ロサード - 夏を愛した、バラ一族の切り込み隊長

一頭の繁殖牝馬から続々と活躍馬が登場し、やがて大きく枝葉を広げ派生していった一族は名牝系と呼ばれる。もちろん、日本の競馬にもいくつか名牝系は存在するが、その中で、フランス生まれの牝馬ローザネイから派生し、薔薇にまつわる馬名がつけられている牝系が、通称「バラ一族」である。

当初、バラ一族からは重賞勝ち馬が多数登場したものの、あと一歩のところで、GⅠタイトルには手が届かなかった。しかし、ローザネイの曾孫にあたるローズキングダムが、2009年の朝日杯フューチュリティSを勝利すると、翌年にはジャパンCも優勝。見事、一族の悲願を成就したのだ。

無理矢理な話だが、このバラ一族の活躍馬を野球のスターティングメンバーに例えるなら、ローズキングダムが主砲の4番。スタニングローズがエースピッチャーだろうか。

だとすれば、小兵ながらも長きにわたって活躍し、時に鋭い差し脚でファンを湧かせたロサードは、先陣を切って一族を引っ張る、切り込み隊長の1番バッターが適任ではないだろうか。

ローザネイの2番仔として、1996年4月22日にノーザンファームで誕生したロサード。半姉のロゼカラーはデイリー杯3歳Sを勝ち、ロサードが生まれた年の秋華賞でも3着に好走していた。

そんなロサードの父は、当時、スーパーサイヤーとしての地位をほぼ確固たるものにしていたサンデーサイレンス。そのため、社台レースホースの所有馬として、総額8000万円という高値で募集された同馬は、姉のロゼカラーと同様、栗東の名門・橋口弘次郞厩舎に入厩した。

馬体重は400kgそこそこしかないため仕上りは早く、デビューは7月阪神の新馬戦、芝1400m。そのレースを、厩舎所属でデビュー3年目の高橋亮騎手(現・調教師)を背に勝利し、順調な滑り出しを見せた。

さらに、江田騎手に乗り替わった9月の新潟3歳Sでは、中団追走から勝負所で徐々にポジションを上げ、直線で抜け出すのにやや手間取ったものの、残り50mで前を差し切り快勝。姉と同様、早い段階で重賞ウイナーに上り詰めたのだ。

デビューから、いきなりの連勝。血統背景も含め、関係者や出資者の期待はいっそう高まったことだろう。ところが、そこからGⅡ以上のレースに連続して出走したロサードは、思わぬ挫折を味わうことになってしまう。

次走、姉弟制覇を目指したデイリー杯3歳Sでは11着に大敗。一転して、京王杯3歳Sは2着に巻き返したが、朝日杯3歳Sは9着に終わる。年が明けた春シーズンも、ダービーで6着など勝ち切れずにデイリー杯3歳Sから7連敗。同期のトップクラスが相手となると、どうも低くない壁が存在しているような結果となったのだ。

しかし、馬体重を10kg増やして出走した秋初戦の京都新聞杯(当時は菊花賞トライアルとして施行)から、徐々に潮目は変わり始める。

このレースで、ダービー馬アドマイヤベガの4着に好走を果たし、成長した姿を見せたロサード。続く菊花賞は、距離が長く11着と大敗したものの、古馬との初対戦になった京阪杯(当時は芝1800m)では、京都外回りの直線を目一杯使い、切れ味鋭い末脚を繰り出すと、直線だけで14頭をごぼう抜き。姉を彷彿とさせる追込みを決め、見事、1年3ヶ月ぶりの勝利を飾ったのだ。

もちろんこの時点で、この牝系に「バラ一族」というニックネームはついていない。しかし、430kgに満たない馬体重を懸命に躍動させ、鋭い末脚を使う姿は、まさに小兵の切り込み隊長そのものだった。

こうして、一介の早熟馬ではないところを証明したロサードだが、その後、またしても勝ちに恵まれない日々が長く続いてしまう。

ただしそれは、京阪杯以前に喫した連敗とは明らかに違う内容。4歳時に出走した安田記念こそ16着と大敗したが、それ以外はすべて一桁着順と安定した走り。重賞でも、2着3回3着2回と度々好走し、距離も、1600mから2400mまで幅広く走った。また、主要4場に留まらず、時には、福島や小倉といったローカルにも積極的に遠征。大きなケガもなくコンスタントに出走し、全国を所狭しと駆け回ったのだ。

そのなかで、唯一どうしてもついてこなかったのが、勝利という結果。長期間であることには違いないが、決して暗く、出口が見えないような、スランプの類ではなかった。2001年に、GⅠで2着3回と活躍した、同じバラ一族のローズバド(ロゼカラーの初仔)に比べれば、この時のロサードはどちらかといえば脇役。冒頭の野球でいえば、上位打線にしっかり繋ぐ2番打者に徹していたというべきか。

しかし、そんな2番打者の活躍を、競馬の神様はしっかりと見てくれていた。5歳となり、前年に続いて出走した2001年の小倉記念で、ついにその瞬間はやってきたのである。

この時1番人気に推されたのは、連覇を目指すミッキーダンスだった。対するロサードも、票数こそ下回ったものの、同じオッズで並んでいた。前走の北九州記念(当時は1800m)では2着に好走。調子が上向きだったことも大きいが、同競馬場は3戦して2着2回3着1回と得意なコース。チャンスは十二分にあった。

さらにその背には、前走に引き続き、当時まだ兵庫県競馬所属だった小牧太騎手の姿。小牧騎手といえば、同年のフィリーズレビューでJRAの重賞を初めて制したが、その時、騎乗していたのがローズバド。バラ一族に縁のある、強力な援軍を得たのだ。

ゲートが開くと、いつも通り中団やや後方に控えたロサードは、1000m通過60秒2の遅い流れをじっくりと追走。その後、勝負所からポジションを上げて迎えた直線。小回りコースで、自慢のキレ味鋭い脚は使えなかったものの、上がり最速の末脚を発揮。先行勢を差し切り、同じく後方から差してきたトウカイオーザも抑え見事1着でゴールイン。

前回の勝利から1年9ヶ月が経ち、そこから実に16戦目。あまりにも待ちわびすぎた4勝目を、ついに掴み取ったのだ。

その後、毎日王冠でもエイシンプレストンの2着に好走し、古馬混合のGⅡで初めて連対を果たしたロサード。しかし、続く天皇賞秋は9着、マイルチャンピオンシップも7着に終わり、やはりGⅠとなると高い壁に阻まれてしまうのだった。

ただ、この頃になると、ロサードの戦績に明確な傾向が浮かび上がってきた。それは、良績が夏期に集中しているということ。2年連続で連対した京阪杯は例外にしても、3着内に好走したレースの大半は7月~10月に行なわれる重賞。夏の暑さを好んだのか、それとも、小回り平坦のコースが得意なのか。その傾向は、ベテラン戦士となった6歳シーズンを迎えても変わらなかった。

この年、陣営は始動戦として大阪杯を選択。そこで4着と好走したものの、都大路Sが6着、当時5月に行なわれていた金鯱賞も7着と一息の成績。しかし、例のごとく夏になって一変した北九州記念では、3年連続の2着となりギアを上げ始めた。

続く、連覇をかけた小倉記念でよもやの5着に敗れたものの、この年、新潟開催となったオールカマーで、ゴール前5頭横一線の大接戦をクビ差制し優勝。重賞4勝目は、自身初のGⅡタイトルで、夏男の面目躍如たる勝利だった。

ここまでほぼ休みなく38戦を走破し、完全にベテランの域に達していたロサード。しかし、そんな無事是名馬にも、ついに、衰えが結果として表れるようになってきた。

オールカマーの次走、天皇賞秋で12着に敗れた結果は、字面だけ見ると大敗に映るが、実際は、勝ったシンボリクリスエスから0秒8と小差の敗戦だった。むしろ、半年の休養を挟んで臨んだ中京記念で8着に敗れたところから深刻さは増し、続く大阪杯が9着。

さらに、東京競馬場リニューアル記念4着を挟んだ後の新潟大賞典では、最下位の16着と大敗。GⅠ以外での二桁着順は、実に、3歳時のスプリングSで10着に敗れて以来のことである。

調子を上げてくる夏よりも前のこととはいえ、さすがに負けすぎではと思うような結果。ここで陣営は、再びベテラン戦士に短期の休養を与え、3年連続2着と好走している北九州記念をパス。2年前に勝利している、小倉記念に照準を絞った。

ロサードにとって、ホームグラウンドといえる小倉競馬場。とはいえ、前走で16頭中の16着に敗れた身でもある。11頭中の4番人気というこの時の評価は、復活を信じるファンとそれを疑うファンの、揺れる心境が垣間見えるよう。それでも、テン乗りの武幸四郎騎手とコンビを組んだロサードは、復活を信じるファンを決して裏切らなかった。

スタートが切られると、この日も後方に控えたロサードは、後方2番手でレースを進めた。1コーナーに入るところで、早くもペースはガクっと落ち、1000m通過は60秒8のスロー。後方からレースを進める馬達に向いているとは言い難いペースである。それでも、相性の良い競馬場、そして大好きな夏という条件が揃ったロサードに、そんな心配は無用だった。

徐々にポジションを上げて迎えた直線。短期間の休養が功を奏したか、堅調な末脚で先行馬を捉えると、離れた最後方から猛追してきた1番人気のサンライズシャークと叩き合い。これをなんとか、最後はクビ差だけ制し優勝。3年連続で夏の重賞を勝利し、ついに5つ目のタイトルを獲得することに成功したのだ。

小倉記念を二度勝利した馬は、これが初。2021年現在でも、ロサードと、この次の年から二連覇したメイショウカイドウの2頭のみという偉業である。

また、この日は橋口調教師の管理馬が、9レースから小倉記念まで特別3連勝を達成。ジョッキーの特別3連勝はまれにあるものの、調教師の特別3連勝はほとんどお目にかかれない快挙といえる。それも、ロサードを含む3頭ともが1番人気でないところが、また凄まじかった。

その後、ロサードは実に4年連続出走となった天皇賞秋で8着、そしてマイルチャンピオンシップ13着を最後に現役を引退。種牡馬入りを果たした。

北海道以外の8つの競馬場で走り、トータル46戦6勝。うち41戦が重賞。その大半が一桁着順と堅実な走りで、獲得賞金は4億3000万円を超えた。無事是名馬以外の何物でもない、見事な活躍だったといえるだろう。

ロサードには、実に16名もの騎手がその背に跨がった。手にした5つの重賞タイトルは、全て異なる騎手とのコンビで獲得したものである。

一方、種牡馬としての活躍に目を向けると、決して種付け頭数に恵まれたとはいえないが、その中から、タマニューホープやメスナー、アンヴェイルが複数勝利を挙げた。そして、2010年産まれのクラウンロゼが、フェアリーSを勝って産駒の重賞初制覇を成し遂げ、続くアネモネSまでデビュー3連勝を達成。その後、スランプに陥ったものの、引退レースの長岡Sで、奇跡の復活勝利を挙げたのだ。

バラ一族に目を向けると、切り込み隊長で1番打者のロサードが引退して以降、その活躍に引っ張られたのか、中軸を打つような中心選手が、続々この一族から登場した。ロゼカラーやローズバド、そしてローズキングダムの活躍は前述のとおりだが、ロサードの4つ下の弟にあたるヴィータローザが重賞を3勝。さらに、ロゼカラーの第4子にあたるローゼンクロイツも、重賞3勝をマーク。

ロサードは、2017年に種牡馬を引退。2018年からホーストラスト北海道で余生を過ごし、2022年11月、その生涯を終えた。

彼が小さな体を使って、ロゼカラーとともに懸命に牽引したバラ一族。その繁栄は10年以上の時を超えてスタニングローズやラフターラインズといった重賞ウィナーにも受け継がれ、いま再び花開こうとしている。

写真:かず

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