2020年2月29日からはじまった、無観客競馬。
新型コロナウイルスの拡大を防ぐため必要な措置として、ダービーや宝塚記念といった大レースも含めて、無観客での競馬開催となった。
競馬ファンはそこに何を想い、何を感じているのでしょうか?
今回は3人の方々が「私と、無観客競馬」をテーマに語ってくれました。
”非日常"が突然に──。
2020年2月26日、午後0時30分00秒。
無観客競馬という”非日常”は、この瞬間から始まった。
3月14日に行われる阪神スプリングジャンプ。毎年東京から遠征しているこのレースを、今年も観に行く予定にしていた。
しかも今年は、”絶対王者”オジュウチョウサンと”現王者”シングンマイケルの直接対決という、これ以上ない好カードが実現。行かない理由など、無かった。
そこで当日の阪神競馬場の指定席を予約すべく、指定席予約サイトのログインボタンを押したのが、冒頭に記した時刻だった。
──しかし、ログインボタンを何度押しても、画面はメンテナンス中のままだった。
結局、指定席が発売されることは無かった。
翌日、2月29日以降の中央競馬が無観客競馬として開催されることが発表された。
それでも2週間後には観客が入れるようになるだろうと楽観的に考えていたのだけれど、願いもむなしく阪神スプリングジャンプは無観客競馬で行われることになった。
レースはオジュウチョウサンが圧勝。
平地挑戦を経て更に磨きがかかった”絶対王者”の強さに打ち震えた……と同時に、ちょっとだけ悔しかった。
──現地で、直接応援したかった。
その強さを思いっきり讃えたかった。
無観客競馬はその後も続いた。
4月2日、中山グランドジャンプも無観客競馬で行われることが発表された。
第1回から続けてきた現地観戦の連続記録も、21回でついに途切れることになってしまった。
もしも当日、中山競馬場のスタンドに居たならば、オジュウチョウサンの5連覇を、そして最終障害での出来事を、どのように感じていたのだろう。
レースはもちろんテレビで観戦していたのだけれど、現地で感じたであろうそれとは少し違うのではないかという気がする。
季節は巡り、無観客競馬という”非日常”は、すっかり”日常”になってしまった。
中央競馬の観客入場の再開がいつになるのか、まだ見通しが立たない。 昨年の中山大障害以来、半年以上も障害レースを現地で観ていない。しかし、観たくても観に行けないからこそ、自分の中の障害レースが好きという気持ちを改めて認識することができた。
近い将来、再び競馬場へ行けるようになったら、五感で障害レースを感じよう。
出走する全ての人馬を思いっきり応援しよう。
ウィナーズサークルで勝ち馬を思いっきり讃えよう。
ああ、その日が来るのが本当に待ち遠しい。
──びくあろ
再び現地へ足を運べることを祈りつつ記事を執筆
私は昔から、競馬観戦における「現地主義者」だ。
何故なら現地でレースを「生」で観てるからこそ、映像では分からない部分も多く読み取る事が出来ると考えているからだ。
初めはレース映像を観て競馬というものの魅力に惹かれていたが、次第に競馬場へ足を運びたいと思うようになった
無数の蹄の鳴り響く音。
競走馬、騎手達の息遣い。
ステッキを振るう音。
響くファンファーレ。
──そして、鳴り止まない大歓声。
そうして得た競馬場での「繋がり」が、いつからか私にとっての日々の生き甲斐にもなっていた。
そう、世界を揺るがした「あのウイルス」の影響が及ぶまでは。
突如として私たち全ての競馬ファンは、 競馬場へ行く権利を失ってしまった。
馬券を買えるのはインターネットのみ。
レース観戦は映像だけ。
「鳴り止まない大歓声」は、そこにはなかった。
そして、世代の最高峰を決める日本ダービーまでもが、無観客開催となった。
正直言って、もどかしい。
現地に行けなくなってから「パドック」の重要性もよく身に染みたのもあるし、何より競馬ファンとの競馬場での「繋がり」がなくなってしまったのは流石に堪えた。そして、目の前で馬、騎手、調教師、助手、馬主、誘導馬を応援する事も許されない現状に、打ちひしがれる。
私にとってこの「無観客競馬」というのは、当たり前だと思っていた事が突如として叶わなくなってしまうということへの危機感を募らせるのには十分だった。
その危機感から一心に執筆したのが アグネスタキオン・ウオッカ・ヒガシウィルウィンの三頭の競走馬の物語である。どれも、共通しているのは、自らの視点・主観から描いた記事だということ。そして、現地観戦の現場主義者となっていた私自身が「無観客競馬」になった事で、落ち着いて現地の様子や臨戦過程などを振り返る事が出来たということである。
どの記事も反響を頂いて、とても感謝している。
そして私自身がそうであったように、私のみならず他のライター様の記事を拝見し、それぞれの競走馬や競馬愛に想いを馳せて頂いた競馬ファンが、再び競馬場へ足を運べる日が来ると願うばかりだ。
──KOBA
届かなくても、輝いている
ヴィクトリアマイルを観に上京する日を心待ちにしていた。一年前から、ずっと。
サウンドキアラ。
京都金杯から破竹の重賞3連勝、勢いに乗った彼女が夢を叶える瞬間に立ち合いたかった。
好きな馬を応援しに競馬場へ行く。これに勝る幸せはない。
しかし、やむを得ない社会事情により現地観戦そのものを禁じられてしまった。
パドックやスタンドを埋め尽くすたくさんの観客の中のひとりに、なりに行けない。
新馬の時から見守ってきた彼女がふたたび大レースに臨むというのに、今年は拍手も声援もないだなんて。
無念としかいいようがなかった。
運命の日を私は自宅で迎えた。
テレビ越しの東京競馬場にやはり人影は見えない。しんと静まり返っていて音もない。
寂しくてたまらなかったが、隣には家族がいた。
「私の好きな馬が絶対に勝つから一緒に応援してほしい!」とお願いしたのだ。
今できる精一杯のことをしようと心に決めた。
完璧な競馬だった。
サウンドキアラはアーモンドアイに敗れた。
人馬とも堂々たる立ち回りで真っ向から女王に挑み、夢は破れた。
だが、限りなく近づいたのだ。
そのことが嬉しかった。
悔しくて、幸せで、ひとりでに涙が出た。
家族が私の好きな馬を一緒に応援してくれた。「頑張ったね」と健闘を讃えてくれた。
思えば一緒に競馬を観たのはひさしぶりだった。
いつもひとりで現地へ行っていたから。ほぼひとりで競馬を観ていたから。
誰かと一緒の競馬も、画面越しのレースも、同じく楽しくて嬉しくてドキドキするものだ。
馬と人が力を合わせてターフを駆ける。彼らの輝きは何ひとつ変わらない。
私にとって競馬はずっと遠い世界の憧れだ。
ファンとして憧れの存在にほんの少しだけ近づける場所が、競馬場だった。
明日、次の瞬間、このレースが、世界がどうなるかなんて、その時になってみなければ誰にもわからない。
未来が見えない手探りの状態は今も続いている。
──でも。
近づけなくても、同じ世界にいる。
声が届かなくても、想いはどこかの誰かに伝わり響きあう。
たとえ世界が変わっても、変わらないことがある。
私たちファンの夢を乗せて、彼らは今日も明日も輝いている。
──たちばなさとえ
さて、いかがだったでしょうか?
みなさんも無観客競馬に対して、様々な想いがあるかと思います。
競馬が中止にならなかったことはせめてもの救い、という方も多いかもしれません。
毎年恒例の観戦がなくなって寂しい方も、もちろん多いと思います。
競馬場のグルメが恋しい人、馬のにおいが懐かしい人、様々でしょう。
そんな競馬や競馬場の楽しさを、WEBからより皆様にお伝えしていけるように、ウマフリ編集部としても、より一層努力していきたいと思います!
写真:三木俊幸、緒方きしん