[中山大障害]3歳で"天下"統一。障害キャリア3戦でJ・G1を勝った天才ジャンパー、テイエムドラゴン。

「今年の3歳馬は強い」

こういった声は数年置きによく耳にするセリフだ。特に近年は降級制度が廃止されたことで、勢いのある3歳馬が昇級初戦から好走をすることが多い。世代間のレベルをいかに早く見極めるかを楽しみにしているファンもいることだろう。

2005年の秋競馬は、ディープインパクトが注目を集めていた。日本競馬史上2頭目となる「無敗での三冠制覇」を達成。その後は古馬と初対戦となる有馬記念に向けて調整されていた。
ダート路線に目を向けてみても、カネヒキリがジャパンカップダート(当時)を制したが、その背にはやはり『金子真人オーナーの勝負服を着た武豊騎手』がいた。
当時の武豊騎手は「3年連続、年間200勝」を挙げるなど、騎手としてひとつのピークを迎えていたとも言えるだろう。つまり2005年の秋競馬は、芝もダートも、武豊騎手が騎乗する3歳馬が中心となっていた。

中央競馬のもう1つのカテゴリである「障害レース」はというと──さすがにこちらは武豊騎手ではなかったが──やはり3歳馬が、大いに注目を集めていた。

その馬の名は、テイエムドラゴン。3歳の10月に初めて障害戦を走ると、その2ヶ月後にJ・G1の中山大障害を制するサクセスストーリーを成し遂げた馬だ。


天覧競馬となった05年の天皇賞(秋)。ヘヴンリーロマンスが制し、松永幹夫騎手(当時)がスタンドで観戦されていた陛下に、馬上からお辞儀をするシーンが話題になった。

その天皇賞のおよそ4時間前の京都競馬場で、テイエムドラゴンは初の障害戦を迎えていた。平地では未勝利戦を勝ち上がることができなかったが、新たな「障害」というカテゴリで勝利を目指して。
調教とレースでは勝手が違うこともあり、初障害のレースでは苦戦する馬も多いが、テイエムドラゴンは障害初戦を快勝。年上の馬たちとの走りでも臆することなく5馬身差をつけ、障害デビューを白星で飾った。

そして障害2戦目は中1週での重賞挑戦、京都ハイジャンプに挑戦。
8頭立てとはいえ、早くも2番人気に推されていたテイエムドラゴンの鞍上には、西谷誠騎手が迎えられていた。テイエムドラゴンは、障害に転向し引退するまで、この京都ハイジャンプ以外は全て白浜雄造騎手が手綱を取っていたが、この京都ハイジャンプだけは違った。白浜騎手は1番人気のアズマビヨンドの背中にいたのである。
その人気を背負ったアズマビヨンドマークする位置で折り合いがついたテイエムドラゴンは、最後の直線でまたも独走劇を演じた。最終的にはアズマビヨンド以下に4馬身もの差をつけ、重賞初制覇を達成した。

そして迎えた暮れの大一番、中山大障害。
単勝の1番人気は3.7倍のメジロオーモンド。2年続けて前哨戦のイルミネーションジャンプステークスを勝利、さらに前年のこの暮れの大障害でも2着と好走していたため、悲願のJ・G1制覇に最も近い位置に居るのはこの馬と言われていた。
続く2番人気がテイエムドラゴンだった。歴戦の古馬を差し置いて、キャリア僅か2戦の3歳馬が単勝オッズ4.4倍。確かに若さや勢い、未知の魅力といった点が評価をされていた。
以下、単勝の人気はバローネフォンテン、メジロベイシンガー、チアズシャイニングが続いた。

私は普段、展開や調教の動きをもとに予想をすることが多いのだが、障害レース、ことJ・G1においてはコース実績を重視している。自分なりに項目を挙げていき減点方式で買う馬・買わない馬を判断するのだ。
例えば「1年以内にOPクラスを勝っている」「1年以内に障害重賞で3着以内の経験がある」といった項目を設定しているのだけれど、特にJ・G1で重要視しているのは「大障害コースの経験の有無」だ。
レース数日前にスクーリングとして実際に障害を馬に見せたり飛ばすこともあるとはいえ、年に2回しか使用されないこの大竹柵と大生垣を“レースで経験しているか否か”の差は大きい。

また中山競馬場の障害コースには1号から3号までの坂路(バンケット)も難敵だ。中山大障害ではこのバンケットの上り下りが計6回。知らず知らずのうちにスタミナが奪われてしまうこともある。
人も馬も、大障害コースやバンケットを経験していることは重要だ。そして白浜騎手はこの中山大障害に臨むまでに障害戦で40勝を挙げていたが、そのうち中山競馬場の障害コースでの勝ち星は1つ。やや、物足りない印象を受けた。そして過酷な大障害コースを克服するだけの体力はテイエムドラゴンにはまだ無いのではないか、と考えた私は彼を軽視した予想を組み立てていた。

ゲートが開くとマイネルマルカートやバローネフォンテンが先行し、マイネルユニバースやテレジェニックが前を追いかける展開。
テイエムドラゴンは最初の大障害である大竹柵の飛越で少し着地が乱れたものの、それ以外は大きなミスもなく追走する。そしてレース終盤に差し掛かり、3コーナー過ぎの最後のバンケットに入る手前から一気にスパート。スタミナを奪われるどころか、下りで行き脚をつけてバンケットを登り切ったところでは早くも先頭に立っていた

「来るなら来い!」と言わんばかりの強気な乗り方で、最後の芝コースに入る。そんなテイエムドラゴンに並びかける年長馬は、現れなかった。
最後の50mは手綱を緩めるほどの余裕の勝利。2着馬には1秒5、9馬身という大差をつけての圧勝劇だった。

さらにはその2着も、3歳馬のメルシーエイタイム。こちらもこの中山大障害が障害4戦目という新進気鋭の馬だった。メルシーエイタイムは、この2年後の2007年大障害を制するのだが、その素質の片りんを早くも見せる結果でもあった。


テイエムドラゴンを管理する小島貞博調教師は騎手時代にはキングスポイントで勝利し、そして調教師としても大障害を制す偉業を成し遂げた。そして白浜騎手だけでなく、父アドマイヤベガにもG1競走初制覇をテイエムドラゴンはもたらすことになった。

「これはすごい馬が現れた」

レース後の私はハズレ馬券を握りしめていたけれど、口惜しさは全く無かった。ひょっとしたら日本の障害レースの歴史を塗り替えるかもしれない馬の誕生にワクワクしていた。競馬仲間からも称賛の声が挙がり、レース後すぐに私の携帯に「障害界にもディープインパクトみたいな馬が現れたね!」というメールが届いたので、その意見に同意する内容の文章を返信した。やはり「無敗で大レースを制する」というのは平地や障害問わず、観る者を惹きつけるのだなと、改めて実感した。

テイエムドラゴンは鼻出血の影響でこの次走・春麗ジャンプステークスで連勝が止まったものの、春の大一番の中山グランドジャンプではカラジとクビ差の2着。その後はケガもあり1年7ヶ月の休養を挟んでの京都ハイジャンプを勝利し、記憶にも記録にも残る名ジャンパーとなった。

大障害を制するには、スタミナだけでなく、飛越の巧さも求められる。当然、キャリアを重ねた馬、コースの経験があった馬が有利なのは言うまでもない。そんな過酷なレースだと言われる大障害を「3歳で制した」のは、2021年現在、テイエムドラゴンが最後となっている。

写真:Horse Memorys

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