[種牡馬・血統紹介]アメリカクラシック三冠への挑戦者、ラニ。

2005年10月30日。
この日の東京競馬場で行われたメインレース、天皇賞秋(G1)で、波乱が起きた。
勝ったのは「牝馬の松永」と呼ばれた名手を背にした、14番人気(単勝75.8倍)の大穴。
勝ち馬は、ヘヴンリーロマンスという牝馬だった。

戦後初めての天覧競馬となったこのレースの後、松永はヘヴンリーロマンスをメインスタンドへ向かわせて帽子を脱ぎ、競走を天覧した天皇・皇后両陛下に鞍上から最敬礼をした。
美しいその姿は競馬の名シーンの一つとして、有名なエピソードとなった──。

それからおよそ8年後。
アメリカに渡り繁殖生活を過ごしていたヘヴンリーロマンスは「ラニ(ハワイ語で天国)」と名付けられる一頭の牡馬を産んだ。

その才能は再び海を越え日本に渡り、競走生活をスタートさせることとなった。

ラニ
- 2013年 アメリカ産まれ

血統的な背景

父はアメリカの競走馬、種牡馬であるタピット(Tapit)。
現役時代はアメリカクラシック戦線の有力馬の一角と見なされていたが、度重なる病などでクラシックの前哨戦しか勝てずに引退。しかし種牡馬としては数々の活躍馬を送り出して、2014年から2016年の北米リーディングサイアーの座に就いた名種牡馬である。その産駒は日本競馬でも、主にダート戦線で活躍している。

母である天皇賞馬ヘヴンリーロマンス自身は上述の通り芝で活躍した名牝だったが、産駒としてJBCクラシックをはじめ中央・地方のダート重賞を5連勝したアウォーディー(父:ジャングルポケット)、エンプレス杯やブリーダーズGC、名古屋グランプリなどの地方重賞を連覇し川崎記念でも3着に入線したアムールブリエ(父:スマートストライク)など、才能豊かなダート馬を輩出した名繁殖牝馬でもあった。

現役時代

そんな両親から豊かな才能を受け継いだラニは、兄や姉と同じく初戦は芝のレース(阪神芝2000m)でデビューした。武豊騎手を背に2番人気に支持されたものの、馬場適正が合わなかったためか、ここでは勝ち馬から1.3秒差の4着に敗れている。

2戦目はダート戦(阪神ダート1800m)に出走。血統背景もありここでは1番人気に推され、結果は2着だったものの、上がり3Fは最速タイムを出して素質の高さを示した。
そして3戦目の京都ダート1800m戦できっちりと勝ち上がると、続く東京ダート1600mのカトレア賞も連勝。

年が明け3歳になったラニ。
陣営は、アメリカクラシック三冠への挑戦を表明した。
同時にケンタッキーダービーの出走に必要なポイントの獲得すべく、UAEダービーへの出走も発表。
しかし意気込み高く臨んだ3歳初戦のヒヤシンスステークスでは、5着に敗れてしまった。ちなみにこのときの勝ち馬はゴールドドリームで、4着馬はケイティブレイブという、ハイレベルなメンバー構成でもあった。

この敗戦でUAEダービーへの出走は困難か……とも思われたものの、現地からの招待を受けて出走が決定。
ラニは再び海を渡ることとなった。

UAEダービーではスタートで出遅れてしまい、最後方でレースを進めることとなってしまう。
しかしレース中盤から徐々に位置取りを押し上げていき、逃げていた日本馬のユウチェンジを最後の直線で交わし見事に勝利。このレースの勝利で、ラニは日本調教馬として初めてのUAEダービー優勝馬となった。

レース後、予定通りケンタッキーダービーに出走する事となったラニは、UAEの地から直接ケンタッキーダービーが行われるチャーチルダウンズ競馬場に旅立った。世界を知る日本の名手・武豊騎手と共に、偉大なる挑戦も夢が、ここから始まる──。

クラシック第一関門のケンタッキーダービーは、20頭立てのレースとなった。
ここでラニは再びスタートを出遅れてしまう。UAEダービーのようにポジションをスムーズに上げることが出来ず、最後に追い込みを見せたものの9着と苦い結果となってしまった。

ダートの本場アメリカの、クラシックの高い壁に跳ね返されてしまったラニだか、彼のチャレンジはあくまでまだ始まったばかりである。

続く2戦目、プリークネスステークス。ここでもラニは出遅れてしまう。
ダートの、特にアメリカの競馬でスタートを失敗するのは致命的なロスになる。最後方でレースを進め虎視眈々、直線を迎えて馬群を割ろうと懸命に追い込んだが、結果は5着までであった。

そして迎えた最終戦のベルモントステークス。
ここでも定位置となった最後方でレースを進めたラニであったが、このレースでは向こう正面から前に迫る。
直線で外に出されて懸命に前を追う。最後の冠まで、あと少し──。

ラストチャンスに最大限の意地を見せたラニだったが、結果は惜しい3着で終えることとなってしまった。

だが間違いなく、父と母の才能と強さが、ラニにしっかりと受け継がれているのを感じられた最終戦だった。

偉大なチャレンジを終えたラニは、6月下旬に日本に帰ってきた。
その後日本で3戦し、翌年はドバイへ遠征し2戦。ドバイから帰国した後も東京のダートレースを3戦したが、あのベルモントステークスのような輝きがラニに戻ることは無かった。

偉大な夢も国内のビッグタイトルへの挑戦も、全てはこれから産駒たちに受け継がれていく。

種牡馬としてのラニ

ラニの父タピットはアメリカのリーディングサイアーであり、日本でも主にダートを主戦場にする産駒を輩出する一方、牝馬ではラビットランのような芝の重賞ウィナーも輩出している。
しかし、産駒の傾向や高額獲得賞金馬を見ると、やはりラニ同様に牡馬・ダート馬の活躍がほとんどである。

系統がボールドルーラー系の発展系統であるエーピーインディ系統であり、そこにアンブライドルドやニジンスキーと言ったアメリカでの成功血統を配合された父。そこに同じくアメリカのダートで大活躍したサンデーサイレンスを父に持ち、母の父にサドラーズウェルズ・母母の父にリボーという底力溢れる血を配され、日本の芝の大レースで牡馬の強豪を破った母ヘヴンリーロマンス。

つまりラニという馬は、日本のダートがおそらく中心であろうが、芝でも走れる血統を備えていて、そして何よりアメリカでサイアーとして活躍した馬の血を数多く配された組み合わせで、誕生した馬だったのである。

上述したような国内のダートレースのビッグタイトルも、そして何よりラニが目指したアメリカ三冠戦のタイトルも、産駒が夢を掴める可能性は充分に感じられるサイアーとしての血の素質を持っているのである。

産駒達の挑戦に、熱視線を送り応援していきたい。

写真:s.taka

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