で既に6戦を使っていたワンカラットだが、勝ち星を求めて夏の北海道へ向かった。
そして迎えた函館スプリントステークス。
重賞2勝、G1でも2度の2着を誇るビービーガルダンが1番人気。
ワンカラットは2番人気に推されていた。
1番枠からのスタートで好位の位置につけると4コーナーでビービーガルダンは外に、ワンカラットは内に入れて最後の直線。
前のスペースが空いたワンカラットは一気に突き抜けてみるみる後続を離す。
今までが嘘のような快勝で、見事、約1年4ヶ月ぶりの勝利を遂げたのだ。
しかも勝ちタイムは1分8秒2。
当時のレコードタイムだった。
勢いに乗るワンカラットは、そのまま1ヶ月半後のキーンランドカップにも出走。ここでも1番人気はビービーガルダンだったが、ワンカラットは3、4コーナーで外目から捲って早め先頭に立つ強気のレースを見せる。そこからはまさに横綱相撲の競馬で、迫るジェイケイセラヴィとの競り合いを抑えて押し切った。
重賞連勝。
これがワンカラットの才能が開花した瞬間だった。
そしてその成績により、ワンカラットはサマースプリントシリーズのチャンピオンに輝いた。
こうして充実期を迎えたように見てたワンカラットだが、年間8戦目のスプリンターズSではさすがに疲れが堪えたか、5着に敗れる。
3歳の秋からほとんどまとまった休みもとらず、コンスタントにで走っていた彼女は、そのスプリンターズS後は年内休養となった。
翌年、阪急杯では不利を受けてしまい5着。
さらに阪神での高松宮記念は、なんと15着と大敗を喫してしまう。レース後の検査で、左前脚の蹄骨を骨折が判明。長期休養を余儀なくされる。骨折復帰後の成績は、いずれも重賞で7、3、12着という結果で、この年を終えた。重賞連勝を達成した時の勢いが、骨折によって奪われてしまったかのように思えた。
翌年は淀短距離S4着の後、オーシャンSに出走。カレンチャンやジョーカプチーノなどG1馬も出走する中で、ワンカラットは9番人気の評価だった。
何度も何度も彼女に跨った主戦の藤岡佑介騎手は、そのオーシャンSでもワンカラットとのコンビを組んでいた。レースが始まると中団のインコースに控える。最後の直線に託したレースぶりだ。
そして最終直線、溜めた脚を一気に繰り出し、馬群を突き抜け勝利したのだ。
1年半ぶりの勝利。
これまでの鬱憤を晴らすかのようだった。
しかしワンカラットは、この後脚部不安を発症し、そのまま無念の引退。
繁殖牝馬として、馬産地に戻ることとなった。
そして、彼女の子どもであるワントゥワンが重賞戦線でも活躍。G1にも出走を果たすほどの実力を見せた。そして現役を引退してからは繁殖馬としてその血脈を受け継いでいる。
母ワンカラットの活躍を直接見ていた者としては、なんとも嬉しい活躍だった。しかし明るいニュースだけではなく、悲しいニュースもある。
──母となったワンカラットは、子どもたちの活躍を見る事なく、もう亡くなってしまっていたのだ。
現役時代を応援していた馬が、仔をのこし、そして他界する。さらにはのこされた仔が、また仔を生み、血を繋げていく。これはすごく長い時間の出来事のようで、気がつけばまた次のサイクルに入っている一瞬のような出来事でもある。
時の流れとは恐ろしいな、と高校生にも思わせるほどに。
だからこそ、この一瞬一瞬を大事に、見逃さないようにしていきたいと思う。
ワントゥワンには、この栄えある血を永く引き継いでいってほしいと、切に願っている。
「血を次世代へ引き継ぐ」
これが競馬というスポーツの、1番の魅力だと思っているからだ。
写真:Horse Memorys