![[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]馬運車と福ちゃんと僕(シーズン2-38)](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2026/10/20260121.jpg)
能力試験を1週間後に控えた土曜日、「明日、本馬場に行ってゲート練習と追い切りをかけますが、いらっしゃいますか?」と長友調教師からお誘いのLINEが入りました。次に川崎競馬場を訪れるのは能力試験当日だと考えていたので戸惑いましたが、せっかくなので行ってみることにしました。ドコフクカゼにとっては能力試験前のスクーリング(事前練習)ですが、(入れ込みがちな)僕にとっても良い下見になるかもしれません。
能力試験とは、レース当日と同じ状況で走ってみるテストになります。厩舎から競馬場まで馬運車に乗り(片道約20分間)、パドックを周回し、本馬場に入場し、ゲート裏で待機、ゲートに入り、ゲートの中で60秒間駐立し、ゲートが開いたら飛び出し、コーナーをスムーズに回り、最後の直線ではゴールを目指して走る。そして、800mを55秒以内で走らなければいけません。
8時15分頃から馬装スタートとの話でしたので、8時過ぎに川崎競馬場到着を目指していると、「治郎丸さん、今どこにいますか?」と長友先生から連絡が入りました。「もうすぐ川崎競馬場に着きます!」と返信すると、「早めに着いたので、これから馬場入りします。志村さんが入口のところに迎えに行きます」とのこと。小向トレーニングセンターからの輸送がスムーズだったのでしょう。急いで川崎競馬場の関係者門から入ると、目の前に志村さんが待っていました。「ジョッキーが乗るということなので、もう馬場に向かっています」と言いながら、慌てて案内してくれました。
そのジョッキーとは新原周馬騎手のこと。長友調教師と相談して決めました。当初は船橋競馬の本田正重騎手の名前が挙がっていましたが、能力試験前のスクーリング→能力試験→デビュー戦と一貫して手綱を取ってくれる騎手と考えると、川崎競馬所属のジョッキーの方が良いかもという話になりました。僕はあわよくば笹川翼騎手や矢野貴之騎手といったリーディングジョッキーに乗ってもらいたい気持ちはありましたが、先々のことを考えると、乗り替わられたりするよりも、ドコフクカゼの特性を理解して騎乗してくれる騎手がいることは大切です。
そもそも騎乗依頼をしたからといって、受けてもらえるかどうか分かりません。僕にとっては可愛い愛娘であり、小さい頃からずっと見守ってきて、普通の馬と同じように走れる、全く問題のない馬だと知っていますが、ジョッキーにとってはそうではありません。片目の見えない2歳牝馬です。他馬に死角から来られて急に変な動きをしたり、柵が見えずにぶつかってしまったり、危険を伴うとジョッキーが感じてしまうのは当然でしょう。特にリーディングジョッキーのような引く手あまたの騎手であれば、わざわざ実戦で走ったこともない危なっかしい馬に乗る必要はないのです。
そこで「川崎所属」、「腕が立つ」、「継続して騎乗してくれる」という3つの条件で絞り込んでいったところ、僕たちの意見は一致して、新原周馬騎手に白羽の矢が立ったのです。新原周馬騎手は2022年にデビューした、5年目のジョッキーです。デビューした年に54勝、翌年の10月には100勝を挙げましたが、3年目となった24年に落馬事故で大けが(頭蓋骨骨折、肺挫傷、右手骨折など)を負い、その年は26勝、翌年は34勝と勝ち星を伸ばせずにいました。
実は22年に川崎競馬のスパーキングトークLIVEに出演した際、あらかじめ台本に目を通していると、「川崎競馬の若手ジョッキーでおすすめは?」と質問されることになっていました。僕はデビューしたばかりの新原騎手を挙げるつもりでした。本番当日、僕ともうひとりのゲストに競馬エイトの佐藤ゆきあきさんがいて、彼から先に質問されました。「新原周馬騎手ですね」と佐藤ゆきあきさんが答えた後すぐ、「川崎競馬の若手ジョッキーでおすすめは?」と僕にも振られました。答えが被ることを想定していなかった僕は、瞬間的に野畑凌騎手に変更しようとしましたが、咄嗟のことでしたので、「のばた」なのか「のはた」なのか読み方に自信がなくなってしまい、結局、「僕も新原周馬騎手です」と答えてしまいました。元はと言えば、新原騎手の名前を挙げるつもりでしたから自分に嘘をついたわけではありませんが、同じジョッキー名が続いて視聴者的にはつまらなかったでしょうし、番組的には違う騎手を挙げてほしかったはずです。
でもそれぐらいデビュー当時から、新原騎手はセンスを感じさせていたということです。騎乗フォームから道中のコース取り、溜めのつくり方まで、ジョッキーとしての才能に溢れていたのです。野畑騎手がどのような馬でも押して押して逃げ・先行させる剛毅なスタイルであるのに対し、新原騎手の柔軟なスタイルは通好みだったとも言えます。落馬のアクシデントさえなければと残念に思いますが、新原騎手の言うように「そんなに甘くない世界だった」ということなのでしょう。それでも、今年は7月時点ですでに30を超える勝利数を挙げており、勝率も10%台に乗せて復活を果たしています。「馬乗りのセンスはピカイチです。癖馬の調教などは川崎で僕の次に上手いぐらいです。どんな暴れ馬でも乗れるように、身体能力が傑出しています」と志村さんも高評価しています。チョイチョイ自慢を入れてくるのが玉にキズですが(笑)、日々、命を賭している乗り役はこれぐらい勝気で自信がなければやっていけません。
本馬場に行くと、すでにドコフクカゼは新原騎手を背にゲートの方に向かって歩いていました。「初めての場所なのに、堂々と歩けています。馬運車も大人しかったですよ」と志村さんは褒めてくれました。そう言われてみれば、川崎競馬場に来るのは初めてにもかかわらず、馬場入りを嫌がったり、変に入れ込んだりする仕草も見せません。元気がないようにも見えますが、福ちゃんもいろいろな経験をして大人になってきているのでしょうか。
この日のために購入したSONYのハンディカムを片手に、最大限の光学ズームを使って、競馬場のいちばん奥に設置されているゲートに入るドコフクカゼを映します。ドコフクカゼは3頭のうちの真ん中に入り、駐立も大人しく、ゲートが開くとポンと出て先頭に立って走って来ました。あとから新原騎手に聞いたところでは、ゲートもスタートも問題なく、やや右に張って(右に行きたがって)いたけれど、問題になるほどではないとのこと。志村さんいわく、「右目で見ようとして、少し首を左に傾ける形になっているので、右に張っているように感じるのかもしれない」とのこと。志村さんが乗った感覚では、右に張る感じはしないそうです。
そのまま向こう正面まで流し、ラスト800m地点からスピードを上げ、コーナーを2つ回り、ゴールを目指します。外から迫ってきた馬を凌いで先頭でゴール。「馬なりで55秒ですから、能力試験は大丈夫です」と、いつの間にか隣に来ていた長友調教師は解説してくれました。
スクーリングを無事に終えて、しばしクーリングダウンをした後、ドコフクカゼは馬運車に乗って小向トレセンに帰ることになりました。てっきり僕は長友先生の車に同乗させてもらうものとばかり考えていましたが、「治郎丸さん、一緒に乗って帰りますか?」と志村さんが誘ってくれました。
「えっ、馬運車に?僕と福ちゃんが?」と心の中ではそう叫びましたが、見栄っ張りで好奇心旺盛な僕は、あのときと同じく二つ返事で「行きます」と答えてしまいました。馬運車は前に2頭、後ろに2頭の4頭積み。スクーリングに来ていた馬たちが乗り合いをするようにして戻っていきます。僕たち人間は馬運車の中に入り、ちょうど4頭の間の真ん中のスペースに立つ形です。
目の前の福ちゃんと目が合いました。あれっ、この光景、どこかで見たことある。おそらく福ちゃんもそう感じたのかもしれません。僕のことをジーッと見て、何か考えごとをしているかのようにジッとしています。既視感とはこういうことを言うのでしょう。ちょうど1年前の記憶が蘇ってきました。馬運車と福ちゃんと僕、部屋とTシャツと私みたいな美しい響きでは全くありません。
碧雲牧場からエクワインレーシングまでのたった30分の道のりで、福ちゃんが馬運車から脱出しようとして後ろ扉にヒップアタックを繰り返し、立ち上がろうとして頭をぶつけ、その勢いでひっくり返り、あの狭い空間を右に左に後ろに前に大暴れして、人馬もろとも大惨事に陥る一歩手前まで行った苦い思い出です。福ちゃんはどうだか分かりませんが、僕を含めて、碧雲牧場の皆さんもトラウマになっているほどの暴れっぷりでした。
1年の時を経て、その暴君が目の前に立ちはだかっているのです。もし福ちゃんがあの時と同じように暴れ狂ったとしたら、この馬運車の中にいる6名の人間と他の3頭の馬たちは無事では帰れないでしょう。誰も福ちゃんの恐ろしさを知らず、たまたま同じ馬運車に居合わせてしまったのが運の尽き。馬運車が動き始めました。
(次回へ続く→)
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